北村浩子

フリーアナウンサー、ライター、日本語教師 FMヨコハマでニュースを担当したほか、本紹介…

北村浩子

フリーアナウンサー、ライター、日本語教師 FMヨコハマでニュースを担当したほか、本紹介番組「books A to Z」のパーソナリティを14年間務める。これまでに紹介した作品は2千作以上。

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  • 「花をもらう日」

    失業していた27歳のときの、約1年のこと。連載のように書いていきます。フィクションですが、ほぼノンフィクションです。

最近の記事

遠ざかりたい理由──九段理江『東京都同情塔』(新潮社)を読んで

〈日本人が日本語を捨てたがってるのは何も今に始まった話ではない〉 『東京都同情塔』(九段理江)のこの一文を読んで思い出したのは、ある日本語学習者に試験対策の問題を提示した時のことだ。 *中村課長は仕事に対していつもシビアだ。 ➀弱気だ ②柔軟だ ③厳しい ④注意深い シビアの意味を問う、日本語能力試験最上級N1レベルの(馬鹿げた)問題。ヨーロッパの国の出身である彼は即座に➂と答え、そして笑った。「なんで英語で言うの?」 わたしはとっさに「日本人は日本語を格好悪いと思って

    • 『花をもらう日』第四章 花をもらう日⑦(最終回)

       3月はまだ、冬だ。セーターにロングジャケット、マフラー姿でわたしは通勤している。去年の冬にも着ていたものだ。  1年前の自分は朝4時に起き、星を見ながら自転車に乗って仕事場へ通っていた。K市は星がきれいだった。コウモリもよく飛んでいた。 「コウモリ! カラスの見間違いじゃなくて?」 「うん、あれ、コウモリだったと思うんだよねえ」 「へえ……僕見たことないかもです」 「Y県は、ほうとうっていう太いうどんみたいな食べ物が有名なんだけど、ほうとうの店にはカエルやスズメ焼きってい

      • 『花をもらう日』第四章 花をもらう日⑥

         昔何をしていたか、は、その人の価値を高める要素にはならない。肝心なのは今何をしているか、だ。  わたしは今、家庭教師センターの、アルバイトだ。少し前までアナウンサーだったということに、事実であるという以上の意味はない。それに……アナウンサーだったって言ったって、そもそも全然たいしたレベルではなかったじゃんね……。  ひとつの思考はだいたい同じところを巡るものだが、そのあたりまで行くと必ず笑いそうになるのだった。そう、たいしたこと、何もしていないんだよね。有名でもなかったし、

        • 『花をもらう日』第一章 無職、はじまる①

          「またいつかどこかでお会いしましょう。さようなら」  言い終えるとわたしはカフ(マイクのスイッチ)を下げ、残りのBGMを聞き、ヘッドホンを外してお茶を一口飲んだ。テーブルの上に散らばっているキューシート(進行台本)を集め、角を揃えて立ち上がる。番組がCMに切り替わるのを待って、スタジオの防音扉をゆっくりと押す。  スタッフが2列になって花道を作ってくれている。拍手と歓声がかるい地鳴りのように耳に届く。背中で扉が、空気を含んだいつも通りの音を立てて閉まる。  お疲れさまでしたー

        遠ざかりたい理由──九段理江『東京都同情塔』(新潮社)を読んで

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        • 「花をもらう日」
          24本

        記事

          日本語学校エッセイ・番外編

          これは、集英社文庫のサイトに全5回で連載した「今日も、日本語学校で」の番外編です。 「日本に外国人が来ること」「日本に外国人がいること」について、毎日のようにいろんな意見や記事を目にしますが、ここに書いた彼らはまさに「当事者」です。 またどこかで(ここでもいいのですが)日本語学校のこと、日本語を教えることについて書きたいです。 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 夏休みの1日、初級の学生たちと昼ご飯を食べようということになった。 日本で生活

