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資本主義への懐疑

私のいろーんな考えの根底にあるもの。それは資本主義への懐疑だ。

大学時代に自由教育を研究していたのも、資本主義経済で工業化された人間を育てる公教育に違和感を感じたからだ。デンマークの「フォルケホイスコーレ」という教育機関で過ごし、日本では人が資本主義経済のなかで労働力として人間が消費されているように見えた。

ミニマリズムに関しても、「物質的な豊かさ≠心の豊かさ」だと、度重なる引越しでモノが減っていって気づいたからだ。世の中にはモノが溢れすぎている。生きる上でそんなに多くの物はいらない。お金がたくさんあるから幸せという訳ではなさそうだ。

今、栄養学や健康に関することも学んでいるけれど、やはり感じるのは資本主義への懐疑だった。どうして身体によくないものが、こんなに世に出回っているんだろう。デンマークに留学していた途中からベジタリアンの食生活をしていた。ベジタリアンを始めた理由も、「食肉を育てるコストは、野菜を育てるコストよりも高く、環境によくないから」だった。

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それから、大変心苦しいのだけど、肉を加工するお仕事の話を聞いたとき、「汚い」や「穢れ」の感覚、嫌悪感を抱いてしまった。毎日の生活を支えてくれている仕事だけれども、工場のように生産されたモノはあまり口にしたくないと思ってしまった。

そう思っていたら、写真家の幡野さんも「いただきます、ごちそうさま」というタイトルで、似たメッセージを伝えていた。

幡野さんの写真展の話は、また明日。

資本主義への懐疑を抱きながらも、資本主義のなかで暮らしている自分へのモヤモヤもあるのです。

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