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喪失感の生まれる条件

一.

少し前に「ひとりぼっち惑星」というスマホゲームが流行った。特に何をするわけでもないゲーム。人工知能同士が戦って壊し合っていて、自分はその争いを傍観しながら壊れた残骸を回収するだけのゲーム(本当はそれだけじゃないけど)。自分が電波を発信すると、どこからか巨大人工知能がやってきて他の人工知能を壊しまくってくれる。たくさんの残骸が手に入る。

この巨大人工知能はかなり頑丈で、他から攻撃を食らってもなかなか壊れない。だから自分が電波を発信するたびにそいつは現れる。現れたそいつはダメージが蓄積されていて、前に現れた巨大人工知能と同一の存在だということがわかる。けど別にそいつは味方ではない。ただ電波を発信すると毎回出現するだけの、他の人工知能と変わらない存在だ。

何回か現れていると、そいつにだって限界はあって、そのうちに壊れてしまう。

壊れた瞬間、そいつの残骸がはじけ飛ぶ。その残骸を僕は回収する。はじめからいなかったかのように、そいつの姿は景色からいなくなる。その唐突さに僕は一瞬面食らい、数秒遅れて喪失感が現れる。別にそいつと何かコミュニケーションをしていたわけではないけど(そもそもこいつはただのプログラムだ)、少しばかり長い時間を過ごしたこと、それとそいつが自分の呼びかけに対して現れていたことで、妙な親近感を覚えていたのだと思う。

一度壊れた後また電波を発信すると、再び巨大人工知能は現れる。ダメージは回復していて、前に壊れたやつとは別個体であるように見える。そいつもそのうち壊れるけれど、その時には特に何も感じなかった。

いまも時々思い出したようにアプリを起動して、特に何も思わずに彼との共同作業を行っている。

二.

高校のころ、「ワンダと巨像」というゲームをやってた。バカでかい巨像によじ登って弱点に剣を突き刺して倒す。デカさは個体差があるけれど、小さいやつで象くらい、デカい奴でウルトラマンくらい(たぶん)。

巨像はまるでそいつ自体がダンジョンのようになっていて、正しい手順を辿らないと弱点まで到達することができない。彼らの攻撃を避けながら正しい手順を探しだし、よじ登る必要がある。場合によっては一時間くらい攻略に時間がかかる。よじ登っている最中、巨像は僕を振り落とそうと、身体を大きく振り回す。僕は力の限り(といっても実際の僕はボタンを押し続けるだけ)を尽くしてそれに耐え、眉間にある弱点へ向かう。眉間の弱点に到達すると、大きく剣を構え、力強くそこに突き刺す。黒い何かが吹き出し、巨像は苦しそうにもがき出す。それにも耐えながら何回も何回も突き刺す。やがて最後の一撃を突き刺した瞬間、巨像はピタリと動きのをやめ、音楽は鳴りやみ、大きな音を立てて膝から崩れ落ちる。そこには猛烈な達成感と、ほんの少しの罪悪感が交じる。

このゲームのキャッチコピーは「最後の一撃は、切ない」だった。

三.

子供の頃、親にせがんで買ってもらった「たまごっち」をやっていた。小さい携帯端末でよくわからん生き物に食事を与えたり遊んであげたりして育てていくゲームだ。数時間に一回ピーピーと音を立てて「腹が減った」とアピールしてくる、まさに電子ペットの先駆けって感じのやつだった。

僕は世間の中でも「たまごっち」を手に入れるのが遅かった。なので手に入れた時にはもうあらかたゲームの情報は出揃っていて、「どういう育て方をしたら、こういう進化をする」というのがわかっていた。その中には「条件をみたせば生後何日くらいで進化する」という情報も含まれていて、それは「生後何日時点で進化をしなければ、そいつはその日に死んでしまう」ことを意味していた。

僕が育てていた「たまごっち」はその日、最後の進化をしなかった。ある程度運の要素もあるため、僕は仕方ないと思った。そいつは「予定通り」死んだ。僕は早々に次の卵を孵化させ、新しい「たまごっち」を育て始めた。

四.

たまごっちは「ペット(=味方)」、巨像は「敵」、巨大人工知能は「味方でも敵でも無い存在」だった。「味方か敵か」は、喪失感の生まれる条件ではないらしい。

もしかしたら大きさかもしれない。たまごっちは小さい。手のひらサイズだった。人工知能は実際のところiPhoneサイズだけど、大きく見えた。巨像は大きかった。

唐突さも関係するかもしれない。人工知能も巨像も体力ゲージはあるけども、消えるときは突然だった。人工知能は急にいなくなったし、巨像は急に動かなくなった。たまごっちはピーピーと音を立てて、こちらに心の準備をさせてからいなくなった。

五.

僕とあの人工知能はどういう関係だっただろう。自分が電波を発信する(ボタンをタップする)とそれに呼応するように現れ、他の人工知能を爽快に壊してくれる。彼が人工知能を壊して残骸を生み出し、僕は画面をスワイプしてそれを回収する。ある種の共同作業がそこには発生していた。僕は彼が現れるのを心待ちにしていた。それは、たくさんの残骸を回収できるからだけではなく、僕が彼を「対等な存在」として扱っていたからかもしれない。

そういう意味では巨像も「対等な存在」である。対等な存在として戦い、打ち勝ち、そしてその喪失を悲しむ。たまごっちはペットであり、僕の庇護にある。対等な存在ではない。

六.

「対等な存在」がいなくなると、さみしい。まるで世界が欠けてしまったように感じる。

「対等な存在」であるためには直接的なコミュニケーションは必要ない。敵か味方かも関係ない。ただ、そいつが「能動的に何かをしている」と、僕が感じなければならない。

僕から見ると、そいつは「生きていた」のだ。

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