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ハンサムじゃないとダメですか? ──かたすみの女性史

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歴史ドラマの主人公が女性なのは、もちろんうれしいけれど、 エンターティメントの悲しさ、ドラマの女主人公は、みな有能で勇ましく、美人で自信満々の“勝者”です。 来年のNHK大河ドラ… もっと読む
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かたすみの女性史【第2話】壺井栄をナメるなよ !(その11)

かたすみの女性史【第2話】壺井栄をナメるなよ !(その11)

壺井栄をナメるなよ !(その11) 栗林佐知
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■石牟礼道子をホメタタエルなら……

 面白い「壺井栄論」を目にした。 
「草いきれ論争」が始まる前の1952年9月、「新日本文学」誌上に載った、栄たちより20歳若い詩人・評論家、関根弘によるものだ。

 関根は、前年(1951年11月)刊行されたの栄の『母のない子と子のない母と』(光文社、初出は「毎日小学生新聞」原題「海

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かたすみの女性史【第2話】壺井栄をナメるなよ !(その10)

かたすみの女性史【第2話】壺井栄をナメるなよ !(その10)

壺井栄をナメるなよ !(その10) 栗林佐知

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■ 発展してゆく壺井栄文学のテーマ

 ここで、一つ、訂正しなくてはならない。

 (その7)で、“深く考えるには、壺井栄はあまりに忙しすぎた”などと偉そうなことを書いたが、これはまったく、的を射ていないと、改めて思った(書く前に思え!!)。


 栄がその後も結婚制度に疑いを持たずにいつづけた、とか、
「ミネ」の「

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かたすみの女性史【第2話】壺井栄をナメるなよ !(その9)

かたすみの女性史【第2話】壺井栄をナメるなよ !(その9)

壺井栄をナメるなよ !(その9) 栗林佐知→(その8)からつづき

■ 泥沼の「草いきれ」論争

 じっさい、徳永直の作品「草いきれ」は語るに落ちる。
 子持ちの独身男がどんなに大変かは身に迫る。しかし、

《経済力が同じなら男やもめは女やもめよりはるかにみじめである》p39

 という見解はいかがなものか。そんな母子家庭が何軒あるというのか。
 それに、自分の靴下を繕い、きんぴらをつくるのは、

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かたすみの女性史【第2話】壺井栄をナメるなよ !(その8)

かたすみの女性史【第2話】壺井栄をナメるなよ !(その8)

壺井栄をナメるなよ !(その8) 栗林佐知
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■ 「草いきれ」

 先ほど、「妻の座」についてたくさんの論評がでたのが、“少し後のことだ”と言ったが、この“少し後”のことについて話そう。
 壺井栄の「妻の座」の連載終了・出版は、1949年だが、その「論争」が起こったのは、1956年の後半~57年のはじめのことだった。
 以下、順を追う。

 『妻の座』刊行から2~3年の間、

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かたすみの女性史【第2話】壺井栄をナメるなよ !(その7)

かたすみの女性史【第2話】壺井栄をナメるなよ !(その7)

壺井栄をナメるなよ !(その7) 栗林佐知←(その6)からつづき

■ 性別役割やルッキズム

 もし、栄がはじめから、家父長制や家族制度の不合理を「否」とする思想をもっていたらどうだったろう。
 もちろん、そんな結婚観を持っていたら、妹とやもめ作家の結婚を取り持とうなどとはしなかったろうし、作品自体が成り立たなかっただろう。

「妻の座」は、力強い作品がいかにして生まれるか、ということの、稀少な

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かたすみの女性史【第2話】壺井栄をナメるなよ !(その6)

かたすみの女性史【第2話】壺井栄をナメるなよ !(その6)

壺井栄をナメるなよ !(その6) 栗林佐知
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■ 主婦を大事にせよ! というフェミニズム

 当時の女性読者からも指摘があるように、「ミネ」=栄の結婚観は、やはり、今日の私たちの目からも、いかがなものかと思われる。

 小説「妻の座」は、まごうかたなきフェミニズムの叫びだが、壺井栄じしんは、「家族制度は女を不幸にする」といった思想を持っているのではないのだ。

 娘時代、郵

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かたすみの女性史【第2話】壺井栄をナメるなよ !(その5)

かたすみの女性史【第2話】壺井栄をナメるなよ !(その5)

壺井栄をナメるなよ !(その5) 栗林佐知
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■「妻の座」への評価

 それにしても、このモデルになった出来事は、いろんな点で「変ちくりん」である。

 「妻の座」については、のちに(後述)、さまざまな論評が登場したが、その多くは、モデルとなった人々の行動への批判のようだ。

 そして、当時の男性評論家でさえ(いや、1970年代以降の男性より、1950年代の男性のほうが進歩

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かたすみの女性史【第2話】壺井栄をナメるなよ !(その4)

