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旅で自分なんて探せないんだけど、ただそこに自分はあるという感覚とノイズを得る

いま僕は、「民主主義はどこから来てどこへ行くのか」という問いに答えを出すために、アメリカにいます。もちろん大統領選挙を追って。
そちらについては、マガジン『ホラ吹き爺さん、嫌われ婆さん』に任せ、今日は少し「旅」と「なんで定期的に旅しているのか」について書こうと思います。

導入:旅

少し世代を遡って、今の30代、40代の方々にとって旅のバイブルになったのは沢木耕太郎さんの『深夜特急』かと思います。いや、今の時代もかなりのファンがいる作品ですよね。
ただ、少しバックパッカーよりも「観光客」寄りになるかもしれませんが、今の10代、20代にぜひおすすめしたい旅のバイブルは、東浩紀さんの『弱いつながり』です。2014年に出版された比較的新しい本です。

僕は「旅好き」というより、旅で得られる「ノイズ」と一人きりにならざるを得ない「手持ち無沙汰な時間」が欲しくて、定期的に旅に出ます。国内よりもどちらかというと国外のほうが多いような(といっても、まだ40カ国くらいで、本気で世界を回っているバックパッカーの方々に比べるとまだまだですが)。そして今回はアメリカ大陸を西から東へ、大統領キャンペーンを巡っていったり、ヒアリングしたりする旅にいます。
この本は、なぜ旅が大事なのかというのをそういう視点で真正面から書いてくださっている数少ない本です。

お金がないので、いわゆるバックパッカーという感じで旅をしてきましたが、皆さんご存知の通り、学生には「自分探し好き」、「旅に出たい」、「旅好き」という方々が非常に多く、道中たくさんの方に会ってきました。
僕自身、そういった形で若い時期に世界に触れる機会を作っている彼らを全く否定することはないのですが、どこか彼らとは根底にあるものが違うように感じて、結構旅している割には、旅好き学生界隈の方々とはほとんどお付き合いがないのです。なぜだろうか。その疑問を出発点に少し考えてみました。

前提その1:自分は見つからないので。

大前提として、僕自身は「自分」というものなんて見つかるはずないと思っています。なので旅に出たから自分が見つかるなんて、そんな簡単なことはないだろうと。むしろ人は「自分」を決定することができるし、しないといけない。つまり、旅でしていることというのは、「自分とは何者であって、何をしていく(べき)か」を決定するための判断材料と判断基準を集めているのです。
たくさん判断材料を集めまくって、自分を構成する要素を確認し、それまで育んだ価値観が判断基準となっていって、材料を取捨選択していったら、自分を決定しなきゃいけないタイミングで自分を決定づけます。
おそらく偉大な先人たちがこの「決定」のことを「僕(私)はこれなんだと気付いた」と言ったりするから、自分がなんか急に見つかる風に思っちゃうんだろうなと。たぶん偉大な先人たちってそれこそ頭ちぎれるくらい考えてるだろうに。

前提その2:僕は旅がけっこう嫌い。

僕は旅そのものは非常に嫌いなんですね。というより、新しい人に会うことが非常に怖い。これはもう自分の中では原因も含め確定していて、やっぱり物心ついてからいじめを経験したり、人の目を必要以上に気にする経験を持つと、新しい人に会うということに異常なほど敏感な恐怖を覚えるんです。
なので、旅なんていうと新しい人にしか会わないわけですから、それはそれは恐怖の連続なんですね。(しかし、恐怖であることと新しい人に会いたいという好奇心は併存するもので、それは厄介なんですが。)

何より、ぬくぬくと普通に行きていける日本の環境を抜け出し、たどたどしい言語で、いつもと違う交通機関、いつもと違う食事、いつもと違う宿を経て、目的地を転々としていく。いやぁけっこうきつい。

ググれる時代の旅の意味

すべての情報が手に入るに至ったこの「ググれカス」世界。どんな世界の写真も情報も何もかもが検索したら出てくるこの時代に、旅をする意味なんてどこにあるんだろうか。ここから先は旅したことのある人だけがウンウンと頷くものかもしれません。

