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レイモンド・チャンドラー『ザ・ロング・グッドバイ』を英語で読もう ~ Chapter 0 はじめに ~

 レイモンド・チャンドラー(Raymond Chandler)の『ザ・ロング・グッドバイ』(THE LONG GOOD-BYE)を英語原文で読んでみませんか?

 チャンドラーの小説を読む楽しさの最大の魅力は、達人チャンドラーによる文章をじっくり味わうことにあります。全体のストリーテリングはもちろんですが、むしろ細部の表現や本筋から外れた寄り道の部分、こういうことろを一語一語、一文一文丁寧に読み込んでいくことがチャンドラーならでは楽しみです。

 とくにその比喩表現は、巧みさ、華麗さ、ひねくれ加減、思いも寄らない取り合わせ、抜群のイメージ喚起力など、唯一無比といっても過言ではありません。

 2冊目の翻訳本の翻訳者である村上春樹は、あとがきで、自分はチャンドラーの繰り出す「カラフルで過剰な手管」に惹かれ、ほとんど中毒のようになっているとして、さらに、「そうなっているのはなにも僕ひとりではないと、ひそかに確信しているのだが」とつけ加えている。

 なにを隠そう、わたくしもそのひとりな訳であります。

 レイモンド・チャンドラーは1888年にシカゴで生まれ、離婚した母と7歳のとき英国に渡る。名門パブリック・スクールに通うも中退。新聞や雑誌の文筆の仕事にたずさわるが生活ができずに16年間を英国で暮らした後に23歳でアメリカに帰る。第一次大戦に従軍し、18歳年上の女性と結婚し、西海岸に移り住んだ後は、一時は石油会社の副社長にまで出世するが、酒と女で44歳で失職。生活のためパルプ・マガジンに短編の探偵ものを書いて作家活動を始める。処女長編小説『大いなる眠り』が刊行されたのは51歳の時、本作『ザ・ロング・グッドバイ』が出版されたのは1953年、チャンドラーは65歳になっていた。

 アメリカで生まれ、イギリスで育ち、食い詰めて再びアメリカに舞い戻るが、失職し、四十を過ぎてから小説を書き始めた男。

 チャンドラーの小説の魅力のもうひとつの側面は、そんなチャンドラーが描写する戦後のアメリカ社会と都市の様相です。

 「服装だけはきちんとしていて、パブリック・スクールのアクセントでしゃべり、そのくせ、生活費を稼ぎ出すかい性もなく、残念ながら現在にいたるまである程度続いているアメリカ人を軽べつするくせを身につけたまま、カリフォルニアに移った」。イギリスからアメリカに戻り、西海岸に移り住んだころのことをチャンドラーはこう回想しています(フランク・マクシェイン『レイモンド・チャンドラーの生涯』、早川書房、1981年)。

 アメリカ人でありながら、イギリス人の感覚と言葉を持った、終生、どこにも居場所のなさを感じていたであろうチャンドラーの眼に映る黄金時代のアメリカは、アンビバレントで、センチメントとシニシズムがない交ぜになり、そして善悪を超えた独自の倫理観に彩られています。

 戦後のアメリカが先導して築き上げた、産業社会、大衆社会、消費社会は、その後、世界に広く普及し今日に至っています。当時のチャンドラーが感じていた居場所のなさは、いまや世界中のひとが多かれ少なかれ感じている現実ではないでしょうか。

 私たちは今だチャンドラーを生きざるを得ない、そんな風にも言えるかもしれません。

 この2つの魅力は、お互いに深く関連し、絡まりあい、ほとんど一体不可分な世界に達しています。

 チャンドラーの独自性は、この2つの魅力が一体となった文章スタイル(文体)として成立しているところであるといえます。表現とその意図が、まったく不可分な独自の文体として結実しています。チャンドラーの社会認識が、この文章を生み出し、逆にこの文章が、そうした認識に説得性とリアリティを与えています。

 読む者は、チャンドラーのこの独自の魅力に、ため息をつき、そして胸を打たれます。

 Raymond ChandlerのTHE LONG GOOD-BYE を読もうとしたきっかけは2007年に出た村上春樹訳の『ロング・グッドバイ』(早川書房)でした。

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 それまで親しまれてきたのは、清水俊二訳の『長いお別れ』(ハヤカワ・ミステリ文庫1958年初訳)です。長年チャンドラーといえば清水俊二の簡潔でストイックなイメージの日本語訳が定番でした。

