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やはり人の分まで生きねば

ここ数年、死を身近に感じることが増えた。

今日は、保育園のある親の訃報を聞いた。
昨年は、“ママ友”が出産後に急死したときいた。
一昨々年は、誕生日が2週間ちがいのいとこが他界した。
5年前は、幼なじみのだんなさんが職場の事故で亡くなった。

みんな、まだ幼い子どもたちをもつ親だった。つまり、私自身も、私の家族にも死はいつふりかかるかわからないということなのだ。

ある人は志半ばでこの世を去り、私は今ここで生きている。それはどういうことなのかを考える。

初めてそんなことを考えたのは、阪神大震災のときのことだ。

震災当日から何日か、ニュースを見ていると、死者数がどんどん増えていった。私が、未経験の大きな揺れに翻弄されてパニックになっていた瞬間に、自分が部屋から出られなくなっていた瞬間に、食事をしていた瞬間に、こんなにいっぱいの人が死んでいったんだと思った。なぜあの揺れで自分は死ななかったんだろう。なぜ同じ瞬間にあの人たちは死んで、自分はけがひとつせずに生き残ったんだろう。

そんなことを、ずっと考えていた。大学受験浪人中で、そんなこと考えている場合じゃないのに。

そしたら、そうか、これは、生きなさい、あなたは生きなさいという何かからのメッセージなんだという結論にたどり着いた。

そして、まずは志望校に合格して、同じく大学を目指していたのに無念にも亡くなってしまった人たちの分の願いをかなえなければ! と思い、その後の試験へのラストスパートをきった。

最近、同じことを改めて思う。子どもたちを残して無念にも亡くなってしまった人もいる。自分は生きている。だから、自分の家族をせいいっぱい守るのはもちろん、できるかぎり残された家族の力になりたい。

正直、今は自分と自分の家族のことで手一杯。具体的にほかの人に何かを差し伸べるだけの余裕はない。だからこそ、まずは自分の家族を精一杯守り、精一杯生きる。そのうえで、コミュニケーションを取る、という形でだけでも、人のお役に立てればと思うのだ。

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