8月に置いていく文章

誰しも心に悪魔がいて、それをいかにコントロールしていくかが人生なのかもしれない
たかが20年しか生きていない私に勝手に人生を語られる 人生の気持ちにもなってほしい でも 申し訳ないけれどそういう気持ちで日々を生きています

悪魔といえば紫色のイメージが強いのではと、iPhoneの絵文字(👿←これ)も、サンリオのクロミもそうだから
でも、わたしが悪魔を思い出すとき その色は透明で、これは割と自分の中で揺らぐことがない
だって、紫だとすれば多分すぐに見えていると思うの。紫って割と遠くからでもその色を識別できるじゃないですか
現状 その存在は私の中で 気づけば侵食されている状態 に位置づいているため透明に分類している

責任転嫁しているとも呼べるこの行為は、確かにそうなんだよね なにが起こったとき悪魔のせいにすれば自分は悪くないと思えるからめちゃめちゃ楽です
みんな、なにか不利益被った時 自分が悪いんだって責めてちゃつらいじゃない 泣いちゃいたくないじゃない かといって人のせいにすれば結果的にその人のことを嫌いになってしまうし、人を嫌いになってしまえば自分が生きづらくなるからダメで

だからね、虚空のせいにすることで心の安寧を保っています
なにかのせいにすることは悪いことではなくて、その矛先をどこに向けるかが善し悪しに関係してくるのではっていう話


無いものに頼るということは結構寂しいんですけど、実在に頼る方がもっと寂しいものです
この時がずっと続けばいいのに〜 が続いたことなんてないんだもの。遊園地に行った日は決まって14時に寂しくなるのに、気づけば17時、20時、閉園時間を迎える
だから楽しいが怖い 楽しいが始まった瞬間楽しいの終わりを考えて絶望することとかないですか?
今良ければ良いという考え方が無いからその場しのぎの幸せが悲しくてたまらない

何が言いたいか分からないと思いますが、一昨日、「九月になったからって何が変わるわけじゃないんだけどでも早く九月になって欲しい」ってフォロワがツイートしていたの(勝手に引用してごめんね、嫌だったらこの部分は削除するので教えてください)
それを読んで 確かに九月ってなんだか良いになれそうだ!と思ったら 勝手に自分の中で八月が終わってしまって、今わたしはわたしなりの2月29日をやっている感覚にあって そういう感じです。夏に訪れたうるう年 みたいな

適当に浮かんだ言葉をnoteに乗せてみるやつやってみたかったからできて嬉しいなあ ただ、実直というか、他意のない文章ですので変に勘繰ったりはお控えください