一度も美しくなくても

幼い頃の私は、ジェニーちゃん人形での着せ替え遊びにひどく執着する少女だった。
より親しみやすい体型のリカちゃんより、驚くほど長い脚と小さな頭、細くくびれたウエストを持つ、目の中に星がペイントされたジェニーちゃん人形が好きだった。ドレスを着せたり、家具や衣装を作ったり…そんな他愛もない遊びに当然熱中するような歳をとうに過ぎて、中学生になっても私はまだジェニーちゃん人形に夢中だった。
当時の私自身はといえば、幼児の頃からの肥満体型で、いつもボサボサのくせ毛を無造作にくくり、脂ぎったニキビだらけの顔。爪を噛む癖のせいで指先もボロボロ。お洒落をしてみたくても、子の肥満体型は親の責任だと固く信じた母から体型について毎日責め立てられて、自分の身体に合うお洒落など考えられなかった。それでいつも、だぶだぶのメンズサイズのジーンズやネルシャツばかり着ていた。学生時代のクラスで一番陰気で清潔感のない女子を想像してもらえれば、きっと当時の私に近いだろうと思う。
そんなわけで私は、現実の自分を磨くことからひたすら目を背け、美しいジェニーちゃんに自分を投影し、きらびやかなドレスを毎日着替えさせてはうっとりと悦に入っていたのだった。

私のこの人形遊びは、高校を卒業し、大学進学に伴って上京して一人暮らしとアルバイトを始めたことで斜め上の方向に加速する。本来ならばキャンパスライフを楽しく過ごすために必要な最低限の衣類や化粧品などに使うはずのお金を、当時某フィギュアメーカーから発売されたばかりだった球体関節人形に費やすようになった。身長も60㎝近いその人形は、衣装はもちろん、ウィッグやドールアイ(ガラスやアクリル製の眼)、靴や小物に至るまで、ジェニーちゃん人形とはかかる金額が桁違いだった。
バイトを増やしたりして何とか買いそろえた一式に、長年の人形遊びで身に着けた裁縫のスキルを総動員し、布を買ってきてはドレスを何着も縫った。
当時の私自身はといえば、相変わらずのノーメイクにぼさぼさ頭、生活は荒れ放題で、着れるサイズの服をただ着ていただけだった。ごみ溜めみたいな部屋の中で、人形だけがきらきらと夢みたいに美しかった。
当時、気力の無いときの私は、「自分は世界で一番醜いのだ」といつも思っていた。
また、比較的気力が充実しているときは、「外見や流行ばかり気にするのは頭空っぽの馬鹿だけだ」と他人を見下していた。
外出するときも、鏡すらろくに見なかった。
思えば、この時私はすでに、その後足掛け20年近く私を悩ませた鬱病に、尻尾を掴まれていたのだった。

せっかく合格した大学に通いきれずに中退した私は、その後、メンタルの浮き沈みの激しい数年間を過ごしながら、運が良いことに女性の外見にとんと無頓着な男性と出会い、実に低体温な恋愛をし、流れるままに結婚した。現旦那である。旦那は自分の外見にはまったく無頓着ではあるが、その分、他人の外見についてもあれこれ無神経なことを言うことがない。体型や外見を日常的にジャッジされる心配がない、というのは、私にとって生まれてはじめての解放感だった。
そんな状況に慣れてきてやっと私は、自分自身の美容やお洒落、つまり外見を良くする方向に、少しずつ少しずつ気持ちが向かい始めたのだった。逆説的なようだが、「お前の見た目は悪いからダメだ、みんながお前を醜いと思っている、誰からも好かれない」というメッセージを親から受け続けていたときには、頭で理解してはいてもつい「外見で人を判断するな!」と反発せずにはいられなかった。
それが旦那と付き合うようになり、コンプレックスをむやみに刺激されなくなったことではじめて、「あれ…私これでいいんだっけ?本当に今の自分に納得しているんだっけ?」と自分を振り返る余地ができたように思う。
そこで自分のことを大切にすることができるようになり、ダイエット成功、きれいになってハッピーエンド☆ならば何の問題もなかったのだが、長年こじらせた容姿コンプレックス、そうは問屋が卸さない。
ここから私の外見についての、第二迷走期とでも言うべき時代が始まったのである。

