見出し画像

【小説】この安らぎがいつまでも続きますように

ずっとずっと、煮えたぎっていた。男の人に触れられるのが嫌い、キスをされるのが嫌い、セックスはもっと嫌い。

あれはなんだったんだろう。
両親が留守の間に自宅にかかってきた電話。
小学校4年生だった私は、お利口さんに電話に出た。
「もしもし須藤です。」
「もしもし、お父さんとお母さんはお出かけ?あのね、お母さんに伝えてほしいことがあってね。今から、商品名を言うからメモして。間違いがないか確認したいから、ぼくが言ったことを繰り返してね。」
男は数個単語を言って、私もそのままオウム返しした。
「君が言ったのは、すごくいやらしい言葉だよ。ちゃんと録音させてもらったから。クラスのみんなに聞かれたくなかったら言うことを聞いて。」
男は服を脱ぐように指示し、身体を触るように言った。

電話越しだった。男は直接、身体に危害を与えたわけじゃない。
それでも十分におぞましかった。
私の心に、男性への恐怖心と性的なものへの嫌悪を植え付けるのに十分な出来事だった。


それからの15年間に何度か恋人ができた。
あんな目にあっても、体温を感じる存在に横にいてほしい気持ちの方が強かった。

ずっと失望している。
私と親密になろうとする男の目には、多かれ少なかれ性的な色が含まれていた。
上手に隠そうとする人もいれば、言葉や行動でむき出しの欲望をぶつけてくる人もいる。
人間的に惹かれると思って付き合いはじめた相手でも、いざそうなる前には一瞬でおそろしい目つきになる。
怖い。

私は、性の対象でしかないのだろうか。
私の魂だけを、愛してくれる人はいないのだろうか。



職場から徒歩10分のヨウタの家で、デスクトップパソコンのキーボードを叩く。
家のパソコンが外付けHDDにアクセスできなくなった。
仕事中に顔を曇らせて嘆いていたヨウタの様子があまりにも面白くて、ちょっと見てあげようか、と私から申し出たのだ。

原因はすぐにわかった。デバイスが認識されていない基本中の基本トラブルだったけれど、テンパっていたのかな。ヨウタにしては珍しいうっかりだ。

「え、もうできたの。」
家を出て横断歩道を渡った向かいのコンビニまで、熱いコーヒーを買いに行ったヨウタが帰ってきた。
「できたよ。」
得意満面の笑みで、私は鼻息をふんっとした。
「すげー、ほんとだ直ってる。ゆりちゃんありがとう。」
ヨウタはソファ前のローテーブルにコーヒーを置くと言った。
「ちょっとソファ座って話そう。コーヒー買ってきちゃったし。」

何を話したっけ。
職場では一緒のチームで働き、飲み会でもじゃれて、たまにランチも一緒に行く。
気が合うなぁとは思っていた。
でもソファで並んで座って、こんなに心が休まるとは。

手をつなぎたい、と思った。
つなぐじゃなくて、触れるでいい。
手に触れたい、と思った。

ヨウタはどう感じているんだろう。
楽しそうに話すその目には、私を性の対象として見る濁りはない。
私もヨウタと性的なことがしたいわけではない。
ただ、触れたい。ヨウタも同じだったらいいのに。

ソファから腰を浮かせて、ヨウタがソファに座り直した。
ちょっとだけふたりの距離を縮めた位置に。

気づいたら手が触れていた。
私の右手がヨウタの左手を握っていた。
ヨウタもそっと手を握り返してきた。
手を握ったまま、またいろいろ話をした。
何を話したっけ。


「こんなことを言うと引かれるかもしれないけれど。ハグしたい。」
安らぎながらもどこか怯えているようなヨウタの目に、依然として濁りはなかった。
私だって。いや、私の方こそハグしたい。
やっと見つけた。純粋な「触れたい」を。

温かくて滑らかな首筋、鎖骨に感じる唇の柔らかさ。
心臓と直に接しているかのような力強い鼓動、ふわりと漂う髪の香り。
額に移動した唇が、恐る恐るおりてくる。
甘い感触、柔らかい舌。
頭を左右から手で包まれて、顔をまじまじと見られる。
かわいい、と漏らした彼の目に、やはり濁りはなかった。

ふたたびつなぎ直した手はうっすらと汗ばんでいた。
コーヒーは、まだ温かかった。

金魚が泳ぐ水槽を、ぼーっと見つめるヨウタ。
ヨウタを、ぼーっと見つめる私。

安らぐ。この安らぎがずっと続けばいいな。


--

#写真から書いてみよう

ゆりちゃんとヨウタシリーズ第二弾でした。
ゆりちゃん、こんな悲しい過去があったのね。
ヨウタに出会えてよかったね。

第一弾はこちら。


♡を押すと小動物が出ます。