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迷子の迷子のキャリア迷子【リレーエッセイ⑪】 by マリナ油森

リレーエッセイ「あぁ、愛しのコンプレックス様」11番手としてコンプレックスにまつわるエッセイを書きました。
(先日投稿した告知noteはこちら
10番走者は逸見さん
私からのバトンを受け取る12番走者は、最後に発表いたします。

コンプレックス。

10代のころ。いじめに遭っていたせいで「ブス」と言われて育ち、容姿に自信がなかった。
20歳のとき。化粧をせず男の子のような短髪、メンズ服を好んで着ていたような私に「好きだ」と言ってくれる男性が現れた。
あるがままの私に、笑顔がかわいくて、とはにかみながら言う彼のおかげで私の容姿に対するコンプレックスはゆっくりと、跡形もなく消え失せた。

自分で言うのもなんだが頭の回転は早い方だ。
学校での成績は常にトップ争いをしていたし、社会に出てからも要領よく仕事をこなした。
お金をたくさん稼ぎ、遊びにたくさん注ぎ込んだ。
自分の能力に対してコンプレックスは元々ない。

成人してからできた友人は、自己肯定感の高い人ばかり。
それぞれ捉えようによっては欠点といえる性質を持ちながら「それが私」と胸を張るような人たち。
性格のでこぼこを楽しみながら、おのおの自由に振る舞いあった。
天真爛漫さが鼻につく、と陰から攻撃されたこともあったが「嫉妬、超気持ちいいです。もっとくれ。」と思うぐらいには調子に乗っていた。

20代の私は鬱屈していた10代の頃とは打って変わって、憎たらしいほどにコンプレックスとは無縁の生活を送っていた。
(何の努力もせずにコンプレックスのない生活を手に入れたかというと、そうではないことは記しておく。いちおう。)


30代、出産を経て小さい子を育てているいま。
真綿で首を絞めるようなコンプレックスに悩まされている。

私はお金を稼いでいない。

退職を決断したのは私自身だ。
家を起点に夫婦が逆方面へ1時間半〜2時間かけて通勤する、その生活を終わらせようと思った。
私の前職はシステムエンジニアだ。
プログラミングスキルもマネジメントスキルもある。
フリーランスになるなり起業するなりすればいいか、と勢いのあった私は考えていた。

妊娠出産育児は想像以上に心身にダメージを与えた。
少し動くだけで激しい動悸に襲われた妊娠中期以降。
当時住んでいた家の近くの横断歩道は青信号の時間が極端に短かった。
横断歩道を渡りきるため足を早めただけで、心臓は早鐘のように打ち、顔は青ざめ、意識が白く飛びそうになった。
たどり着いた反対側の歩道で幾度となくじっとしゃがみこんだ。
身体に刻み込まれる恐怖感。
それを繰り返すたびに「無理をしてはいけない」と心身にブレーキをかける癖がついた。

産後の夜泣き。長男はそこまで苦労しなかったが(とはいえ人並みに辛かったが)、次男の夜泣きは苛烈だった。
昼夜問わず気絶しては叩き起こされる日々、両実家は遠方で頼れない。
睡眠時間が一日あたり細切れ2〜3時間の日が1年以上続いた。
夜泣きから解放されたあとも、少し活動的に動くと翌日は寝込み、次の1週間は家事育児もろくにできなくなるポンコツな体になってしまった。

加えて、夫が出張と転勤の多い部署に異動した。
長男を産んでからの3年間、夫は毎週もしくは隔週で出張し、私たち家族は3回引っ越しをし、住環境が変わるたびに私は心身の調子を崩した。


学生時分から「子どもを産んでも働くべき」と強固に信じていた私。
これだけ心身の調子を崩しやすい環境にいても、収入を得ていないのは甘えなのではないかと自分を責めてしまう。
実際に甘えているのかもしれない。病気を抱えながら、育児や介護をしながら、しっかり働いている人はたくさんいる。
アグレッシブに過ごした過去の経験からしても、最初の一歩を踏み出してしまえば簡単なことであることは薄々わかっている。

