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スピッツ「楓」 さよなら 君の声を 抱いて歩いていく

1998年3月25日にリリースされたアルバム「フェイクファー」の6曲目。
アルバムからシングルカットされる形で、98年7月7日に「楓」と「スピカ」が発売された。近年は、先にシングルがいくつか発売され、曲が溜まってくるとアルバムにまとめるという流れが主流だよね。
当時は先に「アルバム」、そこからシングルカットされるのが主流だった。このあたりも、ネットの普及なんかが影響しているような気がするなあ。
今のサブスク主流時代では、アルバム→シングルという流れだと「はあ?」って感じになるんじゃないのかしら?

それにしても、「楓」「スピカ」というセットは、強すぎますね。

楓を見ていきます。
草野さんのハイトーンハスキーボイスがこれほど生きる曲は、ほかにないと言っていいほどだと私は思っています。
「さよならあああ 君の声をおおおお 抱ーいてえええ 歩いていく 
ああああああ 僕のままでー どーこまーで 届くだろうーーー」
このサビは絶品ですね。スピッツの現在ある曲の中で最高レベルに達しているのではないでしょうか。

歌詞は難解ですが、言わば、夢を追うために別れざるを得ないという選択をした相手に対する気持ちと、自分は自分として歩いていくという決意を歌った曲だと解釈ができると思います。
同じアルバム「フェイクファー」では「仲良し」
ほかには
「若葉」(アルバム「とげまる」)
「花と虫」(アルバム「見っけ」)
あたりも、歌詞の方向性は同じものに分類できるような気がします。どれも恋人との別れを乗り越えて、夢を追うという内容だと解釈しています。

「心のトゲさえも 君が笑えばもう
小さく丸くなっていたこと」

過去、出会った「君」との思い出をこのように表現していますね。「トゲが小さく、丸く」で、君の存在の大切を浮かび上がらせる歌詞。脱帽させられます。

「かわるがわるのぞいた穴から 何を見てたかなあ?
一人きりじゃ かなえられない 夢もあったけれど」

若い(?)2人がそれぞれ将来に何を見ていたのか。
2人で暮らしていくという夢を抱いたこともあったね・・・。でも。

「さよなら 君の声を 抱いて歩いていく
ああ 僕のままで どこまで届くだろう」

このあたりは、都会に出て、バンドとして生きていく決意を歌っているように、私は感じます。

「探していたのさ 君と会う日まで
今じゃ 懐かしい言葉」

これ、どんな言葉なんだろう・・・。「恋」とか「愛」とか?

「風が吹いて 飛ばされそうな
軽いタマシイで 他人と同じような幸せを信じていたのに」

夢も実現させたいし、君とも一緒にいられるといいな・・・。
そんな思いは、実現しなかった。

「これから傷ついたり 誰か 傷つけても
ああ 僕のままで どこまで届くだろう」

夢の実現に向けて、進んでいくという決意だと解釈しています。

「瞬きするほど長い季節が来て
呼び合う名前がこだまし始める
聴こえる?」

【瞬きするほど】と【長い季節】では、矛盾しているような表現ですが、自分にとっては一瞬に思えるけど、5年とか10年とか、経過しているというような意味かしら?
「聴こえる?」の部分だけ、この曲の全パートの中で、未練を表現しているように感じます。

あれ?ネットでこの曲の解釈をいろいろ見ると、死別を表現しているというものもありますね。まあ、そうも取れるのかもしれませんね。それもありだと思います。

それにしても、この歌、なんで、「楓」という曲名なのかしら?

2022年9月8日 トラジロウ

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