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笑いに織り込まれた自立の物語。ミュージカル「おかしな二人」感想


去る5月14日、梅田芸術劇場で「おかしな二人」の千秋楽を観劇してきた。お花様のファンクラブ経由で「この日しか観られない!」と申し込んだチケットがまさかの全国ツアーの最終日、千穐楽も千穐楽、2023年ツアーの大千穐楽で、そのことを当日になって気づくという体たらくぶりだったのだが、無事に幕も上がり、ありがたく観劇することができた。

「おかしな二人」はニール・サイモン作、1965年に発表されたコメディだ。もともともとは男性二人が主人公だった作品だが、1985年に女性二人を主人公にした作品が発表され、ブロードウェイで8ヶ月を超えるロングランが記録されている。2020年10月にもシアタークリエと梅芸で上演されていたのだが、その頃はまだエリザベート2020年全国ツアーの中止のショックを引きずっており、劇場には足を運べなかった。なので今回が、私にとって初めての「おかしな二人」である。

お花様(花總まり)のファンを長らくやってきたが、実は彼女が出演するコメディを見たのは、今回が初めてだった。そもそも、お花様はコメディにはあまり縁のない人で、経歴をざっと見返しても2020年の「おかしな二人」が初めてのコメディだったのではないかと思う。なので一ファンとしては、東宝エリザベート初演時とはまた違った意味でドキドキしていた。

そもそも、私はコメディが苦手だ。コメディといえば、Eテレで時々流れるアメリカのホームコメディの印象が強く、子どもだった私はアメリカンコメディの独特のテンポや笑いのツボにになんとも言えないむず痒さを感じていた。その後、三谷幸喜氏の『笑の大学』のように、もっと大人向けの喜劇があることを知ったのだが、どうしても食指が動かなかった。笑えなかったらどうしようとか、その場のノリについていけなかったらどうしようとか、何より主演はお花様と大地真央さんで、あの超絶美しいお二人が変顔とかされた時にはどんな気持ちで受け止めたら良いのかなどと、とにかく変な心配ばかりをしていた。


で、実際に感激したわけだが


おもしろかった。


おもしろかった。おもしろかったです。一瞬でも不安になってごめんなさい。めっちゃ笑いました。終始笑ってました。お花様も大地真央さんも他の出演者の皆さんも芸達者でチャーミングでした。変顔はなかったですけど、まさか「鼻をすする(演技をする)お花様」とか、「牛みたいな呻き声をあげる(演技をする)お花様」が見られると思いませんでした。二幕で真っ赤なワンピースとフリフリエプロンをつけていたお花様を見たとき「こんなフリフリが似合うアラフィフ女性いる!?」とちょっとドキドキしていましたすいません。


いささか取り乱したが、兎にも角にも、おもしろかった。


以下、盛大にネタバレを含みます。手加減は一切しておりませんのでご注意ください。



あらすじとお花様(フローレンス)の話


ここで、「おかしな二人」のあらすじを簡単にご紹介しよう。

マンハッタンにあるオリーブ・マディスン(大地真央)のアパート。古新聞や雑誌が散らかり、夏だというのに冷蔵庫は2週間壊れたまま。離婚後、その不精な性格から部屋は荒れ放題だが、オリーブの部屋には女友達が毎日のように集まっては、ゲームやおしゃべりで盛り上がる。
オリーブたちがカードゲームに興じる中、皆の話題は、つい最近夫から離婚を切り出されたフローレンス・アンガー(花總まり)のこと。傷心の彼女が自殺でもしかねないなどと好き勝手に話していると、玄関ベルが鳴りフローレンスが入ってくる。なぜ離婚を突き付けられたのか、思い当たる節もなく未練タラタラのフローレンスに、オリーブは新たな人生を送るべきだと自分との同居を提案する。
けれど、オリーブの部屋に転がり込んできたそのフローレンスは病的なまでにキレイ好き。正反対の性格の二人は共同生活の中で、当然のごとく衝突を繰り返すが…。
おかしな二人がそれぞれの幸せを見出すまでの姿を描いた、抱腹絶倒のウェルメイド・コメディ。

https://engekisengen.com/genre/play/24253/


ものすごく雑にまとめれば「とんでもなくズボラなバリキャリウーマンのオリーブ」「潔癖症のおせっかい焼き、ついさっき夫に離婚を切りだされたフローレンス」という正反対の二人が、一つ屋根の下で暮らすことで繰り広げられるドタバタコメディである。

