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ぼくらのみる夢

JBJとはなんだったのか。わたしは彼らがグループとして結成されようとしているタイミングで好きになったわけでも、毎回律儀にイベントに通っていたわけでもないと前置きしてこの文章を書く。夢という言葉には2つの意味がある。寝ている間にみる、起きたらぼやけて消えてしまうもの。理想として描く像叶えたい願望など、実現可能でノンフィクションとなり得るもの。わたしがこの7ヶ月の間みていたのは前者の夢ではなかったし、可能性で終わらずに実現した。
JBJはアイドル誕生の物語であったしアイドル再生の物語でもあった。わたしの好きなひとが一度芸名での活動を終わらせようと決断したのは間違っていなかった。彼は終わらせることで新たなスタートに立てたのだ。それも一見スタートに立ち、惜しいところでまた終わってしまったかと思えたのに。
もしもかみさまがいるのならそのひとはきっと努力を、才能を見ているのだと思う。その再生の物語が、同い年の男の子の歩みがわたしを引きつけ現場へと足を運ばせていた。終わりが分かっていたからこそ必死だったのだと思う。終わりが見えてこそ、なくなってからこそ人間が大切なものに気がつくとはよく言う。彼はどうしてステージに立つのだろう。考えたこともなかったし知ろうとしたこともなかった。わたしは何もきみのことを知らないね。ただ明るく振る舞うアイドルの隙間に見え隠れする年相応の人間の息を感じることが好きだ。悪趣味だと思う。アイドルをやってくれているのにわざわざ人間の部分を探そうとするなんて、業務妨害だ。変な好きになり方をしてごめん。それでもきみを知ることができて、ステージで楽しそうにしている姿を目にすることができて嬉しい。始まってもいないお話の終わりを思って悲しくなる。まだ始まってもいないのにその場に立ち会うことに気がつくと一気に本人たちはどう過ごしてるのかな、どう思っているのかなと気になってしまう。不思議だ。これがきみの新たなスタートになることを祈り、夢をみようともがく。おやすみなさい。

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