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大人と子供の違いってなに? U149 11話感想

0.はじめに

くーちゃです。アニメU149で私の担当の橘ありすメインの会を視聴して色々思う事があったので筆を取りました。アニメの感想としては前置き(自分語り)が長いし、それを元にした考察が展開されますがそれでも読んでくれる人がいたら幸いです。

1.大人と子供の違い

まず私の境遇から話させてもらいます。
私は中学入試経験者です。(ありすと一緒でちょっと嬉しい)先取り学習のおかげで小学校(こっちはありすと違って普通の公立)では授業を聴かずとも苦労することはありませんでした。

小学6年生のある日、クラス全体で問題を起こしてしまい先生に説教されたことがありました。その時先生が、「大人になるということは自分の行動に責任を持てるようになる、ということだ。」と言っていたのを良く覚えています。まあ当時の自分は早く話終わんねえかなあとしか思っていませんでしたが。

思えば、私はよくリーダー役であったり生徒会委員を推薦されることが多かったのですが、(前述の通り勉強が出来たのと、クラスでも仲が良く、信頼してくれる人が多かったということです。今振り返るとすごくありがたい環境ですね)当時の私はそのようなリーダー役がとにかく嫌いでした。
めんどくさがりなのもありますが、責任を持たなきゃいけない立場なんかいやだ!と思っていました。

今になって思えば、先生の言っていた通り子供だったんだなあと思います。責任を持って取り組まなければ得られないものがある、ということを全く理解出来ていなかったんですね。

では責任を持って取り組むことで得られるものとは何でしょうか?色々あるでしょうが、私が重要だと思うのは「自己実現の機会」だと思います。
責任を持たない、つまり責任を持つものから与えられた状況では、ただ言われたことをやるだけでしょう。しかし、自分で責任を持って行動することは、それこそが自由であり本当に自分のやりたい事の追求、ひいては自分の成長に繋がるはずです。(詳しくはマズローの欲求段階説を参照)

マズローの欲求段階説
下の欲求から現れ、満たされると上の欲求が現れる

まとめると、大人は子供と違って責任を持てる行動が出来る、すなわち自由に自分を表現することが出来るということでしょう。
この結論を元にアニメを考えてみます。

2.ありすの想い

いざデビューという段階でも、ありすは悩んでいました。これは、アイドルをする原動力が自己実現である他のメンバーと違って、大人になりたいという焦りが表に出てきていた上(10話ラストでやりたいことが出てこなかったあたり顕著)、夢を追うのは子供らしいのではないか、という想いがありすにはあったからでしょう(マズローの話で言えば、両親との関係から所属と愛の欲求が欠乏しており自己実現まで至らないとも言えるでしょう)。

ありすは自分が子供で、早く大人になろうと背伸びしていることを自覚しており、アイドルとしてデビューする(実現の難しい夢を追う)ことは、子供で居続けることになるのではないかという葛藤があったというわけですね。

しかし、夢を追うプロデューサーの姿や両親との会話を通して、夢を追う=子供というわけではないことに気付き、愛で満たされたありすは、彼女にとっての子供らしさの象徴である名前で呼ばれることすら受け入れます。もう彼女は背伸びをする必要はありません。子供らしく見られようと、自分のことが、彼女が今まで敬遠していた子供ではないと知ったのですから。

また、11話ではありすのソロ2曲が流れましたが、挿入歌のin factでは「自分(本当の私)を知ってほしい」とあるのに対してEDのto you for meでは「私らしさ」「こんな気持ち 届けたいと思った」とあるのも、満たされて自由に表現出来るようになったありすを良く表しているように思えます。

余談ですが、in factをラブソングだと解釈している人が多くて驚きました(to you for meとの対応やコミュからして家族愛としか解釈していなかった)。
in factを初めて聴いたタイミングによっては全く違うように感じるんでしょうかね。
今回のアニメではラブソングと解釈していた人の方が感動していそうで少し羨ましいです。

3.さいごに

最後に振り返ってみれば、橘ありす、いやU149のアイドル達は、メインの回を通して「自分なりのアイドル像」を思い描き、「こんなアイドルになりたい」という意思を強く表現していました。
つまり、U149のアイドル達は、子供らしさ(これがどれだけ魅力的かはアニメを見てきた人には語るまでもないでしょう)は存分に持っているけれど、もうただの「子供」からは一歩踏み出しているのでしょうね。

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