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『夏の夜の夢』考察

【とても長い前書き】
(飛ばして頂いても全く支障ございません)

ここ最近sixtonesの髙地優吾くんにえぐいはまっています。
そりゃもう大したはまりっぷりです。
出会いからお話すると長くなるので別の機会にしますが、とにかくはまっています、髙地くん。
何かお揃いのものが欲しい一心で温泉ソムリエの資格とっちゃうくらいにははまっています、髙地くん。
等身大パネル二体勝手に召還して誕生日祝うレベルにははまっています、髙地くん。

そんな髙地くんが初の外部シェイクスピア作品『夏の夜の夢』に出演されるとのことで、まだライブにも参戦したことのない私は、このチャンス逃してたまるかと意気込んだわけです。
大事な社員研修日とかぶってしまいましたが、髙地くんに会わない選択肢はありません。
社長に直談判し上層部に話し合って頂き無事行けることとなりました。
許可された理由、「シェイクスピアのような歴史ある芸術に触れ、見聞を広めるのは良いことだ」とのことでした。
まあ、あの、ただの推し活ですが。
ありがたいです。らっきー。

もう2ヶ月ほどここに向けて全て調節し、全勢力注ぎ込んできたわけです。
とりあえず5kg痩せてみたり、洋服を新調してみたり、美顔器を買ってみたり。
もちろん舞台に向けて原作戯曲を暇さえあれば読み込み、出演雑誌は全て購入しました。
前日は、今一度戯曲を読み直し、インタビュー記事を再度一通り読み直して、準備は万端で眠りにつきました。
そんなこんなで、遂に初生髙地くんの日がやってきたわけでございます。
迎えた当日、今日ばかりは失礼承知で髙地くんを丁寧に拝む日としてそれだけの為に観劇させて頂こうと会場に足を運びました。
髙地くんの演じるライサンダーを、皆さんと繰り広げる喜劇を、堪能する心づもりでした。

観賞後、私は一人マスクをびしょびしょにし、長時間かけたアイメイクを全部落とす勢いで日生劇場を後にしました。大号泣です。

いやいや、まじで聞いてないんだが。
なんじゃこりゃ。
喜劇とは。いや喜劇ゆうたやん。
てか、めっちゃ読んだから知ってる、喜劇だったやんあれ。
落ち込みました非常に。

あまりの放心状態で、反対方向の電車に乗って終点まで行ってしまいました。
いったん落ち着こうとその駅で、髙地くんが好きだとおっしゃっていたデニーズのオムライスを食べました。
確かにデミグラスソース、美味しかったです。
さすが髙地くんのオススメです。
髙地くんがブログに載せてらしたかき氷は「もう終わっちゃったんですよー」と言われて、さらに落ち込んでしまいました。

ここまでもししっかりと目を通して下さった方がいたら、その忍耐力どうか別の所で存分に活用して下さい。
でもありがとうございます。
ここからようやく本題です。
あまりそうした心えぐられた系のご意見がなく、「え、なに?夢?」とすら思いましたが、少なからず同じ思いを抱いたという方々がいて安心しました。
そして、髙地くんがブログにてライサンダーの心の傷について触れておられ、タイムリー過ぎておこがましくも軽率に運命感じたハッピー野郎が、完全に個人的深読み解釈を勝手に繰り広げていきたく思います。
あくまでも私が感じたものなので、決して正解ではありませんし、壮大なネタバレ祭りです。
何卒宜しくお願いいたします。

【夏の夜の夢 考察】
(本題はこちらからです皆さま)