今更だがこの文章でお伝えしたいことは、「どんな人もより美しくなる努力をするのは良いことだ!」ということでも、「どんな人もありのままの自分でOK!外見について気にする必要なんてない!」ということでもない。私はそのどちらの気持ちもいつも持っているけれど、どちらかだけに偏ることは、もうない。
私自身は、20代も半ばを過ぎた頃にやっと「私はずっと美しいものが好きだったんだ。私のようなものでも、少しでもきれいになりたいと思っていいんだ」と気づいた。
それはいい。前向きでとても素晴らしいことなのだが、そこまで抑圧され圧縮されきった外見への情熱は、やや無軌道に走り出した。自分の体型や顔かたちを恥じるのはやめる!自分を好きになって着たい服を着るの!と、まるで氷の城を建てたエ〇サのような勢いを得た私は、暗い過去を取り戻すかのようにド派手なネイルアートやアクセサリー、過剰に個性的な色柄の服などに嵌まり込み、またダイエットとリバウンドを繰り返し、「結局私は全然きれいになれない!ぶくぶく肥って美しいところなんて一つもない!ジェニーちゃん人形にはなれない!」と、自分の美のポテンシャルの限界に躓いては絶望することを繰り返していたのだった。冷静に考えてみれば当たり前だ。人間離れした9頭身スタイルの、瞳に星がペイントされている人形と、限りなく立方体に近い体型にごく庶民的な顔立ちを持ち合わせた私では、そもそも骨格からしてかけ離れているのだ。美しくなりたいと願い、その最終目標がジェニーちゃん人形である限り、私がそこに到達することはあり得ない。今まで外見について必死で考えないようにしてきたツケがまわってきて、普通ならば思春期の頃に気づくはずの真実に、私は三十路にもなってやっと直面する羽目になった。
まして生身の人間は歳を取る。ただでさえ重くまとわりつく体脂肪はどんどん重力に負けて垂れ下がってゆく。気づくのが遅すぎた。完全なる負け戦である。

そこからさらに数年が過ぎた。美しくない自分に絶望したり、まあいいじゃないかそれでも楽しく生きていこう、と時には前向きにお洒落を楽しんだりと、それなりに幸せな日々だったが、長年の体脂肪の過剰な蓄積がじわじわと私の健康状態を蝕んでいた。健康を取り戻すためには体重をコントロールしなければならない。美醜以外の問題ではじめて、自分の体型と本気で向き合うことになったのだ。
それまでの私のダイエットといえば、ひたすら自分の醜い肥満体のことを厭い、自分で自分を責め抜いて行うものだった。過激なダイエットに耐えられずにリバウンドをしては、私はまだ自分の醜さを認め切れていないんだ、もっと自分を嫌いにならなければ、自分のだらしなさに絶望しきっていないからリバウンドなどしてしまうんだ、と固く信じ込んでいた。
しかし、そんなことを思春期のころから20年も繰り返し、そのたびに更に体重を増し続け、鬱病の再発も何度か経験し、さすがに気づく。この方法は正解ではない。少なくとも私にとっては。
健康になるために、今のままではいけない。何より家族に迷惑がかかる。
でも、自分ひとりで、自らを責め抜いてダイエットを完遂するのはきっと無理だ。