 一方、村上春樹もあとがきで指摘しているように、この清水訳では結構な分量の原文が省略されて訳されていることで有名でした。

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 それに対して村上訳の方は、「「完訳版」というべきか、いちおう細かいところまでくまなく訳され、現代の感覚(に近いもの)で洗い直された『ロング・グッドバイ』」を目指したというように、原文がほとんど省略されることなく丁寧に訳出されており、表現も現代的です。

 清水訳における原文の省略ということはあるにしても、それぞれはそれぞれに魅力的な日本語のチャンドラーです。

 村上訳を読んで以来、時折、この翻訳本2冊と原文をパラパラと眺めていたのですが、ある時ふと気がつきました。3冊に出てくるフィリップ・マーロウやテリー・レノックは、やっぱり3冊それぞれで微妙に違うのだと。

 THE LONG GOOD-BYEは、フィリップ・マーロウとテリー・レノックという2人の孤独な存在同士の友情とギリギリのプライドとその結末の物語です。この小説の最大の魅力は、チャンドラーの手による2人の人物の精緻な造形とその緊張を孕んだ関係の展開にあります。

 チャンドラーは抑制された一人称の話法を基本に、選び抜かれた単語、周到な会話のやりとり、簡潔な状況の描写、独白における独特の語り口、筋とは無関係な凝ったエピソード、そしてため息が出るような比喩などを駆使して、2人の人生を展開させます。THE LONG GOOD-BYEを読む醍醐味とは、紛れもなくこうしたチャンドラーのひとつひとつの言葉にやどる息遣いのようなものを丁寧に読み込んでいくことにあります。

 当り前といえば当り前ですが、「完訳版」を謳う村上訳も、それはやはり村上春樹が読んだ、そして日本語に訳した『ロング・グッドバイ』なのです。

 他人の言葉を介さずにレイモンド・チャンドラーの言葉が創造したフィリップ・マーロウとテリー・レノックと対峙してみたい、これがTHE LONG GOOD-BYE を読んでみようと思った理由です。

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 どうせ読むのならば徹底的にslow & intensiveで行こうと決めて、リーダーズ英和辞典第2版を傍らに、ネット検索を武器に、清水訳と村上訳に助けを求めながら、一字一句納得できるまで読解に努めました。

 読み始めてみると、これが想像を遥かに超えた困難な道のりであることが判りました。

 初刊がすでに60年以上前であることに加えて、口語やスラングのオンパレード、警察用語などの頻出、そしてなによりもチャンドラー特有の持ってまわった言い回しや極限まで省略された構文など、予想はしていたものの、ドメスティックな教育と生活オンリーのおぼつかない英語力の人間にとって、チャンドラーの原文は思った以上に難解でちょっとやそっとでは手の負えない代物なのでした。

 雑事と怠慢と気が多く飽きっぽく根気のない性格がそれに輪をかけました。半年間ページを開かずに終わってしまった時期もあり、あるいは2時間かけても1行の内容が理解できずに立ち往生してしまったこともありました。その結果が、3年間で半分という進捗という訳です。

 しかしながら、青息戸息で全53章のうちなんとか26章までたどり着けたのは、その読書がはなはだ困難を極めながらも、一方でメチャクチャ面白い体験だったからにほかなりません。

 ゆっくりと徹底的に読み進むうちに、チャンドラーが精緻な言葉で作り込んだフィリップ・マーロウとテリー・レノックが紙面から少しずつ立ち現れてくるような、そんな体験です。

 無謀な企てもハーフ・タイムを過ぎれば、安易な楽観に取って変わります。

 残り半分の読了に向けた道をゆっくりと進みながら、次回からTHE LONG GOOD-BYE のスロー・リーディングの記録を綴っていくことにします。チャンドラー渾身の比喩や表現を味わい、聞いたこともない単語や熟語の意味を発見し、闇夜を歩くような構文に四苦八苦し、お手上げの文章には潔く白旗を掲げる、そんな記録です。次回以降、一章づつまいります。
 
 いつ終わることやら分からない最も長い『長いお別れ』というわけです。


*次回から引用・参照される書籍は以下の通りです。

 Rymond Chandler THE LONG GOOD-BYE (Pengin Books)
 レイモンド・チャンドラー 『ロング・グッドバイ』 (村上春樹訳、早川書房、2007年初版)
 レイモンド・チャンドラー 『長いお別れ』 (清水俊二訳、早川書房、1978年三刷)

次回に続く


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