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ビュー数が可視化された世界を知っていると、ダッシュボードがどうでもよくなるよ

学生時代に落語と自主制作映画を嗜んでいたことがある。
人前で落語を披露する側、映画を作って上映する側だ。

そのせいだろうか。
noteのビュー数、スキ数、フォロワー数に、興味がない。
もちろん読んでいただいて、スキ、フォローしていただくこと自体はめちゃくちゃ嬉しい。(みなさんいつもありがとうございます!)

それと、「数を気に病む」こととは話が別。


ダッシュボードの数を気にしない、というのは毎日更新族にとって強みだ。

たとえば、一昨日の投稿「通知が止まらんww」状態になって私の日常生活を侵害した『暇を持て余したnoterたちの遊び 「#note珍百景マガジン」はじめます』と、昨日投稿した平和な日常回『油森家の珈琲ライフ【焙煎編:生豆の選別】』とではビュー数に明らかな差がある。
前者は約1250PV、後者は約300PV。
※ 普段は400PVぐらいだけど昨日ちょっと少なかったのは、できたてホヤホヤの「note珍百景マガジン」と「エモマガジン」のピックが乱発されてタイムラインが激流になったからだろうか。とか考察するのは楽しい。

PVにこんな落差があっても、数字に興味がなければ一喜一憂しなくて済む。
淡々と毎日更新するのみ。

ここで、突然のおことわり。
『暇もてマガジン』を機にフォローしてくださった方へ。
いつもそんなに狂気的noteを書くわけではないのです。真面目です。


なんで淡々としているかというとだな。
あれです。
アマチュア公演に来るリアル観客の反応を知っているから。

私たちnoter、特にエッセイ畑のユーザーはほとんどがアマチュアである。
noteで生計を立てている人などいない。
(トップユーザーでも、noteがメイン収入になるような方はいらっしゃらないですよね?)

アマチュア公演をふらりと見にくる人なんて、酔狂な人だ。
街中で知らない人が「○○上演中ですー。入場無料なのでお願いしまーす。」と客引きするのに、あなたはホイホイついていくだろうか?

酔狂な人がふらっと立ち寄ってくれて、ふらっと出ていく。
ビュー数=熱狂的な私のファンの数、ではない。

なかには熱いアンケートを書いてくれたり、会場を出るときに「よかったよ」と言ってくれる人がいる。スキ、とか、コメントみたいな感じで。


淡々と作品を作って発表するうちに、演者名、監督名を見て公演に来てくれる人が出てくる。
noteで言うフォロワー。ありがたい存在。
これも、数を意識して稼いだフォロワーでないからありがたいのだ。

ただ、フォロワーも「熱狂的な私のファン」としては捉えていない。
フォローの基準は人それぞれ。
とにかく目についたnoterを片端からフォローする人もいるし、ちょっと気になるからフォローしとこう、いや、タイムラインが高速で流れていくのが耐えられないからフォローは極力少なめに(私はこのタイプ)、フォロワー数獲得をゲームのように楽しむ人、と様々だ。
「フォロワー」として一括りにはできない、多様な姿勢がそこにはある。


「スキ返します」「フォロバ100%」と書かれている人のnoteを、私は基本的に読みに行かない。
彼/彼女らは営業さんだからだ。
落語公演や映画の上映会でも、他の表現系部活動や他大学の渉外部門(外部との調整を担当する役職)の学生が必ず来ていた。
「○月○日はうちの公演なので、見に来てください。」とチラシを渡しあう関係。
作品目当てで来ている人たちではない。

学生時代は私も渉外を担当し、他団体の公演に足しげく通ったりしたけれど、noteではしたくないや。
私の客席に営業さんは座らなくてもいい。
私も、読みたい人のnoteを読んで、スキと思ったときに♡を押すから。


学生時代に一緒に活動した人の中で、そのままプロになった人が何人かいる。
映画部時代の後輩は、国際映画祭の正式招待を受けるまでの映画監督になった。

彼らは、営業さんを増やしたから売れたのではない。
営業さんの中に、誰かを有名にするだけの決定権を持つ人っていないだろ。
コンペに応募するなどはしているが、それだって地道に作った作品を応募する、それだけの話。
(そして、受賞したからってガラッと人生が変わるようなコンペってそんなにない。私だって、大学時代にちょっとした学生映画祭で入賞したことはある。)
彼らがしたことは、粛々と作品を作り続けた。ただそれだけ。


いまのところnoteを書くこと自体が楽しくて、何らかのプロになるつもりがない私なら、なおさらやることは粛々と文字を連ねることのみ。
私の打った文字で、誰かが喜んでくれたらそれで満足だ。


みなさん、いつも読んでくれてありがとう!

♡を押すと小動物が出ます。