よし、肥満治療の病院に行こう、とようやく思い立った。「ダイエットくらい本気になれば自分でもできる」というつまらない、しかし捨てきれないプライドをかなぐり捨てて、自力ではコントロールできないことを認め、プロの助力を頼もうと、やっと思えるようになった。
高度肥満症の治療を専門的に行う科のある、大きな病院が自宅から通える範囲にあったのは幸いだった。
治療中はいろいろ、本当にいろいろなことがあり(この事についてはいつかまとめて書きたいと思っている)、たくさんの専門家のみなさんのご助力のおかげで、今現在の私の体重は、治療をはじめたピーク時からマイナス20㎏ほどだ。
それでも、もともと規格外の肥満体だった私は、まだまだどんどん体重を落とす必要があるのだが(!)、さすがに体重が20㎏減ると服のサイズは大幅に変わり、今まで着ていた服が軒並み着られなくなる事態が発生した。
クローゼットにあった服のほとんどを処分し、それでもタンスの底の方にあった、「少し痩せたら着られるはずだから買っておいて、いつか着たい」と思っていたお気に入りの洋服たちには袖を通すことができた。
一目ぼれして気に入って、着れもしないのに買ってしまった、個性的な柄の服をやっと着ることができた私は、鏡に映った自分を見て、あっさりと思った。
あ、これ似合わないわ。

思えば私はごく最近まで、「外見に気を遣う」というのが、「服装で自分の好みを主張する」とほぼイコールだと思っていた。TPOをわきまえなければいけない場を除いては、自分の好きな色柄の服を着るのが一番楽しいし、それに勝る喜びはないと思っていた。だから気に入ったデザインの服があれば、サイズが許せば試着せずに買っていたし、着たあとはろくに鏡も見ないで、「好きな服を着ている自分」に満足していた。
体型が変わり、(今まで自分が把握していたサイズ感が通用しないので)試着して服を買う機会が増え、鏡に映った自分をじっくりと見る機会が増えてはじめて、
「ああ、私ってこんな顔してたんだっけ…」
「肌の色ってこんな感じだったっけ…」
「この色は好きだけど似合わないな…ポイントで使うのはありかな…」
などと思うようになった。化粧をするときも、今まではとにかくベースを整えて好きな色を乗せて完成!だったのを、ひとつの立体として、改めて自分の顔を捉えなおすようになった。これが思いのほか面白い。40年近く生きてきて、まるで見知らぬ他人のように見えることもある。
多少脂肪が減ったからといって、いわゆる美人には程遠い。けれど自分がずっと目を背けてきたような醜さや卑屈さも、やはり鏡の中にはない。目がふたつ、鼻がひとつ、口がひとつ、やや間の抜けた余白の多い印象ではあるが、そこにあるのは、あたりまえの人間の顔である。
そこに陰影を足したり、色を差したり、ツヤや光を加えたりすることで、思いもかけず好ましい顔立ちになったと思える日もあるし、なんだかのっぺりして物足りないと思う時もある。いっそ何も手を加えないすっぴんの方が自然で良いと思える日もあるし、塗るのを張り切り過ぎて昭和のマネキンみたいになる日もある。
自分の顔をこんなにじっくりと、平坦な気持ちで見たのは、生まれてはじめてのことだと思う。

健康のためにはまだまだ痩せなければならない今の自分の顔と身体は、ノミで彫像を彫りだす前の原木のようだな、と思った。
この先ここから、どんな自分が現れるんだろう。

全身フルカスタムの美容整形にでも踏み切らない限り、どう間違っても、ここから私が美人になる道はないだろう。ジェニーちゃん人形は私の(そしてたいていの皆さんの)終着点ではない。こちとら生身の人間である。老いもする。ほうれい線は深くなりシワもシミも増えるだろう。合成樹脂製のつるぴかの人形とは訳が違う。息絶えるその日まで細胞分裂しつづけるのだ。その日まで、もしかして、人生で一度も美しかったことがないままかもしれない。
それでも私は、今の自分をたぶん、過去最高に気に入っている。
似合う服と化粧を選ぶ。ときには似合わなくても着たい服を着る。まったく外見に気を遣わずにすっぴんのまま、ラクで適当な服を着る。どれも素晴らしい一日だ。

38歳になりました。
これからの自分が、やっと楽しみになってきました。








だいじに無駄遣いさせていただきます!