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「はじめては一生忘れられないよね」

23年間、処女だった。当時大学生インターンをしていた会社での社員名を「バージニア」(もちろんバージンからとった。アメリカのバージニア州とはまったくもって関係がない)と称するほど、処女であることを誇りに思っていたほど。ちなみに大学の先輩からは「即身仏にでもなる気か?」と正気を疑われていた。

大学卒業後、幼児教育を学ぶために海外進学することを決めてカナダに渡った。授業では子どもへのさまざまな指導方法を学び、なかでも「Good Boy(いい子だね)やGood Job(よくやった)など結果を褒めるのではなく、そこまでの過程を褒めてあげなさい」という教授たちからの教えは、すごく大事なものだと感じた。

授業と課題に追われながらも、24歳になった11月、人生ではじめて彼氏という存在ができた。2歳年上のカナダ人で、ここでは本名の頭文字をとってDと呼ばせてもらう。Dの車には初心者マークがついていた。Deja Vuはたぶん流れない。

はじめて彼氏ができたことの喜びといったらたるや。その頃の私は、いままでの23年間を覆すように、彼氏のいない友人に「彼氏、そろそろつくったほうがいいよ?」という謎の上から目線でのアドバイスをするまでトチ狂った精神状態に陥っていた。なお、あとから聞いた話によると、頭文字Dに髭が生えていたことから「赤いヤツの弟のほう」「ルイージ」という新たな別称を裏で頂戴していた。

付き合って1ヶ月たった頃、そのときは訪れる。いよいよそういう雰囲気になり、頭文字Dから「見てほしいものがある」との事前申告を受け、承諾した。彼のベッドの横にはナイトスタンドがあるのだが、そこにはいつも鍵がかけられている。とくに気にも留めていなかったが、なにか隠し事でもあるのだろうか。彼は鍵を取り出し、ナイトスタンドの引き出しをあけた。


そこにあったのは、大人用のオムツ、よだれかけ、おしゃぶり、哺乳瓶、赤ちゃんパウダーだった。


いまとなっては「アメリカのドラマCSI(Criminal Scene Investigation)でしか見たことがない」「(しばしの沈黙)」という友人の言葉も反応も素直に受け取ることができる。しかし、当時の私は「なるほど、これがカナダのダイバーシティってことね」と性癖にまでカナダ特有の多様性を見出してしまったのである。

まずは「オムツをつけてほしい」とのことで、成人男性に対してはじめてオムツを穿かせることになった。オムツを穿かせている間、頭文字Dは幼少期からずっと肌見放さず持っているという犬のぬいぐるみを抱えて「キャッキャッ」と乳児のように振る舞った。そして指示どおりに、水色の恐竜のキャラクターが印刷されたロンパースを彼に着せ、口におしゃぶりを突っ込む。

あとで調べたことだが、これ俗に言うと「Little(リトル)」と呼ばれる性癖で、SMプレイの一種だそうだ。ロールプレイには母親役と男児役、または父親役と女児役に大方分かれる。この場合は、私が母親役で頭文字Dが男児役。そして彼の要求はさらに加速する。「Good Boy(いい子だね)」と言って母親のように頭を撫でてほしいとのことだった。


ここでようやく私のなかにジレンマが生まれる。はたして「Good Boy(いい子だね)」という言葉を使用していいのだろうか。


「結果ではなく、過程を褒めなさい」、咄嗟に一人の教授の顔が浮かんだ。この場所で「Good Boy」を使用することは適切なのか。もしかすると、自分の幼児教育に対する哲学が歪んでしまうかもしれない。この場での「過程」とは「オムツとロンパースをきちんと着れたこと」じゃないのか。自分の信じる哲学に則って、私は声をかけた。「きちんと着れたね」。するとどうだろう、頭文字Dはまた「キャッキャッ」と言って笑った。心のなかの教授も笑った気がした。

ここからどういう風にことが進むのだろう。母親役としての演技が初日だったが故に、主導権を完全に向こうに委ねていた。すると彼のほうから「喉が乾いたね」とのことで、急遽、ティータイムが導入された。彼はナイトスタンドの引き出しを開け、そこから哺乳瓶を取り出し、キッチンへと向かった。

頭文字Dは、アールグレイの茶葉を哺乳瓶にひとさじいれ、「飲み口が小さいから茶葉を直接入れても大丈夫なんだ」と笑った。そして沸かしたお湯と砂糖、ミルクを哺乳瓶に入れて混ぜ合わせる。そこには、ミルクティーを哺乳瓶でちまちま飲む、水色の恐竜ロンパースを着た成人男性の姿があった。

この日、23年間守り抜いてきた処女が失われた。そして、その数カ月後に頭文字Dとはお別れをすることになるのだが、失恋した直後、みんな口を揃えてこういった。「やっぱり、はじめては一生忘れられないよね」。


いや忘れるわけねーーーーーーーだろ!!!

#2000字のドラマ

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