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琴平町のウィスキーバーDon't tell Mama(ドンテルママ)で見えたもの

「ドンテルママ」の評判は、すごく良い。「行った方がいいよ」と口々に勧められるけれど、わたしは過去にウィスキーを美味しいと思ったことがない。

それでも「一度行くといいよ」と言われるので、とうとう行ってきた。
薄暗いカウンターに腰掛けると、村上春樹の本が置いてあった。昔は好きでよく読んでいたけれど、このタイトルについては記憶がない。

それほど、わたしにとってウィスキーは、遠い世界の飲み物で一生わからないものだと思っていたのだ。

そんな中「ドンテルママ」での最初のオーダーは、「ウィスキーの味がわからないので、初心者向けにお願いします」と正直に伝えた。

マスターは、とても若く、きちんとしていておしゃれな男性だ。おまかせのウィスキーでソーダ割りを出してくれた。

もちろん、噂に聞いていた以上に美味しくいただき「あれ、これがウィスキーなのか。」と心が開いてくるのがわかった。

そして次に、たまたま目の前にあった「White horse」を選んでオーダーした。子供のころ父が飲んでいたので見覚えがあったからだ。
でも今回わたしが選んだものは、父が飲んでいた流通品ではなく、もっと格上の70年代に流通した50年もののヴィンテージ品らしい。
在庫がなくなると、この世から消えてしまう古き良き時代の素晴らしい1本なのだそう。

ウィスキーの味がわからない自分が、そんな大切なものを飲んでは申し訳ないと一旦は辞退した。
けれど、マスターは「だからこそ、飲んだ方がよいと思います」と勧めてくださった。

ということで、一口だけいただいてみた。

それは、それは、衝撃の一口だった。

薄暗い店内で、自分の目からビームが出て、未来まで強い光が差したような感覚を覚えた。樽のほのかな香りとスコッチウィスキーの甘みが、鼻腔を穏やかに占領して、一瞬にして自分自身の感知している場面が変わったようだった。そして恍惚感に包まれて自分の幸せな未来までを予感した。

なんだ、これは、魔法か。

50年の時を経て熟成された華やかさに魅了され、一瞬が永遠に感じるとはこのことかと思った。

最後の一本。

死んでも生きるとはこのことか。
それはウィスキーのことなのか、人間のことなのかよくわからなくなってきた。

マスターは言った。
「ロマンです。」

そのウィスキーを醸造した人は、亡くなっても、時空を超えて、今目の前にある。そして、こんなにも遠い場所にいる、わたしがこんなにも魅了されている。

どえらい体験をしてしまったのだった。

「ドンテルママ」お母さんには内緒の場所という意味なのだろうか。
そうさ、ママには言えない大人の世界を味わったのさ。

「もしも僕らのことばがウィスキーであったなら」も読んでみたくなった。

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