ズボラなオリーブ(大地真央さん)と綺麗好きなフローレンス(お花様)。この二人、もともと友人同士なのだが(なにをどう間違えば友達になれたのかは非常に謎である)、とにかく気が合わない。共同生活のパートナーとしてはあまりにも違いすぎる。この二人が同じ舞台に立って1分くらいで、観客は「この同居、絶対にうまくいかへんやろ」と確信できるくらいまったく違う。


フローレンスはとにかく元夫に未練たらたら。14年間の結婚生活、家族のために家中をピカピカにし、子どもを産み育ててきたことを支えにしてきたというのに、いきなり夫に離婚を切り出されてどうしたらいいの!?と悲嘆に暮れている。家を飛び出してマンハッタンの街をあてもなく彷徨い、瓶に入っていた薬を大量に飲んだと告白する。一方で、「(自殺したがる人間を)無理に構わない方がいい」というオリーブの機転で、オリーブをはじめ友人たちが彼女にさして構わないでいると、いきなり部屋の窓を開けて投身自殺をしようとしたり(おそらくフリ)、オーバードーズで胃が痛いと言ってみたり(胃の内容物はすでにオリーブのアパートのエレベーターで吐いた後)、これからは新しい人生を歩むべきだと諭すオリーブに「そんなこと言ったって!!」と泣き叫びながら「く、首が動かない……!!」と神経症?リウマチ?のような症状を訴えて硬直する。そのわざとらしさが滑稽でもある。

このフローレンスという女性は「長年、家庭のために尽くしてきたにもかかわらず、ある日突然、夫に捨てられた可哀想な専業主婦」という言葉ではまったく足りない人物なのだ。病的なまでの潔癖症で、常に身の回りを綺麗にしておかないと気が済まない。一幕でも、セリフを話しながら、芝居をしながら、常にどこかしこを片づけ続けていたところに、その尋常ではない様子が観客に伝わってくる。これを常に家の中でされていたのであれば、同居していた人は大変だっただろうなと納得してしまうのだ。

そのフローレンスも、自身のことを「潔癖症のおせっかいおばさん」と呼んでおり、自分の性質を理解している。それを修正できないし、しようとしない。掃除は完璧、料理もなんでも作れてしまう(その分こだわりも強い)。友人が「彼女は生まれる時代を間違えた」と言っていたが通り、18世紀の貴族の屋敷では非常に重宝されただろう。


しかし、彼女はただエキセントリックなだけの人間ではない。そういう描かれ方はしていない。


興味深いのは、彼女が一度だけ「私だって好きでやってるんじゃない」「家事はとても大変なことなのに」とこぼしたこと。それまで、他の人の都合などまるでお構いなしで「これが私の生きがいなの!」言わんばかりに掃除機とゴミ袋を振り回していた彼女が、一度だけ泣き言をこぼす。大変なのに家族はわかってくれない、と。そして泣き言は、さして大きく取り上げられることはなく、怒涛の芝居の中にさらっと消えていく。

その緩急に「これがコメディのおもしろさなのかもしれない」とふと思った。極端な綺麗好きのフローレンスは、それだけで観客の笑いを引き起こす。彼女に周囲の人々が巻き込まれる「おかしな」様子に、ついついクスリと笑ってしまう。その笑いの中で、ほんの一瞬だけ差し込まれる本音。その本音もまた、笑いの渦にあっという間に流されていくからこそ、なおさら余韻が強く残る。この一言のために、それまでの芝居をどうやって組み立ててきたのか、そしてその一言のあと、それからの芝居をどんなふうに作り上げようとしているのか。笑いと笑いのほんの一瞬の狭間に、ふっと鋭く暗いものが射した瞬間、私はいい意味でゾクゾクしたのだ。



