1. ハロウィン(平成30年10月31日)

ゾンビなら誰でもできる、と言われて来たものの、やっぱりガチな人たちは違う。

佐藤大輝は思い知った。

交差点を徘徊する数体のゾンビ達。破損した体から覗くどす黒い血肉や、破れた衣服、口元に付着した鮮血、生気を失った目つきや社会性の欠片も見受けられない歩き方に至るまで、大輝は圧倒され、自分の姿が少し恥ずかしくなった。

バイト仲間の奈緒ちゃんに言われるがまま、奈緒ちゃんの友達の美大生「もっさん」に顔をメイクされ、数少ない手持ち服の中から唯一いらないものを選んでボロく加工した結果、口の片側が大きく裂けて歯が露出したグロテスクな顔面に、高校の校章入りのズタボロのジャージという、何とも締まらない格好で、大輝はハロウィン真っ盛りの渋谷にはじめて乗り込むことになった。

週末のトラック横転事件の影響もあるのか、機動隊まで動員された渋谷の街には、妙な緊張感が漂っていた。連れの二人は大輝のメイクを仕上げた後、自分たちの仮装のために臨時更衣室に行っており、一人でゾンビになりきるほどのやる気もない大輝は、109前で大人しく突っ立って、ハロウィンの見物をしていた。

手の込んだアニメや映画のキャラクターのコスプレ、間に合わせで買ったらしき安っぽい既製品、思い思いの衣装に身を包んだ人々がひしめき合う歩行者天国の交差点で、そのゾンビたちは瞬く間に周囲の注目を集めた。

いち早く、ピカチュウのパーカーを着たおねえさんが写真撮影を求めて近づくのを、大輝はぼおっと見ていた。

と、それに応じるようにヨタヨタと歩み寄ったゾンビの一人が、突然おねえさんの首筋に噛み付いた。

大輝は思わず「あっ」と声を上げた。倒れたピカチュウのおねえさんの体は次第に痙攣をはじめ、起き上がるや、今度は周りの人を襲い始めている。大輝はそれを呆然と見つめていた。そして、そのうちに気がついた。これは「フラッシュモブ」というやつだ。よくよく見れば、ゾンビ達は近づいた人々を無差別に襲っているわけではないらしい。襲われる側も含め、きちんと集団としての統率が働いているらしきことが大輝にもわかった。

それにしても、襲われる人間の恐怖と戸惑いの演技、そして噛まれてからゾンビになるまでの流れのスムーズさは目を見張るものだった。一体、どれだけ前から準備していたのか。元々俳優か何かの集団なのか。交差点に居合わせた人々も、今は事情を察した様子で観客としてパフォーマンスを楽しんでいる。大輝もスマホを構えてなんとなく動画を録り始め、そしてふと、画面越しに見える一人の人物が気になり出した。

これだけよく出来たパフォーマンスの中に、どうしてあの人は参加できたんだろう。

ゾンビの集団の中にフラフラと合流した、あの小柄なおじさん。自分と比べても、正直、ゾンビとしてのクオリティーは低い。動きも単に鈍いだけで普通だ。よく見ると首筋に怪我をしてるみたいだけど、それだけだ。あれじゃあ、ただの怪我したおじさんじゃないか。何の迫力もない。その上、段取りも覚えられてない。最初に噛まれたピカチュウのおねえさんに噛み付いちゃってるし、完全に足引っ張ってる。もしかして、勝手に入ってきちゃったんじゃないか。

「佐藤くん!」

突然呼ばれて振り返ると、センター街の人混みの前に奈緒ちゃんがいた。大輝は動画の撮影を停止し、駆け寄る。禍々しくも可愛らしいゾンビ姿の奈緒ちゃんの背後に、それはいた。

「…もっさん…さん?」
「『さん』いらないですって」

それぞれ正面と左右を向いた三つの顔の奥からもっさんの声が響いた。合掌している手の他に、肩からは四本の腕が伸びている。

「仏像っすか…?」
「興福寺の阿修羅像です」

精巧だった。仏像に疎い大輝からすれば、中から声がするということ以外、本物の仏像との違いなど全くわからない。正面の顔。わずかに眉をひそめた、怒りとも悲しみとも慈愛ともつかないその表情に、大輝は訳も分からず引き込まれ、なんとなく「ありがたい」と思った。きっと、もっさんが本気でゾンビに化けたら、交差点のゾンビ達に匹敵する出来に仕上がるに違いない。その技術と才能と労力を、なぜか彼女は仏像に全て投入した。そして、ハロウィンの渋谷で浮いている。

「身長がほとんど同じなんで、ほぼ一分の一スケールです」

もっさんは少し誇らしげな声でそう言った。

「何あれ…」

奈緒ちゃんは、大輝の肩越しに交差点の方を心配そうに見つめていた。大輝は事の次第を見届けていた自負から少し得意になり、後ろを振り返ることもなく奈緒ちゃんに教えてあげた。

「ああ、フラッシュモブってやつみたいよ?」
「なんか怖くない?」

大輝は奈緒ちゃんの恐怖心をほぐすべく、気の利いた一言をひねり出そうとした。

「きっとそろそろ全員で踊りだすんじゃない?」
「……?」

キョトンとされた。

「……」

もっさんはもっさんで黙っている。ゾンビ達を見て怒ってるようにも見えるが、悲しんでるようにも見えるし、見守ってるようにも見える。いや、そもそも見てもいないかもしれない。顔からは読み切れない。なにせ阿修羅像だ。

「せっかくだから写真撮ろうか」
「あ、そうだね。ありがとう」

奈緒ちゃんともっさんが一歩下がって肩を寄せて並んだので、自動的に大輝が撮影係のような格好になった。釈然としない大輝であったが、しかし、どのみち狙いは別にあるのだ。せっかくIDを教えてもらったのに必要な連絡事項以外にメッセージが送れないでいた奈緒ちゃんと、後から写真共有をきっかけに何気ないやり取りをするのである。「今日はありがとねー」みたいなやつを。それは大輝にとっては大きな飛躍なのである。

阿修羅像の首元に噛み付こうとする奈緒ちゃんゾンビ。よく考えれば全くわけの分からない構図だが、そんなことは気にも留めず、大輝はスマホを構え、合図とともにシャッターボタンをタップした。

……動画モードになっていた。

「……?」
「……」

奈緒ちゃんがまたキョトンとしてしまった。もっさんはよくわからない。

「ごめん、動画になってた」

余裕の笑顔を見せつつも焦っていた大輝は、写真モードに切り替える操作を誤り、カメラのインとアウトの切り替えボタンを押してしまった。

奈緒ちゃんともっさんの姿から画面がくるりと反転して、表示された自分の姿。その首元で、ピカチュウのフードをかぶったおねえさんが口を開けていた。

柔らかくて冷たい感触の後に、硬いものが肉にめり込む音が首を伝って頭の中に響いた。

スマホの画面に映る自分の姿は、なんだかそれとは無関係な作り物みたい見える。首元から真っ赤な特殊メイクが見えて、血糊が噴き出した。

よく出来てるなあ、と、大輝は思った。

急に腕の力が抜けて、スマホが視界から消えた。もっさんが呆然とする奈緒ちゃんの手を引っ張って、道玄坂に向かって一目散に走り出す。ずっと合掌していた阿修羅像の手が意外と機敏に動くのを見て、大輝は、あれ動くんだな、と、最後に思った。

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