○パックと男の子
まずこの舞台、「夏の夜の夢」そのものがパックの子の夢なのではないかと思います。

冒頭で深い森に車イスで連れてこられた男の子は、多分生まれつき足が悪い五体満足ではない子で、森に捨てられた子。
うば捨山的なことかもしれないし、昔だからその足のせいで「悪魔の子」扱いされた結果かもしれないし、始めに伝統の舞をしていたことからなんらかの生け贄としてかもしれない。
役者の皆さんが簑のようなものを身に纏っていて、暗い面持ち、舞台の中央に鳥居があることから、生け贄などの伝統を閉塞的に続けている貧困に苦しむ村という解釈です個人的には。
とりあえず男の子は上手く足を動かせず、一人では帰ってこられないから深い森に置いてかれた。餓死寸前の死にそうな夏の夜にその男の子が最後に観たのがあの喜劇なのではないでしょうか。(彼を浮かばせたり、車イスから下ろした黒子達が「幽霊」って役名だったこともあり)
その夢の中で男の子は「パック」という一目置かれた妖精。自分は誰よりも早く走れて、自由自在にいたずらができる。男の子の少ない人生で出会った人(村の人々)総出演の喜劇で、そのわちゃわちゃした人間達を楽しそうに観てる。
そして、自分が始めた喜劇にパックが幕を閉じると同時に、男の子の人生も幕を閉じる。

終盤中村さんが婚礼の義の時に「健康で忌み嫌われる要素のない子よ生まれてこい」的なこと言ってるのも、男の子の「自分もそうだったら良かったのになあ」の表れじゃないかと思います。

○ライサンダーともう一人
冒頭の場面で、始めに車イス押してるのが髙地くん。なので、髙地くんはこの男の子のお兄さんなのか、なんらか家族だったりの深い繋がりのある人物なのではないでしょうか。

男の子の夢見る喜劇の中で髙地くんはずっと左手首に包帯巻いています。
それは「物理的な怪我ではなく彼の心の傷を表してる」と公表されており、本日のブログ(9/23)にて髙地くんもライサンダーの心の傷を「きょーも、背負って頑張ります」と述べています。
彼が背負っているのは、男の子のお兄さんとして、身内を自分の手で殺した後悔や悲しみだったりするのかなぁなどと思います。
だから最後の髙地くんは、ライサンダーではなく男の子の家族として、朽ち果てたその子を見て思わずその亡骸を抱き締めたのかなと思います(嗚咽でるほど泣いた)。
クッパ役を演じられている子役の一人、伊奈聖嵐くんが髙地くん休養中、ツイッターにて「いつもたくさんお話ししてくれる優しいお兄さん」と髙地くんのことを呼んでいたことを、役としての言葉でもあったのでは…と勝手に深読みしております。
そうでなくとも、ライサンダーが優しく愛らしく夏の夜の夢で描かれていることから、男の子にとってお兄さんはそんな存在だったのではないかな、そうであったらいいなと思っています。
そんな彼も、伝統や周囲の村人の圧力に抗えないで、男の子を最後まで守れなかったのではないでしょうか。そんな彼が、ライサンダーとして夢の中では、法律や親に逆らってでも愛を貫いているというのも、その理想との対比がとても切なく悲しかったです。

○暗い世の中だからこその喜劇
冒頭の老人っぽい中村さんや南さんは、親かもしれないし、しきたりを重んじる村の上の人たちではないかと思います。
喜劇の中では二人はパックになんだかんだとても優しく、愛情深く感じます。男の子は、周りの大人達が自分に、そうあってほしかったのかもしれません。
そんな伝統や風習、家族関係、今で言えばコロナウイルスや、集団圧力、人間はいつだって目に見えない何かに怯えて縛られて生きています。
この『夏の夜の夢』が生まれたのも、黒死病の流行により暗い雰囲気を吹き飛ばす為だったと言われています。
喜劇の生まれるところには、その喜劇にすがり夢見てしまうほどの辛く冷たい現実があるものなのかもしれません。
舞台を日本の森深くにしたことで、今のこの時に幕を開くことの意味がより強く印象付けられているように感じました。

○『夏の夜の夢』という喜劇
この作品は、このような重い背景を描きながらも、底抜けに間抜けで滑稽で愛おしい喜劇を役者様全員で全力で演じています。
これは、そんな喜劇を夢見た男の子に対しての精一杯の弔いのように私は感じました。せめて、男の子の夢を本気で、本物にしてしまおう。夏の夜の夢だとしても、その夢を永遠にみせてあげよう。そんな想いが熱量込めて伝わって気がして、やっぱりどうしたって泣いてしまいます。
本当に心に深く重く積もるような舞台でした。

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