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【地球防衛軍指令】笑い飛ばせ! 心、モノにはびこる「もどき」の排除法

さて、
なんのさてだかわかりませんが、
前回の「ニンゲンガンモドキ」ネタ、
ショーワ世代の方のみお分かりになったかもしれません。

Ψ

よく、いや、たまに「ひともどき~」なる単語を耳にされることがあるかもしれません。
それは、人外じんがいの生物。
多くは、下等で、非道で、およそ人としの規範モラルを大きく逸脱したものを指すことが多いようです。
ただ、問題はそれ(そうした行為をとる生物)が、見分けがつかないほど人間に酷似している点です。

何でこんなことにこだわるかといいますと、
よく、(これは確かによく=頻繁に)

「とてもこいつはひどい。鬼畜の仕業だ」

とまあ、(そう言うと鬼畜に対して失礼ですが)そう言うよりほかないような事件(中には未解決事件として迷宮入り)が起きますね。多く、殺人や私刑の手口のむごさです。
しかも、いくつかの事件の背後には、「警察」<「国家権力」の後押しがなければどーしても成り立たないようなものもあり、そう考えないことには釈然としないものもあるのは、おそらくあなたも周知の事実でしょう。

それらに、戦慄、ぞっとしたことがあるあなたは、よく社会構造をご理解されている方です。

こんなお話はしたくもないのですが、当初「人間の心の奥底の暗部」なんて一般的な病理学や哲学的な角度からそれを捕らえていたものの、あまりに度々そんな事件が起きるにつけ、僕はきっぱり、「これは本当に人間の仕業ではない」との確信に至ったわけです。

Ψ

僕も、むかし「人間とは何ぞや?」という哲学的な命題に何十年も腐心してきたはいいですが、そこに他星の存在(異星人=霊的なものも含む)は含まれなかったから、結論はいつも堂々巡りで、人間そのものの自己批判的なものに行きつかざるを得なかったってわけです。

そう、「もどきの介入」が抜けてたわけです。

戦争だってそうです。
人が人を目の前にして、どーやってそれを殺すなどということが出来るでしょうか?
誰しもが忌み嫌う戦争なのに、
どーして、依然としてそいつはなくならないんでしょうか?

いかにも、人間同士の争いのように見えるその陰に、

「お前ら人間の根っこには悪魔のような性悪の心があるから、お前らは懲りずに血で血を洗うような殺戮を繰り返すんだ」

とでも言いたげな悪魔のわらいが聞こえるではありませんか?

なわけがありません。

戦争反対
二度と戦争を繰り返すな
と言ってこのかた何十年も何百年も戦争を繰り返す

なわけがありません。

国民全員の総意が
暮らし向きが良くなりたい
そう思って何世紀にもわたり
よくなるどころか、生かさず殺さず

なわけがありません。

人間の最大の願望が
「幸せになりたい」
であったとして
それは、過去生からずーっと願望でしかない

なわけがありません。

Ψ

たいして賢くもない人間であったとしても、
旧石器時代の洞穴に住み、薪で火をくべ煮炊きしたりして、日がな果物を摘んだり、ウサギを追いかけたり、魚を取ったりするような生活をしていた方が、どんなにか幸せなことか。

こんな無用な労働や嘘と欺瞞、権謀術数にまみれた社会で、「みんなこんなもんだから」とかの諦めを自身に無理やり叩き込みながら生きる現代社会に、幸せを探しなさいたってあなた、そりゃー土台無理だし、そんなかで「わたし目覚めました」「やっと幸せを手に入れました」「これでわたし幸せになりました」なーんて幸せを装うほどの嘘の上塗りはいずればれます。
第一、あなた一人がホントに幸せであったとしても、この世界に一人でも不幸な人がいたならば、あなたのその幸せは単なる自己満足でしかありません。幸せはしのぎを削り、他者を蹴落とし得られるものではないからです。あるいは研鑽や修行を通して得られるもんでもありません。

Ψ

気づきましょう。
人間ならざる者。
人間のそう、「もどき」です。

羊の皮をかぶった山羊ならぬ、狼、ハイエナ、ハゲタカ、ヒグマ・・・いやいやそれら動物たちが可哀そうなんで、ぶっちゃけ言いますが、それは「悪魔」です。
悪魔とは空想のそれではないですよ。

その来歴は、ソース(始原)の反対を行く存在です。
それは、宇宙開闢以来、無意味に無目的に無秩序にただ揺蕩たゆたうだけの存在です。物理学的には、初期異常(プライマリーアノマリー)として知られるそれです。
それに自由意志で飛び込んだものが、そこから出られなくなったというのが「悪」または「悪魔」というものの始まりで、その存在たちが他星で次第に植民地を拡大したものの、光によってそれらは掃討され、そこから逃げつつ最後に地球にやってきました。

では、彼らは、鋭い牙を持ち、尖った爪を持つようないかにも悪魔然とした容姿なのでしょうか?