圧巻のスタァ、大地真央様(オリーブ)の話


さて、もう一人の主人公、大地真央さん演じるオリーブも一筋縄ではいかない女性だ。

オリーブはマンハッタンで活躍する敏腕プロデューサー。ハイブランドの服を着こなし(二幕はひたすら大地真央さんのファッションショーだった)、ハイヒールを履いて颯爽と仕事をする。まさに「バリキャリ」だ。一方で私生活はというと、部屋は散らかり放題の荒れ放題。夏だというのに冷蔵庫は2週間も壊れっぱなし。「牛乳パックを開けたら、牛乳がそのままの形で固まっている(腐ってチーズになった)」ほどのズボラなのだ。仕事はできるが私生活はまるでだめ。結婚歴はあるが、夫に全財産を使い込まれて離婚。しかし、離婚後も夫が金の無心をするたびに何百ドルも送金してしまう。夫からの連絡はいつも電話で、友人たちに「今度こそ断りなさいよ!」と発破をかけられたものの、「私は彼の泣き声に弱いのよ」とすぐに泣き落としに応じてしまう。そんなアンバランスな女性である。

パンフレットでも語られていたように、オリーブは情の深い女性だ。離婚を切りだされたフローレンスをなんだかんだ言って心配するし、帰る場所のなくなった彼女を(共同生活がうまくいかないとわかっていて)自分のアパートに住まわせる。神経痛で体が動かないと言えば丹念にマッサージをし、薬や毛布を(カシミアのがいい!という面倒な注文にも応えて)持ってくる。とても気遣いができる女性なのだ。

だが、彼女は自分のケアができない。靴は脱いだら脱ぎっぱなし。物はなんでも放り投げるで、あちこちに散乱する。電話は服の下に埋もれ、何年も前に着たたであろうウェディングドレスがまだ置かれている。広くて立派なアパートなのに、彼女の内側は外からは図り知れないほどとっ散らかっている。

その彼女が、悲嘆に暮れるフローレンスに「新しい人生を歩くんだ!」と叱咤激励し、なんやかんやと世話をし、そしてあまりにもソリが合わなくて口論になる。(時折、大地真央さんのお声が非常に低くなる瞬間があり、あまりにも男前で宝塚時代もこんな素敵な声でセリフを話されていたんだろうかとドキドキしてしまった)

中盤までは「支離滅裂なフローレンスに引っ掻き回されるチャーミングな女性」だったオリーブなのだが、実は終盤、彼女自身の物語が大きく動く。同居を持ちかけたものの、日々家事と掃除にいそしむフローレンス。同じアパートに「いけてるスペイン人のナイスガイな兄弟がいる」とディナーで意気投合した後、一緒に彼らの部屋へ行こうとオリーブが誘うものの、頑なに拒否するフローレンス。一夜のアバンチュール(言葉が古い?)を目論んでいたオリーブも、この一件でついに堪忍袋の尾が切れる。

出ていけ!とフローレンスを追い出すオリーブ。意外なことにフローレンスは強かで、自らスペイン人兄弟のもとに転がり込み、住まわせてもらうことにする(スペイン人兄弟はめちゃくちゃいい人だったので、おそらくフローレンスに性的なものを期待したわけではなさそう、というかそういう対象としては最初から見てなさそう)。一方でオリーブのもとには、元夫から電話が。また金の無心かと思いきや「大金が入ったのでこれまで仕送りしてもらったお金をすべて返す。これからは電話はしない」と伝えられる。

