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米津玄師「トイパトリオット」 知っているのさ いつか君が 僕のことを忘れることを

「僕は君の友達
君の愛を守るパトリオット
ずっと遠くの斜陽から
君の姿を見つけたよ」

この歌詞のストーリーの主役は「パトリオット(英語でpatriot、愛国心、愛国者)」。

そして、君。

米津玄師さんの1stアルバム「diorama」の8曲目。名曲ぞろいの中で、それほど目立っているとは言い難い作品ですが、本当に大好きです。

歌はいきなり、「僕:パトリオット」の自己紹介から始まる。
これ、何のメタファーなんだろう。
わざわざ「友達」って自己紹介しているけど、なかなかそんな立場の人っていないような気がする。

そこで、唐突ですが、パトリオットは「母親」、君は「息子」と仮に定義づけて、曲を考えていきたい。

「もしも君の心を
傷つけるものがあるなら
僕の灼けた体で
それをすぐに殺してしまおう」

過激すぎるほどの愛。私には親子関係のデフォルメに思えてくる。

「知っているのさ いつか君が
僕のことを忘れることを
それでいいのさ 僕は君を守るため
傷をつけるパトリオット」

親のことは忘れないとは思うけど、本当の意味での「忘れる」ではなくて、「軽んじる」とか「大切にしない」という意味での「忘れる」というような。

最後のフレーズはこれ以上ないほどの切なさが迫ってくる。

「僕がいなくなるとき
君の心に傷がつくよう
そう願ってしまう脆弱を
ひとつだけ許してほしい」

完全なる献身なんだけど、「そう願うことだけは許して」って、母親の子どもに対する愛じゃないかしら?

世の中には、子どもが母親を殺す事件もたびたび起きている。一般的には10カ月もの長期間、自分の子宮の中で子どもを育て、命をかけながら出産する。その子どもに殺される、ないがしろにされるという無情は世間にあふれている。

以前、noteで、米津さんの「あたしはゆうれい」について書いた際も、「母親と息子」説を提言しました。

この「トイパトリオット」も親子愛をつづっているのではないかと、私は感じてしまいました。

もう一つ。
この歌詞を読んで、浮かんできたのは米国の作家シェル・シルバスタインの「おおきな木(THE GIVING TREE)」のこと。作家はこの作品の中で、あらゆるものを与えた木に対して、一瞬だけ「だけど それは ほんとかな」と疑問を呈する。

この部分と、「トイパトリオット」の歌詞の最後の部分がとても似ている。

「僕がいなくなるとき、君が傷つくことを願ってしまうことだけは許してほしい・・・」

2022年8月15日 トラジロウ

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