いいえ。

ほぼ人間と一緒です。

もどきです。

形而下のものごとは、形而上の世界を探らないことには分からないものです。
つまり、目に見える世界は精神世界から具現化されているわけですから、そこんとこ(プラズマ界~エーテル界あたり)を突っついてやんないと、正体は分からないことが多いんですね。

だから、多くの問題が「未解決」や「想像できない」それとしていまだに横たわっているわけです。

形而上の見えない世界(思想、想念の世界・アストラル下界)にも「もどき」はいますよ。

「善と悪」なんかそーですね。
なんか似てませんか?

「善」の中に羊がいますね。
その羊の生贄を神に捧げ、「よき、よき」としたのが語源だそうだから、なんだかこちらも私的には不穏なものを感じます。

一方の「悪」は以前にも書いたように、すでに「もどき」を露呈しています。
「亜」そのものからして、二流、二番煎じ、似て非なるもの、エピゴーネン模倣者の意味で、「悪」とは、そんな中身のない精神を持った、それは「心」です。

善も悪も、どっちもどっちかな?
大したことはありません。

Ψ

ところで、「もどき」というシラブルが、どーしても「モトフユキ」となって耳についてしまうので、付記します。

その、モト冬樹さん、

モト冬樹さん=livedoor News

大好きな、俳優のニコラス・ケージさんと映画の共演の話があって、同氏が来日した際に渡した花束が、

ニコラス・ケイジさん=シネマトゥデイ

頭髪に対する嫌味と誤解され、その企画が破談になったという、なんとも「もどき」っぽいエピソードでした。

どーでもいいお話ですね。
しかし、そのどーでもいいようなお話が大好きな方々も、いつの時代にも一定数いるんです。
これは、もう一つの「?」です。

Ψ

トゲトゲ>トゲナシトゲトゲ>トゲアリトゲナシトゲトゲ

さて、もどき界で欠かせないジャンルは?というと、何といっても、昆虫や魚と言った生物たちの世界ですね。
みんな大好きな図鑑、百科事典の世界です。

よく「○○もどき」という言葉を耳にしては、「はて、こいつは珍妙な」という感慨にふけることがありますね?
(え? よく=頻繁にはない? そ、そうですね)

いや~、いるんですねえ、世の中には数寄ものが。
第一、珍妙な生物たちもさることながら、
それにまた知ってか知らずか珍妙な名を与える人間たちの行為。

なかでも、最初に融通性、汎用性がない命名をしたばっかりに、後々その新種などが登場した際に、無謀とも、ごり押しともとれるネーミングをするあたりは、なんだか取り返しのつかない嘘をついてしまったばっかりに・・・というケースと似ていませんか?

たとえば、棘があるからという理由で、哀れトゲトゲという命名をされた虫がいました。
後にそれに似てはいるがトゲのない新種が発見されました。
いや、困った。
それはトゲナシトゲトゲとすることになりました。
そこに今度は棘付きの近親種が見つかった。
どうしよう?
名前は、トゲアリトゲナシトゲトゲに落ち着きました、
ってー全然落ち着いてないし!
的なエピソードなどは、もはや「何やってんだか~」の世界ですね。

というわけで、
以下の投稿の数々には涙がでました。
お腹が痛くなっちゃいました。

それほど笑えたものです。
思いっきり笑いたい方はお読みください。
ただし、虫及び下ネタ系が生理的にお嫌いな方は閲覧注意です。

まあ、「もどき」というより、「連想ゲーム」みたいな内容でしたが、
いずれにせよ、「もどき」を目にしたとき、耳にしたとき、それに恐怖を感じるのではなく笑い飛ばすのが、奴らに対する最大の攻略法かもしれません。

いいですか。
奴らの弱点を言いますから、忘れないでくださいね。
(人であったり、思想であったり、虫であったり、おそらくあなたも今後いつかどこかで奴らと遭遇することでしょう。そのとき必ず思い出してくださいよ)

それは、連中は、

さらされることが一番の恐怖

なんです。
解けて無くなってしまいます。

実際に、マグマ大使に登場する「人間もどき」は、死ぬと溶けてゼリー状の”原形質”に戻ってしまいましたね。

子供のころ、夢中になった漫画『マグマ大師』。
長じてそれは「荒唐無稽なSF」と思うようになり、
さらに長じて「これはほぼ現実世界を描いている」ことに気付く。
 
なぜなら、現実世界こそ荒唐無稽な幻想だからです。

東洋哲学に触れて40余年。すべては同じという価値観で、関心の対象が多岐にわたるため「なんだかよくわからない」人。だから「どこにものアナグラムMonikodo」です。現在、いかなる団体にも所属しない「独立個人」の爺さんです。ユーモアとアイロニーは現実とあの世の虹の架け橋。よろしく。