          日本語学校エッセイ・番外編

          『花をもらう日』第四章 花をもらう日⑤

           桜木町駅を降りて、目の前にどっしりとそびえている、反ったフォルムのタワーを見上げる。この、日本で一番高いビルの10階に、FM横浜、いや、ハマラジは入っているらしい。  横浜は3年ぶりだった。Y県にいたとき、一度、局の仲間と車で来た。ベイブリッジを走り、プリンス専用の赤いチェアがあるというクラブ「グラムスラム」を眺めた。横浜って、なんていうかブランドだ。プライドがある土地という感じがする。元町とか、中華街とか。  なんてことを考えて気を散らしながら、回転扉からタワー内に入る。

          『花をもらう日』第四章 花をもらう日⑤

          『花をもらう日』第四章 花をもらう日④

          受付には蝋梅のアレンジメントが置かれている。が、今年に入って一度も上田くんに会っていない。 「この間、午前のシフトに入ってたけど、たぶんもうそんなに来ないと思いますよ」と石川くんが言う。「会社の研修が始まってるらしくて」  会社、とつぶやくと、そうそう、上田くんすごいんだよ、と内藤さん。「日比谷花壇しか受けなかったんだって」 「えっ、日比谷花壇!?」思わず声が出てしまう。青木くんが期待通りに絡んでくれる。「花壇の会社って、彼、植木屋さんになるんすか」「お前、花買ったことな

          『花をもらう日』第四章 花をもらう日④

          『花をもらう日』第四章 花をもらう日③

           年が明け、職場は1年でいちばん忙しい時期を迎えようとしていた。私立校の受験シーズンがまもなく始まるからだ。わたしを含めセンターの職員は皆、会員の受験生の家庭に電話をかけ、準備の進み具合と志望校を聞く作業に追われていた。  そんなあわただしさの中、わたしは内藤さんから、 「結婚するんだ」  と打ち明けられた。 「誰と?」 「国分さん」  ……ちょっと! やだもう! そうだったんだ! いつから付き合ってたの? おめでとう! わたしの性急な言葉に内藤さんは「1年くらい前かなー」と

          『花をもらう日』第四章 花をもらう日③

          『花をもらう日』第四章 花をもらう日②

           わたしは少し腹が立っていた。  上田くんに対してではない。何に対してなのか分からない。たぶん、本心に対してだ。本心はときに、覗かないに限る。胸の底に黙って沈殿させておけばよかったのに、つい様子を見に行ってしまった。乾き具合を確かめようとしてしまった。  生乾きだった。  面倒な葛藤がはじまる。そうだよ。誰もやめろとは言ってない。だって、やめるとかやめないとかの仕事ではないのだ。自分でそう言ったじゃないか。今、わたしが「やめている」のは、誰もわたしを使ってくれなかったからだ。

          『花をもらう日』第四章 花をもらう日②

          『花をもらう日』第四章 花をもらう日①

          「これ、誰が飾ってるの」  内藤さんはわたしの視線の先のものを見て、ああ、とほほ笑んだ。受付のテーブルの、卓上カレンダーの横。 「キタキタ、びっくりするよ」 「もしかして手作り?」 「そう。アポインターの上田くん」  チェック柄のシャツとチノパンがすぐに思い浮かんだ。ふちなし眼鏡をかけた、穏やかな雰囲気の男子。営業成績表の彼の名前の上には、いつも長い棒が乗っている。電話の内容を書いたメモをときどき受け取るくらいで、個人的な話をしたことはないが、どうやってこれだけのアポを取るの

          『花をもらう日』第四章 花をもらう日①

          『花をもらう日』第三章 きょうだいたちとの仕事④

           母が買ってきた『マディソン郡の橋』を読んだ。ものすごく売れているのだそうだ。ちょっと泣いた。  山田詠美の帯に惹かれて買った、テリー・マクミランというアメリカ人女性作家の『ため息つかせて』もとてもよかった。4人のアフリカン・アメリカンの女性たちのタフな恋と友情。夢中でページをめくった。通勤電車の中で本を読むのは楽しい。今読んでいるのは、松浦理英子の『親指Pの修業時代』の上巻だ。サイケな表紙カバーが格好良い。新刊の単行本を上下巻まとめて買えるって、なんて気持ちのいいことなのだ

