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オンライン飲み会の夜、出産する夢をみた。

外出自粛が続く毎日、小学生と中学生の子の母であり、6人家族の主婦である私は、逃げ場のない閉塞感に、すっかり精神が荒廃していました。心は冬場の中年女性のカカトのようにがさつき、ひび割れています。
これは良くない、家の中で何か楽しいことをして、潤いを補給しないと早晩、心が乾季のサバンナになってしまう……
そんなわけで、巷で話題のアレ、オンライン飲み会というやつをやってみるか!と、なけなしの積極性を振り絞って重い腰を上げました。
同じように自粛生活に疲れ果て、家族や仕事関係以外の人との会話に飢えている友人知人たちの食い付きはなかなかのもので、あっという間にいくつかの飲み会の予定が立ちました。
オンライン飲み会、実際にやってみると、これが実に手軽で楽しいのです。
帰宅の心配がいらないし、自室でリラックスして好きな体勢で飲むことができる。それに自分の好きな酒やつまみを用意する楽しさがあります。
オンライン飲み会ならではの数多くのメリット、そこに思わぬ罠が潜んでいることに、この時の私は気づく由もなかったのです……(サスペンスドラマ風に)

ある日の夜も、私はオンラインサロンのメンバーと、和気あいあいとzoom飲み会を開いていました。
楽しく会話をしながら飲むと、一人で飲むよりも格段にお酒が進みます。
その日も気づけば缶チューハイを3本ほど空け、もう少し何か飲みたいな……と冷蔵庫を開けると、なんと純米大吟醸の4合瓶が私を待っていてくれるではないですか。
いや嘘をつきました。当然飲む気でした。この日に飲むつもりで買っておいたとっておきの日本酒でした。
よく冷えた瓶を掴んでウキウキとPCの前に戻り、ふと、日本酒用の盃を用意するのを忘れたことに気づきました。1階に降りて台所から盃を持ってこようか…と悩んだのは0.2秒ほどの間で、私はあっさりと、さっきまでチューハイを飲むのに使っていた空いたグラスをそのまま使うことを決断しました。

思えば、ここが重大なポイント・オブ・ノーリターンでした。
酒飲みが酒を飲んでいる最中、理性を取り戻すチャンスはさほど多くはありません。一つは、トイレで用を足した直後。そしてもう一つは、酒の追加を注文するか(家飲みならば席を立ってもう一杯酒を注いでくるかどうか)考える瞬間です。この、本当にもう一杯飲んで大丈夫かな?と考える、数瞬に満たない賢者タイムを逃してしまえば、翌朝にむかつく胃と痛む頭を抱えて盛大に後悔する羽目になるのです。
度数の強い酒ほど、小さなグラスでちょびちょびと少しずつ飲むのはこのためです(と私は信じています)。
しかしその日の私は、度数17度の、飲み口の良い日本酒を、300ml以上も入る大ぶりのグラスになみなみと注いでしまったのです。
目の前に注がれた酒を飲み干さないという選択肢は、酒飲みにはありません。注がれてしまった酒はすでに胃の中にあるも同じ。楽しい時間が過ぎるにつれ、するすると喉を滑り落ちていく日本酒。貴重な酒飲み賢者タイムのチャンスを、私は自ら手放してしまったのです。

夢を見ました。
両足を拡げて高くかかげられる独特の体勢の椅子に座った私は、汗だくで荒い息をついています。
ああ、これは分娩台だ。
私はこれから出産するのだ。
夢の中特有の物分かりの良さでそう納得した私は、既にピークを迎えている陣痛から解放されようと、思い切りいきもうとしていました。
しかし、横に立つ助産師らしき女性から、「まだ我慢して!まだいきんじゃだめ!」と叱られるのです。
ああこれは息子を産んだ時と同じだ、陣痛はきているけど子宮口がまだ全開になっていないから、赤ちゃんが出てこられないから、いきんではいけないんだ、と朦朧とする頭で考えました。
14年前に息子を産んだ時は、陣痛開始から出産まで40時間もの難産でした。その所要時間のほとんどは、まだ子宮口が開いていないからと、必死でいきむのを我慢する地獄のような時間に費やされました。なぜ人間の身体は、子どもを胎内から押し出そうという動きと痛み(陣痛)が来ているのに、産道へと続く第一ゲートをがっちり封鎖するような真似をするのか。順番がおかしくないか。赤子の頭が封鎖を突破しようと全力でグイグイ来てるんだぜ。早くそのゲートを開けろ!!責任者誰だよ?私か?
出産にまつわる理不尽さを十数年ぶりに体験している夢の中の私は、完全に錯乱していました。
十数年前とはいえ経験者です。ごりごりとした赤子の頭の感触までがリアルに下腹部に再現され、今にも出てこようと胎内からグイグイプレッシャーをかけてきます。ドアをノックするのは誰だ?もしかして存在したかもしれないIF世界の私の第3子か?爆発する僕のアムール!僕の子宮の扉を叩くのはいつもきーみーさっいやもう本当我慢できない!早くいきませて!
半狂乱になってそう叫ぶのですが、隣の助産師さんは、「まだだめです!」と取り付く島もありません。完全に余裕がゼロになり「無茶言わないでよ!!」と罵倒する私に、「我慢して!」と怖い顔で首を振ります。
いやいい加減にしてくれよ本当にもう限界ですって無理無理無理無理!

