見出し画像

コミュニケーションの難しさ

金曜日に3年間の校内研究の本発表が終わった。

今回は授業者でもなかったし、研究主任でもないので全体の前で話すこともなかったが、推進委員として少し肩のにが降りた気がする。

全てを終えて職員室に戻ると同じ低学年ブロックで授業をしてくれた先生が沈んでいた。話を聞くと授業後の協議会がうまく回らなかったと教えてくれた。参観してくれた方に様々な課題を言われて受けきれなかったと言っていた。
「ブロックで一生懸命作ってきた授業だったのに悔しい」
と言っていたことに僕は2つのことを感じた。

1つ目は、授業者が悔しがっているのに空気が読めないのかも知れないが、こんなことを言ってくれたことが嬉しかった。今年度、スタートした時低学年ブロックに校内研の推進委員は僕1人。正直、ブロックのメンバーをうまく授業研究に巻き込めるかが心配だった。しかし、ホワイトボードを使いながらメンバー全員で授業を考えることからスタートし、みんなが授業づくりに向き合えたのだと思う。
だからこそ、このような言葉が授業者から出たのではないかな。
授業研究を通して、ブロックのチームビルディングに手応えを感じることができた。

2つ目は、コミュニケーションの難しさだ。授業研究で課題を言ってくれた人は僕がよく知っていてとても信頼している方だ。きっとその人は協議会でいい学びが起こると思って発言してくれていたんだと思う。(実際に連絡したらそうだった)しかし、受け手は全く違う受け取り方をした。
ここで言いたいのは、どっちが良いとか悪いとかいう話ではなく、コミュニケーションにおいてピッチャーとキャッチャーの意思疎通が測れないとコミュニケーションミスが起こる可能性があると言うことだ。
それを防ぐための方法はピッチャーはキャッチャーの実力を考えて球を投げること。もしくは、キャッチャーが大切な球だけを選んで受け取ること。この2つなんじゃないかなと思った。
兎にも角にも、自分の頭の中にあることを他者に伝えることと、他者が伝えてきたことを受け取ることというのは、「とても難しいこと」ということを大前提にした方がいいような気がした。

だからこそ丁寧に話したいし、丁寧に聞きたいな。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?