でも、できない。再び心身の調子が崩れてしまうのが怖くてできない。
行動を起こさなければとアクセルを踏もうとする私と、いま無理をして取り返しのつかないほどに自分が壊れたらどうするんだとブレーキをかける私が、頭の中で堂々巡りの議論を繰り広げる。
忙しくも充実しているように見える、ワーキングマザーの姿を見ては羨望のため息が漏れる。

「勢いのある自分」を前提として未来を描いていた私は、完全にキャリア迷子になっていた。
家事をして育児をする私にまとわりついて離れないコンプレックス。


……驚いた。
コンプレックスに囚われて鬱々としている私を救ってくれるかもしれないものができたのだ。
noteだ。

とにかく気晴らしがしたくて書き始めたnote。
2019年6月に始めたこの趣味は、たくさんの出会いと喜びを私にもたらした。
あてもなくふらふら歩き出し、歩くこと自体を楽しんでいるうちに、足腰が強くなった気がする。足取りが軽くなり、速く遠く駆けることができる気がしてきた。
noteで見える景色が、始めたばかりの6月とはまったく異なることに、今さらながらびっくりする。

noteを収入の柱にしたいという考えはない。
あくまでもnoteは趣味だ。私が気ままに過ごすことのできる「楽しい街」。

でもこの、自分の好きなように振る舞い、遊んでいるうちに、気づけば環境が変わっている感覚。
この多幸感は今後、なにか事を起こすときに私を助けてくれるであろう予感がする。


年明けから夫が海外に赴任する。帯同家族は数ヶ月遅れの春に渡航することが決まった。
ビザの関係で原則的に帯同家族は収入を伴う就労を禁じられており、私はまた働けない環境に身を置くことになる。それ以前に、環境の激変により日常生活を送るだけでいっぱいいっぱいになるだろう。

しかし、今度こそは落ち着いてコンプレックスと向き合うことができそうだ。
未来を明るく夢想するぐらい余裕を持てるのではないかなぁ、と穏やかな希望さえ持てている。

ありがとうnote。向こうでもお世話になります。
コンプレックスよ、長い付き合いになりそうだね。
またしばらくよろしくね。




次の走者は Mica(ひらいみか)さん。

彼女はこう書く。

"ひとりの人間として踠いてきた人生。あれやこれやと自分なりに爪痕をつけてきたつもりだけれど「子育て」という世界に身を置くと、それがあっという間に遠い過去になって、リセットされたような気分になってしまう。"

あー、もう、首がもげるほどうなずいた。まさに私のコンプレックスと同根。

Micaさんは、渡航先でご近所noterになる予定の方だ。
どれぐらい家が近くなるかな。楽しみ。
Micaさんの記事をもう1つ紹介する。

"それでも、直接会ってハグする温かさには、きっと敵わないんだ。"

バーチャル(URL)からリアル(IRL)へ。
noteで出会った私たちも、リアルで出会えますね。会ったらハグしよう。

第2回note酒場で串揚げをつまみつつお話しした、徳力基彦さんがおっしゃったんです。
「引っ越すのかー。あっちでさ、ピースオブケイクサテライトオフィスをやってよ。ぜひ。」
酔っ払っての発言なので公式バックアップがつくよ、というお約束ではまったくないのだけど、面白そうだなと思っちゃった。
ピ社サテライトオフィスは冗談でも、2人でなにか、note関連のリアルイベントでもしませんか。
いきなりはハードル高いから、リアル世界でいっぱいお話しして、遊んで、信頼関係を積み重ねたあとにでも。

私は私のコンプレックスを吹っ飛ばすため、そしてそれを上回る「ただひたすらに楽しむ」という幸せな感情のため。
Micaさん、暑苦しい奴が行くけど、ハグしてくれると嬉しい。


海外生活の先輩、Micaさん。
バトンを受け取ることを快諾してくださって、ありがとうございます。
国内にいるだけでは味わえない様々な経験をされているであろうMicaさん。
不安を素直に綴り、前向きな言葉で締める。
そんな文章を書かれるMicaさんの、コンプレックスをテーマにしたエッセイ、とても興味があります。

楽しみだ。バトンたしかにお渡しします。
みなさんもお楽しみに!

♡を押すと小動物が出ます。