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#わたしをかたちづくったもの 上品なおともだちの上品な異論グセ

いささか古風な関西弁で彼女は話す。
「わたし、思うんやけどね、みなさんこう言ってはるけれど、これってこういうことも言えるんじゃないかと思うの。」


大学構内のカフェにて、同棲中の恋人との衛生観念が合わないと愚痴る男友達を、女子4人で囲み盛り上がっていた。
「歯磨きが、夜寝る前の一回だけなんよ。俺は毎食後に磨くのに。」
「えー、三回磨いた方がいいよねー。」
「皿洗いもシンクいっぱいになるまで放置やし。溢れそうになってやっと洗う。俺は皿が入りっぱなしだと気持ち悪いからすぐ洗う派やねん。たいがい俺が我慢できなくてすぐ洗う。」
「えー、汚いお皿を放置って気持ち悪いー。」

ふいに上品な彼女が口を開いた。
「話の流れをさえぎるようで悪いんやけど、ちょっといいかしら。」
柔らかい雰囲気を崩さないまま彼女は続けた。
「気分を悪くされたらごめんなさいね。こういう衛生の話って、より潔癖な方が賞賛されがちやんか。でもね、よう考えてみたら、ほんまはどっちでもいいことなんと違うかなぁと思うの。歯磨きはお口の健康が保たれてたらそれで十分やし、お皿洗いも最終的にちゃんと洗うんやったらタイミングの問題だけと違うかしら。」
お皿洗い、家事の偏りは問題やからそこはふたりでよう話し合うてもろて、と補足し、彼女は再び口をつぐんで微笑んだ。

みんな、はぁーっとため息をつき、その視点はなかったわぁ、と唸った。
愚痴モードだった男友達も、おぉサンキュちょっと今日話してみるわ、と憑き物が落ちたような顔をしていた。
でも、ちょっと口が臭うんだわあのひと、と続けた男友達に、それは心配やね歯医者さんにかかったほうがええんとちがう、と彼女は笑った。

彼女はいつもそうなのだ。
上品に異論を切り出し、みんなの視点を瞬時にひっくり返す。
反感を抱かせない鮮やかな話術は、切れ味鋭いメスを使い、出血量を最低限に抑えて開腹手術を行う腕のいい外科医のようだ。
流血させることなく、その場の毒が取り除かれてしまう。

ときどき誰にも受け入れられない異論を放つこともあったが、そういうときも彼女は上品でお茶目だった。

大学時代はほとんどの時間を彼女と一緒に過ごしたから、彼女の上品な異論グセはすっかり私にも染み付いた。


それまでの友達づきあいは「共感ベース」。
それわかる、一緒だね。それはときに、私を苦しめた。
上手に異議を唱えられなくて、場の空気を乱したりもした。
みんなの話に共感できないことが多い私は、ちょっと変なのかな。

上品な彼女に出会ってからは「異論ベース」を好むようになった。
「異論」はいい。異論を場に放つことで会話は活気を増す。お互いの視野を広げあう。広がった視野は共感に落ち着くこともあるし、理解のできないまま「いろんな人がいるなぁ」と感じ入ることもある。

確固たる自分を持たなければならない、という強迫観念からも逃れることができた。
いろんな考えに触れて、ぐにゃぐにゃカタチを変えつづける「自分」の方がずっとずっと居心地がいい。アメーバみたいにいろんな考えを捕食してさ。

ワイワイと盛り上がる人々の中で、異論を唱えられる人。
そういう人は集団からは外れがちで、こちらから探しに行かないと見つからないのだけれど、意外にたくさんいる。
私は異論を語れる仲間を見つけ出すことに喜びを感じるようになった。


noteはすごい。
「共感」も渦巻いているが、同じだけ「異論」も渦巻いている。
見つけに行かなくても、私の好きな異論が、毎日ポンポンとnoteの街に放たれる。
読めば読むほど、世界が広がる。

異論グセの彼女と一緒に過ごした時間は、私がnoteを書くときにも生きている。
彼女の上品さを受け継いだ私は、エレガントな異論を書くよ。


ちなみに最近一番「わかんねー!」と衝撃を受けたのはこちらのnote。

何回読んでもわからない。
でも、わからないことを楽しめるようになったのは上品な彼女のおかげ。


これからも、よろしく。noteの街の異論たち。
私の世界は毎日広がる。
私のカタチは変わりつづける。


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(こちらの企画に参加しています。第二回「#わたしをかたちづくったもの」)


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