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現代日本の政治・社会・文化の考察に示唆を与える



食べることと生きることが政治的な側面を持つ時代にあって、花森の思考が再評価されるべきだ。


★今日の学び--花森安治

<灯をともす言葉> 花森安治
 1911年、兵庫県神戸市に生まれた、日本の編集者・グラフィックデザイナー・ジャーナリスト・コピーライター。生活雑誌『暮しの手帖』の創刊者。
1948年に、生活雑誌『美しい暮しの手帖』(後に『暮しの手帖』に改題)を創刊し、『暮しの手帖』の表紙画は、創刊号から死の直前に発行された第2世紀52号まで、全て花森の手によるもので、編集長として自ら紙面デザインや取材に奔走し、死の2日前まで第一線で編集に当たった。 1978年(66歳没)

本書は「美」について、「この国」について、「暮し」について、「戦争」について等、雑誌「暮しの手帖」創刊者が、物事の本質をつらぬく。時代を超えて、今こそ読み継がれるべき言葉たち。(河出文庫書評より)

何という国かと思いますね。
写楽も広重も歌麿も、佳離宮も、
あれは日本人が見つけたんじゃなくて、
外国人がほめてから、
日本人がさわぎ出したんですからね。
何がいいか、何がわるいか、
それを見る自分の眼を
目分か信用しないんでしょうね。
( 「美について」 より )

《かけがえのない地球》だとか
《緑をとりもどそう》とか
《自然をまもれ》とか、
ここへきて、そんな言葉が、空気中に、
いっぱいばらまかれはじめた。
たしかに、ぽくら、
すこし調子にのりすぎた。
もっと便利に、もっと精巧に、
もっともうかるように、
そんなことばかり目がけて、
かんじんの《人間》かどうなるか
考えもしなかった。
おかげで、このざまだ。
気がつくのかおそすぎたが、
気がつかないよりはましだろう。
( 「この国について」 より )

《国をまもる》とか
《国益》とかいいます、
そのときの《国》という言葉には、
ぼくらの暮しやいのちは
ふくまれていないはずです。
( 「この国について」 より )

ぼくら このごろ すこしぱかり
やさしい気持を なくしてしまったような気がする
ごくたまに きれいな青い冬の空が
みえることがある
それを しみじみと 美しいとおもって
みることをしなくなった
はだかの電線が ひゅうひゅうと鳴っている
その音に もう かすかな春の気配を
きこうとしなくなった
早春の 道ばたに 名もしらぬ雑草が
ちいさな 青い芽を出している
それを しんじつ
いとおしいとおもって みることをしなくなった
まいにち じぶんの使う道具を
まるで 他人の目で みている
みがいてもやらない
ふきこんでもやらない
つくろってもやらない
こわれたら すぐ捨ててしまう
古くなったら さっさと捨ててしまう
見あきたら 新しいのに買いかえる
掃除機を買ってから なんだか
掃除が おろそかになった
冷蔵庫を買ってから どうやら
食べものを よく捨てるようになった
物を大切にする ということは
やさしいこころがないと できないことだった
( 「私たちの暮らしについて」 より )

新しい見た目の珍しいものは、
すぐ飽きられ、
飽きられると、
革か現れて来るのが、アクセサリの歴史である。
革の流行するときは、よくもわるくも、
世の中か激しく動くのを
やめようとするときである。
材料の中で、革は、
いつの時代にも「本もの」と考えられている。
世の中が揺れ動いているときは、
「本もの」は認められない。
これはアクセサリだけのことではないようである。
( 「装うことについて」 より )

新しい酒は新しい革袋に入れよ、
といういい方がある、
ぼくの考えが、その新しい酒だ。
きみたちは新しい革袋に
ならなくてはダメなんだ。
きみたちがじぷんの考えに固執していたら、
せっかくの新しい酒が腐る。
( 「ぼくの仕事、ジャーナリズムについて」 より )

星一つの二等兵のころ 教育掛りの軍曹が
突如として どなった
貴様らの代りは 一銭五厘で来る
軍馬はそうはいかんそ
聞いたとたん あっ気にとられた
しばらくして むらむらと腹が立った
そのころ 葉書は一銭五厘だった
兵隊は 一銭五厘の葉書で いくらでも
召集できる という意味だった
貴様らの代りは 一銭五厘で来るぞ と
どなられながら 一銭五厘は戦場を
くたくたになって歩いた
へとへとになって眠った
一銭五厘は 死んだ
一銭五厘は けがをした 片わになった
一銭五厘を べつの名で言ってみようか
《庶民》
ぼくらだ 君らだ
( 「戦争について」 より )

地球の上の、すべての国、
すべての民族、
すべての人間が
一人残らず亡びてしまうまで、
ついに武器を捨てることができないなんて。
ぼくたち、この人間とは、
そんなにまで愚かなものだとはおもえない。
ぼくは、人間を信じている。
ぼくは、人間に絶望しない。
( 「戦争について」 より )

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★ 花森安治は、「日常性」の政治社会的なダイナミズムに焦点を当て、独自のアプローチから文化政治の問題に取り組んだ知識人として評価されている。その思想と行動は、単なる「文化運動」にとどまらず、民主主義政治思想の実践として捉えることができ、彼は「暮し」が政治社会の権力作用の舞台であるという視点を重視して、戦後の高度経済成長期において、日本社会の保守化と政治的無関心を警告し、「うじゃじゃけた」態度や「チョンマゲ根性」を批判した。

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◆ 1960年代後半以降、花森は戦争、政治、公害などへの危機感を強め、政治経済体制に対する厳しい批判を展開し、1970年代の花森は食品の安全性に注意し、食べることの政治性を強調し、商品批評を通じて文化や社会の変革に寄与しようとした。

❤ 『暮しの手帖』は生活者の側に立って提案や長期間・長時間の商品使用実験を行うユニークな雑誌で、中立性を守るという立場から、他企業の広告を一切載せない、という理念の元に今日まで発行され、色濃く花森の理念が受け継がれている

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時代の変化を捉え
これからの生き方を
考えてみよう!

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◎花森安治 特設サイト - 『暮しの手帖』初代編集長
https://www.kurashi-no-techo.co.jp/hanamorisan/sp/
◎暮らしの手帖社
https://www.kurashi-no-techo.co.jp/
◎新浪公司ポータルサイトの花森安治特集(中華人民共和国)
https://k.sina.cn/article_1513934187_p5a3ccd6b02701228t.html

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