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マルタ島でレコードを探す── 「あぶらだこ」とタコのコルゼッティ (前編)

インスタからいらしたみなさまありがとうございます。
コロナ前に書いてそのままにしておいたテキストなので情報の鮮度はどうだかわかりませんが、レコード屋は当時もそこまで活気がなく、しかしだからこそ、いまでもゆったりと営業を続けているような気がします。
旅の参考にしてください。


 ギリギリまで引っぱった確定申告にて残酷にも数値化された2018年度の怠惰と出費。そこからモクモクと立ち昇る暗雲を忘れたことにして、地中海に旅してきました。
 マルタ島、ゴゾ島、そしてコミノ島への縦断旅行です。

 といってもこれらの島は、フェリーでビールでも飲んでいればすぐに着いてしまう距離にあり、3つでひとつの印象。
 マルタ島は東京23区のはんぶんぐらいの大きさの島。ゴゾ島はさらにそのはんぶん。コミノ島に至っては、さらにその20分の1ぐらいで、人は暮らしていません。電気もきていません。
 ステーキにたとえるならば、マルタ島が肉でゴゾ島がマッシュポテト。コミノ島はルッコラでしょうか。

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 しかしリゾートとしてのコミノ島は、わたしの人生屈指のパライソでした。
 この地には30分おきの小さなフェリーで15名ほどしか訪れないこともあり、新品の筆洗いにコバルト・グリーンを溶いたような海・海・海。そして素足で走れば簡単に20針はいくであろう鋭利な岩の卓状台地が織りなす対比の美は、生や死や世界の仕組みを想うのに最適な場所でありました。
 ミシェル・ウエルベックの『ランサローテ島』から建造物とカルトを抜いたような光景が視界いっぱいに続くのです。

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 ゴゾ島はというと首都Victoriaで開催されていた宗教色豊かなお祭りを少し廻っただけで、自分がなにかを書く資格はありません。レコード屋もないと思います。
 到着したのが週末朝のチェックイン前だったため、思うように両替ができず、フェリー港から無一文でタクシーに乗り、ATMまで急いでもらったという恥の記憶だけが鮮明に残っています。
 なにせガイドブックの類いは薄目でしか見ませんから、「島には電車など走っていない」という事実も現地に着いてから知ったのです。

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 そのバスの時刻表というのも、あってないようなもの。ちょうど自分はダイヤの改正時に当たってしまったようで、移動のストレスはかなりのものでした。
 ホテル近くの停留所にはいくら待ってもバスがきませんでした。
 10分ほど歩いてハブ停留所まで出てみても、行き先がブランクのままの幽霊車両が3~4台停車しているのみで、みんなが「ひとまずこれに並んでみっか~」と集まるのですが、目的地が表示されるやいなや、半分ぐらいの人が暗い表情になり解散します。

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 対向車線のバスに至っては思い切りルートを外れていたようで、老人だらけの乗客たちを中央分離帯の謎スペースに置き去りするという光景すら目にしました。
 そのときばかりは遮光ガラスからくる仄暗さが、護送車のそれのように見えたものです。

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 さて本題です。
 マルタ島です。
 レコードです。

 レコード屋は、自分が探した限り、3店舗しかありませんでした。

 もっとも有名なのは、首都Valletta地区にあるD'Amato Records(写真なし)。創業「1885年」という世界最古のお店です。当然ながら、SP盤もLP盤もない時代の開店セールです。
 Wikipediaに間違いがなければ、レコード(そしてこの店)の大先輩はエジソン考案の「フォノグラフ」で、1877年。エミール・ベルリナー開発の「グラモフォン」が1887年なのでギリ後輩。しかしそれらの新規格も民生用化はされておらず、かのEric Dolphyが独白したところの「音楽は空気に放たれると同時に霧散し、 ふたたび取り戻すことはできない」が当然であった時代。
 つまりはおそらく、D'Amato Recordsはシート・ミュージック(楽譜)の専門店としてオープンしたのでしょう。

 しかし残念ながら、その時代の面影はいっさいありませんでした。
 クリーンな店内には、ボロボロのジミヘンUS盤が25€。ディランが30€。ボウイが50€。5€のバーゲン棚にはクタクタのJames Lastが100枚ほど犇いており、新譜もメジャー・レーベルのものばかり。現在の東京にオープンすれば、2週間すら危うい没個性です。
 木目調の美しいターンテーブルやボックス・セットの品揃えが充実していたので、オールド・ロックを懐かしむ富裕層を狙い営業しているのかもしれません。

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 つぎはSunset Records(写真なし)。
 ここはネットで調べました。Vallettaに次いでの繁華街であり、ヴィンテージの古着屋やコミックの専門店などもあるSliemaの小径でひっそりと営業しているダンス・ミュージックの専門店です。

 中古盤は70~80年代のディスコやジャズ・ファンクが3割。90~10年代のハウスやテクノが2割。価格はどれもディスクユニオンさんの3割増し。あとの在庫は日本でも買える新譜です。
 とはいえきちんと商品は回転しているようです。
 マルタ島のクラブやライブハウスはSt. Julianという地区に密集しているのですが、どのハコにもチャージがないのでハシゴを前提に酒を浴び、移動時の夜風をツマミに朝まで、というのが一般的な遊び方。そのぶんDJの需要もありそうで、であればこそ、この店も続けていられるのでしょう。