東浩紀さんは前掲『弱いつながり』の中で、「旅は自分ではなく検索ワードを変える」とおっしゃいます。そう、いくら世界中の情報がGoogleの上にあったとしても、いくら情報が溢れかえっていようとも、適切な欲望のもとで適切なワードで検索し、膨大な結果から適切な取捨選択をしなければ、あなたにとってその情報は「ない」に等しいんです。

旅は、ノイズに溢れている

おそらくほぼすべての情報はネット上で見つかります。アメリカに来てから改めて気づいたのですが、ネット上に大統領選挙の情報はすべて転がっているので、日本にいても大体の情報は得られるし、取材して得た情報も結局はネット上で確認できました。

ただし、ここからが重要なのですが、日本にいる間、僕はその情報に届かなかった。僕にはその情報はなかったんです。アメリカに来ないと、適切な欲望は湧かず、そして取材先で聞くことができたワードでググることもしなかったので、その情報にはたどり着けなかったはずです。

そう、旅をしているということは、自分がいたこともない世界で呼吸をしているということであって、そのほとんどすべてが新しいノイズになっています。もちろんマクドナルドやスターバックスもあるし、クレジットカードは世界共通だったりしますが、そこで覚える一瞬の違和感もすべてノイズなんです。さもなくば触れられなかった違和感。

皆さんもご存知の通り、ネット・SNS社会では自分の欲しいとおもった情報しか得ることができません。昔のようにテレビを見て、半強制的に情報の受け手になることはなくなりました。今は鬱陶しい広告はスキップし、見たくない番組は消してオンラインで動画を見、めんどくさい人のタイムラインやツイートはミュートして興味のある人だけフォローします。
ネット・SNSは世界を繋げたというのは半分ホントで半分ウソ。実はSNSのコミュニティというのは、透明なフィルターでものすごく小さな世界で閉じ込められているんですが、それが透明な故に世界とつながっている感だけがある。

ところが、旅に出るとここに「自分のほしいと思っていなかった情報」が入り始めるんです。そして、まさか会うなんて思ってもいなかった人たちと会う。共通の友人が1人もいない人なんかにも会って、「おお久しぶりにこういう人が」と興奮してしまう。社会を分断している透明なクラスター壁をぶっ壊してくれるのです。

ノイズをブレンドする「時間」

しかし、ノイズはノイズのままで終わらせてしまっては意味がありません。日本でも違和感を覚える瞬間というのはあると思うのですが、日本にいる場合すぐにそのことは忘れてしまって次のことに移っている。

旅は、否が応にも一人きりで考えざるを得ない「手持ち無沙汰な時間」を与えてくれます。列車に乗ったり、バスで次の町に移動したり。このとき、すぐに答えが出なくてもいいんです。寝かして、たくさんのノイズとこれまでの知識や価値観をブレンドしていって、時を待ちます。そのうち何か急にメモが取りたくなる瞬間が訪れるんです本当に。

この「時間」というのは、忙しい日本にいれば相当得難い。何が忙しいといえば、予定があるなしにかかわらず、思考しないでいい機会が多すぎるんですよね。Wifiは早いし、誰か暇してるし、テレビはとりあえず何かやってるし、うまいもんはあるし、歩けば何かあるし、毎日あたらしいマンガ出てるし。
ところが、旅に出るとこうもいかない。Wifi動いてなかったり、電車来なかったり、街が停電したり。

価値観は複製可能性が低い

さて、長くなってしまいましたが、もうおしまいです。
昔は、物知りであることは大きな優位性であったのですが、何度も申し上げているように、ググったら答えが出てくる社会にあっては知識は人類共有のものです。ので、情報や知識は属人的ではなくなり、したがって複製可能性が非常に高い。

ところが、思考と経験に基づき形成された価値観というのは、大変複製可能性が低い。そしてこれからの時代は何よりこの「価値観」というのがどこまで人類共有のものにできるかが試されるわけで、「価値観」にとてつもない価値比重が置かれる時代になるわけです。

だから、可能な限り多様性を損なわない「価値観」を醸成するために、自分の得たい情報以外のノイズが欲しく、またそれをブレンドする時間が欲しくて、僕は定期的に旅をします、というお話でした。

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