かたすみの女性史【第2話】壺井栄をナメるなよ !(その4)

壺井栄をナメるなよ !(その4) 栗林佐知
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■「妻の座」のあらすじ
 
 「妻の座」は、そんな栄の戦後の停滞期の中で書かれた、特別な作品だ。
 まず、内容、あらすじを追ってみよう。

 ……4人の子どもをかかえ、愛妻を亡くして困っていた「野村」(モデル:徳永直)は、「裁縫ができて優しい人」を紹介してほしいと、同じく進歩的な作家仲間である「ミネ」(モデル:壺井栄)に頼む。

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かたすみの女性史【第2話】壺井栄をナメるなよ !(その3)

かたすみの女性史【第2話】壺井栄をナメるなよ !(その3)

壺井栄をナメるなよ !(その3)栗林佐知

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■壺井栄の生涯(下)

 引っ越し続きの貧乏生活の中、栄はツケで米を買い、繁治の仲間たちにごはんを炊いてもてなし、さらには、妹二人を小豆島から上京させて学校に通わせ(学費は四姉が負担)、赤ん坊の姪を引き取り、まわりの者たちへの世話を惜しまなかった。

昭和10年頃の栄

 昭和2年終わり、繁治は、アナキストからコミュニストに転身

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かたすみの女性史【第2話】壺井栄をナメるなよ !(その2)

かたすみの女性史【第2話】壺井栄をナメるなよ !(その2)

壺井栄をナメるなよ !(その2)  栗林佐知

←(その1)からつづく

■ 壺井栄の生涯(上)

「妻の座」の話に入る前に、作家の略歴をざっとお話ししておこう。

 壺井栄。旧姓、岩井栄は、明治32(1899)年8月5日、小豆島の旧坂手村に生まれた。
 同郷の一級うえに、のちに夫となる詩人、壺井繁治(つぼいしげじ)と、プロレタリア作家、黒島伝治がいる。
 栄の両親は、醤油(小豆島名物)の樽づくり

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《注》【第2話】壺井栄をなめるなよ!

《注》【第2話】壺井栄をなめるなよ!

《注》
●(その1)
*1)徳永直の「妻よねむれ」は、1946(昭和21)年3月の『新日本文学』創刊号から連載開始。
ただし、「妻の座」初回が掲載された1947年7月号には「妻よねむれ」は載っていない。「妻の座」の第2回は、「妻よねむれ」の連載終了(1948(昭和23)年10月)後の1949(昭和24)年2月号に載り、以後、7月号までつづいている。だからつまり、「妻の座」と「妻よねむれ」は、一緒の

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かたすみの女性史【第2話】壺井栄をナメるなよ !(その1)

かたすみの女性史【第2話】壺井栄をナメるなよ !(その1)

壺井栄をナメるなよ!(その1)  栗林佐知

■ニコニコ顔のおばさん作家

 壺井栄の名を知らない人は、あまりいないだろう。
 国語の教科書でその作品を読んだことのない若い人でも、映画「二十四の瞳」の原作者、といわれれば、そのイメージを呼び起こすことができると思う。

 「台所からエプロン姿で手を拭き拭き現れたニコニコ顔の善良なおばさん」(鷺只雄『評伝 壺井栄』翰林書房、p7)といわれる、えくぼが

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【第1話】死の声――古河為子のこと (その1)

【第1話】死の声――古河為子のこと (その1)

【第1話】死の声――古河為子のこと (その1)    栗林佐知

明治34(1901)年11月30日、朝のこと。

東京は神田橋の下で、電信地下線の工事(一説には、船荷の荷揚げ作業)をしていた作業員が、上げ潮に乗って川を上流へ押し上げられてゆく人を発見した。

巡査を呼び、引き上げてみると、それは六十歳ほどの婦人で、すでに亡くなっていた。着物の品の良さや、小さな丸髷につけた櫛や笄(よく抜け落ちなか

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【第1話】死の声――古河為子のこと (その2)

【第1話】死の声――古河為子のこと (その2)

【第1話】死の声――古河為子のこと (その2)   栗林佐知

ひきつづき、足尾鉱毒事件について。

明治34年11月16日。

潮田千勢子たち(この人と日本基督教婦人矯風会のことは後で述べよう)篤志の女性5、6人が、被災地を視察に訪れる。案内したのは、議会と政府に失望し、議員を辞めた田中正造だった。

潮田らは、朝一番の汽車で上野を発ち、古河(こが)の駅から人力車で思川と利根川の合流する地点ま

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