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あなたが写真教室に行くべき時を考える/ポートレート編

やあ、僕です。
昨年初めにいただいた質問、「写真教室とかに行くべきですかね?」が結構心に引っかかっていました。一昨年あたりから結構流行った写真教室、行けば行ったでもちろんいいのでしょうけど・・・ということでこのnoteを書いてみます。

僕の変遷

僕は元々美術的素養はゼロです。何をどう撮影していいかもわからないまま写真をはじめました。習うより慣れろなわけですが、慣れ方もわからず、そんな中で教えて貰えばいいんじゃね?的な発想に行き着きます。

名前出しちゃうと色々アレでそれかもしれないので伏せますが、僕は都合で10回ほど写真教室/ワークショップに参加しています。うち1回は一期/半年のもので、写真はじめた頃です。人を撮るというジャンルで副業のワークショップに通ってました。上手くなるならそれでいいじゃん?みたいなノリです。
しばらくしてこの根底の間違いに気づくわけですが。

副業で美味い not 写真が上手い not SNSで旨い

この写真を副業にするワーク、カメラ系の勉強で一番最初に行ったのですが、色々と刺激がありまして結果的に行って良かったと思っています。副業ノウハウは今に繋がっていますし、人物撮影の感覚はポートレートに繋がっています。多分別のワークショップに行ったら、こういう感覚はなかったと思うので、ありがたい限り。
しかし、そもそもテーマを持たなかった僕にとって、何を撮っていいか分からない状態がしばらく続いていたように思います。

さて、このワークの目的は副業として写真/カメラがどう活かしていくか、です。副業をやっているとわかりますが、写真が上手い=顧客の満足度が高い、ではありません。会社経営していて常々意識してきたことですが、提供できるものに対する評価がそのまま顧客の満足度になるわけでないのが社会です。特に写真撮影サービスは総合値なので、その体験に対してどれだけ寄り添えるかだとここで知りました。
一方でそんな素晴らしいこのワークなわけですが、SNSでの認知はそれほどでもないし、学ぶのはSNSで見るような写真でもない。はて、写真とはなんぞや?みたいな感覚を得たのを覚えています。

ワークの目的を見定める

さて、お気づきでしょうか。
私は当初、写真が上手くなりたいと思って通ったわけですが、結果としては顧客満足につながるHowを学んで帰ってきたわけです。
oops

繰り返しますが、今に活きているので無駄な経験ではなかったです。むしろ良かった。けどそれは今になって思うことで、終わった当初はあれれれれーみたいな感じでした。
学びたいものと教えていただいたことのミスマッチが原因です。
これを防ぐために大事なのは、何を持ち帰るための教室/ワークなのかを見定める、ということです。そんなの募集文に書いとるやんけ!みたいなツッコミもあるかもしれませんが、いや、待ってほしい。

そもそもの問い、「写真教室とかに行くべきですかね?」。
正確には、上手くなりたいなら、という冠がつきますが、こちらへの回答するためにはまずこの問いに答えてほしい、上手いの定義はどこにあるのか?
現代、特にここ二年くらいのカメラの変遷は恐ろしいものがあって、フォーカスは正確で早く(メーカー差はあれど)、操作性も洗練され、連写も常用であればほぼいける、ぶっちゃけオートモードでいけちゃう賢い頭脳、そんなカメラが市場に溢れている中で設定上、失敗した写真というのはほぼなくなりつつあります。
この失敗したというのが、定石に反してという意味ですが、ほんとカメラさんは賢いもので、こちらの意図を汲んでくれ、あるいはカメラなりの正解で、それぞれに場面を記録してくれます。この状況下で技術的な道筋が必要になることがあろうか、いや、ない、わけでもない。

つまりはカメラの外の部分にこそ、現代の写真教室の需要があるような気がしますし、実際に質問をくれた方もそういう答えを求めていたように感じます。

カメラの外に上手いがある写真たち

もちろんですが、カメラの中の機構、例えばマニュアル操作を人に教えて欲しい、カメラの用語がよーわからん、などなど、需要はあるところにはあるのです。ですがそれらは正解があるもので、成果はそれを使えるようになること。つまりはこれらはカメラの中の話、操作の話に私は分類しています。