ここからの大地真央さんのお芝居が絶品だったのだ。


もう電話はしないという夫の言葉を聞きながら、わずかに唇を震わせ目を瞬かせる。きっと「そんなこと言わないで、また電話してきて」と言いたい心を必死に抑え「そうね」と告げて電話を切る。心配そうに見守る友人たちにことの顛末を伝えたあと、一人でソファの背もたれに腰掛ける。その後ろ姿が息を呑むほど美しかった。客席から顔を背け、なにも語らず、音さえ立てず、大仰な芝居もせず、ただじっと佇む。その背中が語るオリーブの心境たるや。背筋はすっと伸びているのに、伸びているがゆえに体の華奢さがより強調され、かえって弱々しく見えたほどに。漫画『ガラスの仮面』で北島マヤが「たけくらべ」の美都里を演じた時、悲しみをたたえた「背中」の芝居で観客が息を呑んだのと同じ衝撃だった。あれほど雄弁に悲しみや寂しさを語った背中は見たことがない。

オリーブは、表向きは非常に自立した女性だ。1970年代のマンハッタン。アメリカといえどもガラスの天井は今よりも分厚かっただろう。その中でプロデューサーとして成功するには並々ならぬ努力と才覚があったに違いない。おおよそ普通の人であれば誰もが憧れるものを持っているのがオリーブという女性だ。だが一方で、彼女は「誰かのために尽くす」ことを生きがいとしているところがあった。それは元夫へ仕送りを続けていたことや、フローレンスに「お天気情報ばかり流しているんでしょう!」と言われたときに「私はお客様が求めるものを提供しているの!」と言い放ったことからも想像できる。自分をしっかり持っているように見えて、その実、誰かに求められたことに人一倍応えてしまう。そうすることで自分自身の価値を見出しているような人に、私は思えた。

だから元夫から「もう仕送りしなくていい。連絡しなくていい」と告げられたのは、とてつもなくショックだったに違いない。誰かに「もうあなたは必要ない」と告げられることほど、オリーブにとって辛いことはないのだ。「潔癖症のおせっかいおばさん」と公言し、せっせと家族のために尽くしてきたフローレンスと同じように、オリーブもまた誰かのために尽くすことで生きてきた人でもある。そしてその性(さが)を自覚しているフローレンスよりも、無自覚だったオリーブのほうがおそらく根っこは深い。

悲しみを堪えて友人たちのもとに戻るオリーブ。そのとき、手にしていたタオルをいつものように放り投げようとして、踏みとどまるのだ。少しばかりぎこちない手つきでタオルを丁寧に畳み、テーブルの上に置く。まるでいつもフローレンスがそうしていたように。

ずっと「誰かのために尽くすこと」をしてきた彼女は、自分をケアすることを忘れていた。大雑把でズボラ。自分のことには無頓着。単に「片付けができない人」ではなく、自分に矢印が向かない人だったのではないかと思う。その彼女が、初めてタオルを畳む。自分の所有物を、自分の部屋の中で、丁寧に扱う初めての場面。たった数秒のそのシーンはハッとするほど衝撃的で、そして思ったのだ。「おかしな二人」という作品は、フローレンスだけでなく、オリーブの自立の物語でもあったのではないか、と。


大地真央さんのお芝居を生で観たのは今回が初めてだった。有名なスタァさんだということは知っていたのだけれど、実物は想像よりもはるかに素晴らしかった。天性のスター性というものがあるとすれば、紛れもなく大地さんはそれを授かり磨き上げた人だった。舞台の最後、白いドレスで登場した彼女は紛れもなく発光していた。



おまけ:ソファと芋洗坂係長とショーの話


どうしても、どうしても言わせてほしいことがある。
先ほど絶賛した大地真央さんの背中の芝居。この時、彼女はソファの背もれに腰掛けている。そう、ソファの背もたれだ。


この!背もたれに!腰掛けられるって!どういうこと!?