汗びっしょりで目覚めた私の頬には、リビングの床の絨毯の感触がありました。
ふらふらと上体を起こすと、時計の針は4時を指しています。外はまだ暗く、目の前の小机にはスリープモードになったノートPCと、チューハイの空き缶やグラスやつまみの残骸と、空になった日本酒の4合瓶が雑然と並んでいました。
ああ飲みすぎたのだな、と理解するやいなや、まだアルコールの霧が濃く残るぼやけた脳味噌が、下腹部の違和感をキャッチしました。
ごりごりとした塊が迫ってくる。まさか本当に妊娠……いや違う、これは。

便意だ。

お食事中の方もいらっしゃるかもしれませんし、あまり直截的な単語は避けてお話しましょう。
いわゆる大きい方の排泄物、これ以降はその頭文字を取って「U」と呼びますが、Uが人間の下腹部の長い長いワインディングロードを通ってくる間、少しずつ潤いを失って、岩のように固くなり、旅路の終わりあたりで道を塞ぐことがありますでしょう。この状態を仮に「U-Block」と呼びます。
ひとたびU-Block状態になると、Uは出口に向かって少しずつしか動くことができません。違和感だけを下腹部で盛大に主張しながら、しかしいかに力を込めて排出しようとしても、長い道のりの最後の関門(Uが通る門なので便宜的にU-Gateと呼びます)を突破することは難しいのです。
U-Blockが発生した際、無理にU-Gateをこじ開けようとする努力はたいてい逆効果です。最悪の場合、過負荷によりU-Gateに亀裂が生じ、その機能に深刻なダメージが生じかねません。
幸いにして、私はそれほど頻繁にU-Blockが発生する体質ではありません。大抵の場合は水分をよく摂り、あまり気にしすぎずに過ごしていれば、自然とUがU-Gateへと前進を始めるのです。いつそのタイミングがやってくるか、それは私にはわかりません。Uの自主性を信じ、どっしりと構えて待っていれば、いつか必ずUはU-Gateを突破してくれるのです。まるで育児書にありがちなアドバイスのようではないですか。

前の晩の記憶をたどってみると、オンライン飲み会を終え一息ついた私の前には、半分ほど残った4合瓶と空のグラスがありました。
そのグラスに酒を注ぐのを思いとどまっていれば……しかし私に残った最後の理性は、そのために使われることはありませんでした。
完全に酔いつぶれる前にトイレに行っておこう、という判断に、なけなしの理性は使い果たされたのです。

トイレで為すべきことを為した私は、その日いちにち感じていた下腹部の違和感から、U-Block状態であることを自覚していました。
しかし、無理はよくない、U自身に任せて待てばいいさ……といつものように悠長に構えてトイレを後にした私は、再びPCの前に座って動画を観ながら、大きなグラスになみなみと注がれた日本酒を当然のように一滴残らず飲み干しました。
酒は酔いを誘い、酔いは酒を誘う。特に、飲み口が軽いわりに度数の高い日本酒やワインは危険です。家の外で飲んでいれば、決してがぶ飲みするようなことはないものを、恐ろしい宅飲み無限ループにひとたび判断力を失った酒飲みは、なすすべもなくリビングの床で寝入るよりほかありませんでした。
そして過度のアルコール摂取により、いつもよりも深い泥のような眠りに落ちた私の体内で……ついに、その時は来たのです。どっしりと大きく硬く育ち、まるで動く気配もなかったUが、突如として歩みを進める決意を固め、U-Gateへの全力前進を開始したのです。

言うまでもなく、出産の夢は、Uが今にもU-Gateを突破しようとする感覚が、私の脳に見せた幻でした。
あの時、もし夢の中で私がいきむのを我慢できなかったら……もう少しだけ目覚めるのが遅かったら……そう思うとゾッとします。
あのとき、頑としていきむことを許してくれなかった怖い顔の助産師さん……夢の中の私は陣痛の苦しさのあまりさんざん当たり散らしていましたが、彼女こそがまさにU-Gateの最後の砦、人間の尊厳の守護神、括約筋の擬人化した姿だったのです。
ありがとう、ありがとう神よ。あなたのことを罵倒するなんて、夢の中とはいえ私はなんと罰当たりだったことでしょうか。あなたがもし夢の中で「いきんでいいですよ~」などと言っていたならば、その瞬間UはU-Gateを突破し、楽しいオンライン飲み会の会場であったはずのリビングは、阿鼻叫喚の地獄絵図と化していたことは間違いありません。
朝の4時、登り始めた太陽の薄明差し込むトイレの中で、恩人であるU-Gateを傷つけないように慎重にその扉を開きながら、私は両手の指を組んで感謝の祈りを捧げたのでした。
そうして無事にUを生み落とした水音を聞いた私は、硬く心に誓いました。

もう二度と、オンライン飲み会で日本酒は飲まない、と。

だいじに無駄遣いさせていただきます!