          『花をもらう日』第三章 きょうだいたちとの仕事④

          『花をもらう日』第三章 きょうだいたちとの仕事③

           「ジャズシンガー?」  「だったんだよ、稲葉さん。新宿のライブハウスとかに出てたんだって」  年齢不詳の、辣腕アポインター。ペイズリー柄の、スカート丈の長いワンピースを着ていることが多い稲葉さんは、杖をついて出勤する。電話が十台ほど並ぶアポインターの部屋へ入ると、所定の用紙と数本のペンをきれいに机に並べて仕事にとりかかる。雑談のような口調でどんどんレッスンの予約を獲得していく、稲葉さんは東府中支社にはなくてはならない人だった。 「もちろん今もすごくうまいよ。演歌なんか

          『花をもらう日』第三章 きょうだいたちとの仕事③

          『花をもらう日』第三章 きょうだいたちとの仕事②

           トータル家庭教師センターの仕事は、大きく分けて3つあった。  家庭教師志望の大学生の登録業務、入会者(生徒)を増やすための営業、そして入会者の管理。  家庭教師をしたい人を集め、家庭教師が欲しい家庭を掘り起こし、双方をマッチングさせる。それが家庭教師センターというものなのだった。  大学生の登録会は随時行われていた。学校名に関係なく、どんな大学生でも名前を登録することはできるが、実際に生徒を持てるかどうかは分からない。すぐに「仕事」の話が行く学生もいる一方で、一度も連絡が行

          『花をもらう日』第三章 きょうだいたちとの仕事②

          『花をもらう日』第三章 きょうだいたちとの仕事①

           バスロータリーの向かいに、銀行や生命保険会社の看板が付いた背の低い建物がいくつかある。それらの1階にはファストフード店、定食屋、コンビニが入っている。府中競馬場の正門前からひとつ離れた駅の、ごく普通の個性のない風景を、わたしは気に入った。  夜10時にかかってきた電話で、明日から来ていただけませんかと言われたとき、脱力した。ほっとしたのとさびしい気持ちがないまぜになって、ため息が出た。引導を渡したのか渡されたのか、どちらなんだろうと思いながら眠りについた。  しかし翌朝の

          『花をもらう日』第三章 きょうだいたちとの仕事①

          「花をもらう日」第二章 苔が生えた⑦

          「えーと、実は、もうひとつオーディションがありましてね」  今度はEテレの経済番組なんですけど、これは週1回で、収録もので、男性と組んでいただく番組なんですが、とKさんはつらつらと言った。北村さん、経済、詳しいですか? 「……あの、すみません」 「はい?」 「この間のオーディションの結果は、まだ分かっていないんでしょうか」 きょとん、とする程度の間があり、あれえっ、と高い声が聞こえた。あー、連絡、まだ行ってませんでした。そうかそうか、ごめんなさい。 「うちの

          「花をもらう日」第二章 苔が生えた⑦

          「花をもらう日」第二章 苔が生えた⑥

           細い廊下の先に、公開放送の番組でよく見るような広々と明るいスタジオが開けていた。  数台のカメラ、天井と床に取り付けられた照明、雲のような曲線のテーブル、一脚の椅子がいっぺんに目に入る。パールをまぶしたようなきらきらした壁が、立ち働く人のTシャツをより白く見せている。  ADの男性は、じゃああちらへ、と椅子を示した。床の上にうねる数本の太いケーブルを注意深くよけ、セットの段差をあがって、わたしはゆっくりとその固い椅子に座った。ピンマイクを付け、ディレクターから説明を受ける。

          「花をもらう日」第二章 苔が生えた⑥