このソファ、結構大きかったのだ。背もたれも結構高い。にもかかわらず、大地真央さんの細いお腰がそこにちょこんと乗っていたのだ。ちょこんと。

長かった。ただひたすらに、足が長かった。

大地真央さんがとんでもなくスタイルが良いことは知っていた。実際に二幕は本当にいくつもいくつも衣装を変えておられて、その度に「足長っ!顔ちっさ!」と心の中で連呼していたほどだ。知っていた。知っていたのだが、ソファに届く足の長さに、芝居もさることながら目が釘付けだった。


もうお一方、個人的にMVPの役者さんがおられた。それが芋洗坂係長である。

恥ずかしながら私は名前しか存じなかったのだが、この係長さんがとてもチャーミングだったのだ。小柄でふくよかだが、なんとも愛嬌ある笑顔と仕草が素敵だった。意外と言ったら失礼だが、本当に意外にもしっかり踊られるし、歌もお上手でなにより声がよかった。ソファに腰掛けて足を組もうとして組めなかったり、ダンスの後に「膝が笑う〜」とおっしゃっては客席の笑いを誘っていた。


本作は、最後に短いショーがついている。スペイン人のナイスガイな兄弟のタップダンスから始まり、純白のドレスを着た大地真央さんの歌とダンス(まじで発光していた)、さらにサーモンピンクのナイトドレス風の衣装を着たお花様と、黒い衣装を着た他のキャストも加わったものだ。

実は、お花様のショーを間近で見たのはこれが初めてだった。

思い返せば、退団後の作品にはカーテンコールはあれどショーはなかった。宝塚時代はそれこそたくさんのショーに出演していたというのに、「ミレニアム・チャレンジャー」の驚異的なスタイルの良さを見せつけた衣装も、あの伝説の「HANACHANG」も生で見たことはなかった。その事実にショーが始まってしばらくしてから気づいた私は「おおおっ!? おおっ!? ショー!? お花様のショー!?」と一人心の中で悶絶していた。

ショーのお花様はこれまたチャーミングで、フローレンスの時よりもよりウェーブのかかった髪型がめちゃくちゃよく似合っていた。衣装で見える背中から腰のラインが完璧すぎて思わず拝みそうになった。ショーでは歌声にフローレンスっぽさを滲ませていたのが新鮮だった。お花様はもともと役ごとに極端に歌唱を変えることは少ない。宝塚時代だったら「鳳凰伝」のトゥーランドットとか、「レビュー伝説」のジジとかだろうか。退団後の作品だと、少しずつ発声は変えていたものの、「MA」のマリー・アントワネットも、エリザベートも、メルセデスも、レディ・ベスも、どれもどこかで聞いたことがあるお花様の声だった。(自慢ではないが、私は少し遠くからのフォルムと歌声でお花様かダブルキャストの方なのか大体の意味極めがつく。多分)なので、今まであまり聞いたことがない、少しダミ声っぽい歌声を聞けたのもまた初めての経験で、これまたお花様の新境地を見せてもらって大変耳福だった。



笑いの奥に滲む物語


というわけで、私にとって初めてのコメディ観劇は怒涛の勢いで過ぎ去っていった。コメディっておもしろいなという気づきも得た。

私は演劇について学んだことはないし、コメディのなんたるかなど露ほども知らない。けれどもコメディという「喜劇」や「笑い」の中で、ふっと差し込まれる物語が点々と心に残る、そんな不思議な体験ができた。カーテンコールでお花様が「深刻な深い作品にも良さはありますが、こういう笑える作品もいいなと思いました」のようなことを言っていたのだが(記憶がだいぶ朧げであるし、たぶん深い作品というのはエリザベートやMAのことだろう)、そういう「笑える作品」だからこそ観客に強く印象を残すテーマもあるのだろうと思う。


カーテンコールでは、キャストさんが皆さん「できればまだやりたい、またやりたい」とおっしゃっていたのが嬉しかった。お花様が「私、オリーブやりたい!」といえば、大地さんが「じゃあ私はフローレンスをやるー!」とおっしゃっていて、もし叶うのなら、それはぜひ観たい。舞台は終わってしまったが、最後の最後まで笑いの絶えない、よい舞台だった。





<おまけ>
20年来のお花様への愛を叫んだ記事はこちらです。


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