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私のものかきのルーツ

ブルーピリオド11巻を読んで思い出した出来事がある。子どもの頃の苦い思い出。

小学3年か4年の時、当時の私はうまくはないけれど、絵を描くのはすきだった。植物が好きだったので、観察して理科のレポートで出すように描くのは特にすきだった。

ある日、公民館で絵はがきのワークショップがあった。母に誘われて、私も参加していた。何個か並んだトマトを描いていた。

描いている様子を見て回っていた講師の先生がこんな風にしたらいいよとお手本のように色をぬってくれた。私が描いていた絵に、直接。

その時の私は純粋にすごい!と思った。先生が描くと一気にトマトがリアルに、それでいて絵としても味のある絵になったのだ。感動した私は、他のトマトをその描き方をまねして描いた。自分がうまくかけるようになれたと思ってただうれしかった。

完成した絵を見て、同級生のお母さんたちはこう言った。
「このトマトがいいね!色の塗り方が上手!」

それは先生が描いたトマトだった。

うれしかった気持ちが一気に冷めたのが分かった。

お母さん達は先生が描いたトマトだとは知らない。なにも悪気がないのは分かっていた。私がまねしたトマトより、先生が直接描いたトマトが断然いいのも分かる。でもそれは、私が描いたトマトじゃない。

それは先生が色を塗ったトマトだよとは最後まで言えず、多分テキトウににこにこして、それでワークショップは終わった。

その時の気持ちは今でも生々しく覚えている。

この出来事がきっかけになった訳ではないけれど、私はいつのまにか絵を描くことを避けるようになっていた。

それと対照的な出来事も思い出した。

小学5年生の時の国語の授業。骨粗しょう症についてかかれている文章を読んで書いた作文の発表の日だった。同級生が次々と当てられ、書いた作文を読んでいく。

1人、2人と聞いているうちにあることに気がついた。私の文章はみんなと違いすぎる。当時から私は目立つのが嫌で、自分に自信がなくて、何よりみんなの前で間違うのがいやだった。他の子と同じように、そして”正解”を書かなければならないと思っていた。

ただでさえ人前で発表するのは苦手でいつも緊張していたタイプだ。いつも以上に緊張して、比喩ではなく心臓がドキドキしているのを感じられるほどだった。

そして発表の時、私は他の子と違うのがいやで、できるだけみんなとも先生とも目を合わさないようにしながら、作文を読んだ。

発表が終わり、できるだけ速やかにそして誰も見ないように席に戻ろうとしたとき、当時の担任の先生がこう言ってくれた。

「素晴らしい!骨粗しょう症を自分事にして書いているのがいいね。
それに、文章に書いてある言葉をそのまま使わず、ちゃんと自分の言葉にして書いているのがとてもいい!

私が文章を読んで感じて、想像して、どうしたら自分なりに伝えられるか考えて、そうして書いた作文だった。それを認められるのは、本当にうれしくて胸がいっぱいになった。自分の言葉を、誇らしく感じた。

その時から、文章を書くことに関しては少しだけ自信を持つことができるようになった。

今、自分が考えていることの表現として、絵でも音楽でも歌でもダンスでもなく文章をかいているのは、その時の先生の言葉があったからだ。

私のものかきのルーツは確実にあの言葉だ。

その言葉があったから、読むだけではなく書くことも好きになった。

きっと私は、ブルーピリオド11巻を読むたびに、

昔の苦い思い出と、ものかきのルーツを一緒に思い出す。




とんとろん。

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