 スタッフごとの趣味を反映しているのか、壁にはロックの新譜も少し。この日はLowの『Double Negative』が大音量でかかっていました。
「なにか探してる?」
「ううん。見てるだけ。このアルバムいいよね」
 と少しだけオーナーさんと話をしましたが、あまり話すとなにか買わないと悪い気持ちになるので、「自分はCD派だから」と退散しました。

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 そもそも現在の自分はそこまでレコードを欲しがっていません。
 某カルチャー誌の編集者として、ある女性アーティストの海外デビュー(つまりは逆輸入戦略)の「ペン担当」としてロンドンまで連れていってもらったにも拘らず、フリーの日にダンボール6箱もの中古盤を買い込み、ホテルの部屋は倉庫のようになり、「なにしにきたんだお前!」と怒られたりすることはもうありません。
 ですから今回も、あくまで観光の「ついでに」という感覚でいたのですが、最終日に発見したレコード店と、そこへのワインディング・ロードには、旅の醍醐味というものが集約されていました。

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 出会いはあるレストランでのことでした。
 マルタ島の名物はタコとウサギです。
 ほかにも、柔らかなリコッタチーズをハードなパイ生地で包んだ軽食「パスティッツィ」や、牛肉のハンバーグを薄切りの牛肉で巻いて煮込んだ伝統料理「ブラジオリ」など美味しいものはたくさんあったのですが、よりローカルな素材の味をダイレクトに楽しめたのはこのふたつでした。

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 そんなわけで、自分はその日もValletta地区のレストランの店頭に「polpo」と「coniglio」の文字を見つけ、イタリアン・ワインを飲んでいました。
 ランチの喧騒は去り、客は自分のみ。若き日のデニーロをさらに10キロほど絞ったような長身の男性店員は、店内のBGMを止め、自分のiPhoneからレゲエやDUBをかけていました。
 長身は「ドウイタシマシテ」程度の日本語ができ、自分は彼に電話を借りたこともあり、会計の際に「レゲエよかったよ」と話しかけたことから、僕らの雑談は「日本のハードコア・パンク」に飛躍しました。
 彼は相当な音楽フリークなのだと思います。「きみは日本人?  だったら〈あぶらだこ〉は知ってる?」と話しかけてきたのです。
 自分が「もちろん知ってるよ」と答えると、その瞬間、彼は「きぃいいいいいい!」と奇声をあげ、首筋の鳥肌を両手で宥めるような仕草で後ろに仰け反りました。そこから、「GAUSEは?  MELT BANANAは?」と早口になり、目は爛々と輝き続けます。
 Vallettaは観光客ばかりの地域ですから、自分程度の知識でも「本気のがきた」という感覚なのでしょう。
 自分もガセネタやSSなどのカードを出し、とても喜んでもらいました。

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 海外(とくにヨーロッパ)での「JAPCORE」人気というのは絶大です。
 その理由は、DischargeらUKのオリジネイターよりも速く、濃く、それでいてテクニカルという純粋な音楽の密度によるものというのが定説です。彼らの耳には入らない日本語詞のため、精神性やアティチュードの部分に半透明のベールがかけられることで、サウンド(のカタマリ)のみに耳がいくというのも魅力なのかもしれません。それは英語に明るくない僕らが勝手なフィルタリングのもとUSヒップホップを聴く感覚にも近いのかと思います。
 さきほど写真家Daniel Sheaのインタヴューを読んでいたら、彼も日本のハードコア・パンクについて触れていました。
 ドイツ『FLEX!』誌の『DISCOGRAPHY OF JAPANESE PUNK HARDCORE MOD NOWAVE 1975-1986』は博覧強記の名編集でした。
 コレクターの多さが伺えるというものです。
 それは長身もしかりで、Discogsに給料を注ぎ込み『あぶらだこ(青盤)』のオリジナルを買ったといいます。

 そこで自分は、「〈あぶらだこ〉ってどういう意味か知ってる?  実はこの店にもあるものだよ。答えは〈タコと油〉。今日の〈あぶらだこ〉は本当に美味しかったよ」と伝えました。このバンド名に、よりパーソナルな由来があることは知っていましたが、日本代表の意地があったのです。
 彼はまた「きぃいいいいいい!」と破顔し、「ちょっと待ってろ」と、バックヤードから自分のiPadを持ち出してきました。
 そこに映し出されたのは、日本のバラエティ番組でした。
 彼がフルスクリーンにした画面には、ジャガー横田の旦那さん、木下博勝医師が若かりし頃にやっていたバンド「Tranquilizer」のYouTube映像が流れています。
 長身は「彼の本業はドクターなんでしょう? 〈精神安定剤〉ってバンド名はすごいよね!」と心の底から楽しそうにしています。

 そしてまた、「マルタでレコードは買ったか?  おれの友だちがいい店やってるんだよ」とも。

 今度は自分が「きぃいいいいいい!」となる番でした。

(続く)

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おかねはたいせつに。