SNSに溢れんばかりにアップロードされる写真たち、クラウド上に保存されるjpegは星の数ほどある現代。そんな中で僕らアマチュアに分類される撮り手が何を求めて写真を学びに行くんでしょう。

上手くなりたい、この上手いというのは数値化されない厄介なもので、ある人にとっては上手いでも、ある人にとっては上手くなかったりします。
他にも刺さるけど上手くない、映えないけど上手い。上手いし映えるなどなど、上手いという言葉はとてつもなく不定形で、そして、その上手いというのはどうもカメラの外にあるような気がします。

カメラの賢さに頼るべきところ

カメラは賢いですし、これからも一定の方向で進化していくはずです。一定の方向というのは、優秀なアシスタントとして進化していくという意味で、決定的に、そして確定的に自分の中の上手い=美しいを切り取るのはあなたである、という点はまだまだ変わらないと思います。

カメラの頼るべきところはオートフォーカスだったり連写、jpegなどなど、撮影を快適にしてくれる諸々の部分です。一方で美しいが不定形で数値化しづらい以上、そこをデジタルの機構に任せるのはまだ不可能でしょう。

カメラの外

なんでこんな思考になったかというと、いいカメラを買ったところで絵作りにあまり影響がないなと自分の経験から思ったからです。
そして、嵐田さんのこちらの著書が、どのセンサーが好みの色を出すか病にかかった僕を平穏に導いてくれました。

カメラは安いものではないので、そこに結果を期待するのは当たり前です。メーカーも上記の通り、もりもり技術を入れて撮り手をアシストしてくれますが、決定的な事実として、シャッターを押すのはあなたなのです。
そこまで行くつくための思考、ステップこそがカメラの外の作業であり、むしろそこをしっかりしている人の方が、心に残るような、後から見返したくなるような写真を撮影するように僕は思います。

欲しいのは技術なのか、作風なのか、あるいは

さて、そろそろ本題です。
技術を教える教室は主に(1)カメラの中の話が比較的多く、そこから(2)構図や色、露出などカメラの外、そして(3)アート的や表現について話をする撮り手の心情を教える教室と大体3種類に分かれ、概ね、(1)と(2)、(2)と(3)が混合して教えてくれる場所が多いです。

写真教室と言ってもピンキリでありますが、相対的に安いと言えても単価的に見れば安いと割り切れないのも事実です。なので、自分にとっても「上手い」のジャンルが(1)〜(3)のどこに当てはまるのかを認識しておくとハズレがないはず。

誰々さんの作風が好きです>誰々さんが教室やってます>では学びにいきましょうというのはロジックが立っていますし、おおかたの人がこういう動機で写真教室へ行くのでしょう、私もそうでした。
ところが、そこで教えてくれるのが(1)だとどうでしょう?作風みたいなレイヤーで話をしている以上、大体カメラの操作はわかっているはずで、肩透かしを喰らうはずです。

写真の上手いが不定形という話はしました。それはゴール地点が人それぞれ違うからです。なので、上手くなる、の目的で教室を選定せず、上記の(1)カメラの中の話、(2)カメラの外の話、(3)アートや表現、あなたの内面の話、と属性を分けて目的を選定しておかないと限りある時間をお金を無駄にしかねない!そういうわけですね。

というわけで、「写真教室に行くべきか?」という問いに対して、僕が大体答えているのは、あなたの悩み次第です、です。
どの段階で行くのも自由ですが、マニュアル操作したいのに作風を習いに行っても満足度は低いでしょう。そして大体、この相談をしてくる人はある程度きちんと撮影できているように思います。
なかなかピン打ちで作風について教えてくれるところはありませんが、一つのテーマとして作風を扱っているところは、ある程度の方向で教えてくれますし、僕は行って満足度が高かったです。

あとはそれを生かすか殺すかは自分次第。
次回は、(1)〜(3)の体験談を書いてみようかなと思います。


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