どんな日。

1人。部屋で何の音もなく、ただパソコンに文字を打ち込む。
こう書いている日は、どんな1日だったのか。
時間が経てば、その日の情景だって考えていたことだって、何も覚えていないのかもしれない。
こうして記すことで、今日という日に抱いた感情を無駄にしたくない。

写真ももちろん偉大である。
見返すと1年前の気持ちだったり情景が浮かんでくる。
”楽しかった”、”辛かった”、”面白くなかった”
こんな会話をしてこんなことで笑って。
1つの写真でそこまでの情報が生まれるのだからとても偉大。

でも私自身は浮かんだとしてもこの程度である。

今日という日は、朝6時に起きて8時に出勤。そこから初の営業同行に行き、お昼を食べて、課長と1時間話してまた仕事して。少しの残業をして耳鼻科に行った。ここまでの移動中は昨日の負けた試合を見て、チームメイトの振り返りに目を向ける。家に帰ってシャワーを浴びてご飯を食べて今である。
何気ない1日だし、特に大きなトピックがあるわけでもない。

けれども今日はたくさん考えた。悩んだ。
この先を見ようとした。
どんな1年後があるのだろうと見ようとした。
でも見たいようで見たくなかった。

サッカー、仕事、人間関係。

1年前の写真から、今の生活は想像できなかった。
チームを変え、仕事を変え、関わる人を変えた。
でもやっぱりこの時の想いはわからない。
覚えていない。
試合に出れなくて悔しかった。仕事が面白くなかった。
友達と遊ぶのが楽しかった。やはりこの程度。

もしかしたら本当にその程度しか思わなかったのかもしれない。
だから正解なんてわからない。

でも今のこの気持ちはもう1度冷静に見たい。
1年後に見たい。こんなにも普通の1日かもしれないけど、これだけ考えていたのだと。仕事に対して、サッカーに対して、人に対して。

移動中も休憩中も試合を見て、誰かの書いた振り返りが更新されているかを見て。もう2か月も居ない課長の話すことに頷きながらも自分と重ねて。どんな1年後になるか想像を膨らませて。誰が自分の隣を歩いてくれているのか、誰に支えられ支え生きていくのかを見ようとして。それが誰であってほしいのかと願いを込めて。理想と現実をしっかり見ようとして。

それでも1年後にどうなっているかは自分も課長も親も恋人も誰にも分らない。出来ることはその理想に近づけるよう日々考えて行動することだけ。

明日はどんな日になるだろう。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?