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米津玄師「あたしはゆうれい」 それでも愛を あたしの名前を 教えてほしいの その口から

米津玄師さんの3枚目のアルバム「Bremen」の5曲目。
「あたしはゆうれい」というユニークな名前の曲だが、思いが届かない人に恋する様子を表現したメタファーだとすれば、せつなさが満開になる。

まあ、それでも曲から深刻さは感じられず、米津さんの遊び心満載の曲となっている。

楽しく、おどけた曲調で続いていく。

ゆうれいである「あたし」が、ゆうれいであることが理由で「あなた」に認識してもらえないにもかかわらず、

「あたしは鏡の中でひたすら 悪夢が遠のくように祈った」
「あたしは鏡の中でひたすら あなたが生きている姿を見ていた」

とけなげな様子が見て取れる。

サビは

「あたしはゆうれい あなたには見えない
ひとひらの想いも 伝わらない」

と嘆き節も出てくる。

曲も後半に進むに連れて、だんだん「あたし=ゆうれい」の望みもだんだん募っていく。

「あたしの体は半透明で
見透かすものなど何にもないや
それでもやっぱり涙が出るの
お願いよ あなたのその一言で
あたしの体に血を巡らせて」

つづられている歌詞はひたすらに悲しく、つらい。

単純に考えると、「あたし=ゆうれい」が、思いが届かない相手へのせつなさを延々とつづっている歌詞と解釈できそうですね。

うーん、でもなあ。

その解釈では、普通・・・。

面白くない。
独自案を考えてみます。

【「あなた」が高校生ぐらいの息子】
【「あたし」がその母親】

こう設定するとどうでしょうか?

あら不思議。
世のお母さんの切なさが!報われない日々の息子への思いが!
すべて、この歌に内包されているではありませんか!

私は父親として、間近で「母親の息子に対する愛」をずっと見てきました。それはそれは、けなげで、献身的でした。

今でもそれは続いています。
私自身には、理解できない部分が多いですが、「あたしはゆうれい」はまさに妻の息子に対する思いを歌っているように思えなくもない?!

もちろん、米津さんがそう意図したとは思いませんが・・・。

2022年8月13日 トラジロウ

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