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【東海の放送コラム】岐阜のラジオ局と三重のラジオ局が狙った名古屋の電波

福岡に先を越された2局目のAMラジオ局を狙って

東海3県のラジオの歴史を紐解くと、愛知・岐阜・三重それぞれに民放局が設置されスタートしていることがわかります。愛知の「中部日本放送(CBC) 10kW」は最初から東海3県全域が放送エリア、岐阜の「岐阜放送(GHK) 100W」と三重の「ラジオ三重(RMC) 500W」はそれぞれの県だけが放送エリアとなっていました。

東海3県にこの3つのラジオ局が開局して出そろった時点で…

東京は…関東1都6県向けの広域放送局3局体制
・ラジオ東京(KRT・現在のTBSラジオ) 950kc 50kW
・日本文化放送協会(NCB・現在の文化放送) 1,130kc 50kW
・ニッポン放送(NBS・現在はLF) 1,310kc 50kW
大阪は…近畿2府4県向けの広域放送局2局と周辺に2局の計4局体制
・新日本放送(NJB・現在の毎日放送) 1,210kc 10kW
・朝日放送(ABC) 1,010kc 10kW
・京都放送(KHK・現在のKBS京都放送) 1,100kc 3kW
・神戸放送(現在のラジオ関西) 560kc 3kW

既に東京や大阪近郊では多局化が進んでいました。また、事情は異なりますが、福岡ではラジオ九州(RKB・現在のRKB毎日放送)が福岡(10kW)と小倉(100W)から電波を出し、九州朝日放送(KBC)が久留米(1kW)から電波を出す格好で、福岡も2局体制となっていました。その状況下で、「東海の広域局としての2局目」を、岐阜と三重のAMラジオ局が狙うことになるのです。

ラジオ三重は近畿東海放送(KTB)に

ラジオ三重と岐阜放送はそれぞれ、ひとつの県だけをカバーする県域局から、東海3県をカバーできる広域局への脱皮を模索します。ラジオ三重は1956(S31)年になると上野中継局を開局、本局を1kWに増力し、本社を三重会館に移します。三重からは名古屋方面に電波が良く飛ぶこともあって、ラジオ三重は事実上の「名古屋2つ目のAMラジオ局」として認知されていきます。

するとラジオ三重は社名を「近畿東海放送(KTBラジオ)」へと変更します。現在でも、三重は東海なのか?近畿なのか?と議論になりますが、それを逆手にとって、認可エリアは三重県だけにもかかわらず、近畿と東海にまたがる大きな放送局というイメージを創出します。

岐阜放送はラジオ東海(RTC)に

岐阜放送はラジオ三重に比べて開局が1年半近く遅く、動きは急です。開局の翌年、1956(S31)年には単独で岐阜市にテレビ局を開局申請、出力を1kWへと増力申請、さらに羽島市での10kW増力を申請と、ラジオ三重が準備をしていただけの段階で、広域局になるべく立て続けに申請を繰り返しました。しかし実現はしていません。そのなかで1kW化だけは認められ、ラジオ三重が近畿東海放送になったのとほぼ同じタイミングで、「ラジオ東海(RTC)」となります。

岐阜と三重が手を組んで名古屋を制する

いよいよ、三重の近畿東海放送と岐阜のラジオ東海が手を組みます。「(広域局の出力である)10kWへの増力およびテレビ放送実現のための準備委員会」を結成し、1956(S31)年12月26日、名古屋にテレビ局を開局すべく「新東海放送」の免許申請をします。この動き自体は珍しいことではなく、近畿では同じように京都放送と神戸放送が共同で「大関西テレビ放送」を設立、現在の関西テレビ(カンテレ)となっています。関西テレビはもともと、現在のKBS京都とラジオ関西が共同出資して誕生したものなのです。

その翌年1957(S32)年、新東海放送の共同申請をいったん取り下げて、他の申請者とともに申請を一本化、「新東海テレビ放送」を設立し、近畿東海放送とラジオ東海が発起人代表となります。その後はスムーズに進み、CBCテレビに次ぐ名古屋で2つ目の広域テレビ局として、1958(S33)年に東海テレビ放送が開局します。

三重と岐阜のラジオ局が共同出資をして名古屋に東海テレビを開局。ここまでは、京都と兵庫のラジオ局が共同出資をして大阪に関西テレビを開局…と同じ流れです。関西の場合はそこでストップし、関西テレビ・KBS京都・ラジオ関西はそれぞれそのまま存在し続けているのですが、東海はさらなる展開を見せます。

前代未聞の放送エリアを拡大しての合併

共同で東海テレビを設立した近畿東海放送とラジオ東海は共同で、1959(S34)年、名古屋の広域ラジオ局2局目となる「中部ラジオ放送」を申請します。合併契約書に両局は調印し、中部ラジオを「東海ラジオ」に改名します。そして9月20日に予備免許交付。三重と岐阜のラジオ局は合併することで、愛知を放送エリアとして獲得、晴れて東海3県の広域放送局、10kWの出力を手に入れることになるのです。

東海ラジオ・東海テレビは、歴史的に経緯をたどると、「伊勢新聞ラジオ局」を発端としていて、三重県津市を発祥とした放送局といえるわけです。現在は完全な中日新聞系列の放送局となっていますから、実に意外ですし、東海ラジオの聴取率が三重県や岐阜県で高い傾向があるのは、その名残なのかもしれませんね。

参考文献:
NHK年鑑 昭和31(1956)年版
東海ラジオ放送十年史(1969)
東海ラジオ放送二十年史(1979)
東海ラジオ放送三十年史(1989)
写真:
東海ラジオ放送上野放送局(三重・伊賀市)

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