クレオパトラ_320

2月18日 ゲームも大作病かも?

 AAAゲームって、「大作病」みたいなものなんだろうなー。

 1960年代のハリウッドは黄金期と呼ばれ、様々な大作名作が次々と制作されていた。『スパルタカス』や『ベン・ハー』『エル・シド』『史上最大の作戦』といった今でも語り草になるような映画はこの頃の作品だ。
 一見華やかに見える60年代ハリウッド映画。だが、実態は1作1作の制作費がどんどん大きくなり、確実に利益を出さないと制作会社の息が止まる……そういう状況だった。まるで暴走列車のように映画の巨大化はどんどん続き――ついにある映画がこの流れにとどめを刺した。

  その映画は『クレオパトラ』。1963年の映画で、制作費は4400万ドル(現在の貨幣価値で3億ドル越え)。興業収入は4800万ドルと一見いい勝負をしたように思えるが、制作会社フォックスが手にしたのは半分の2600万ドル。およそ2000万ドルの大赤字だった。

 この映画の失敗で20世紀フォックスは倒産直前まで追い詰められ、同時にハリウッドの黄金期にもとどめを刺した。大作1本の失敗で、会社が傾き、業界の流れすら変わってしまう。
 1965年に公開された『サウンド・オブ・ミュージック』が予想を越える大ヒットとなったおかげで、20世紀フォックスは際どく生き残り、現在に至っている(で、今はディズニーに買収された)。

クレオパトラ
 興業収入 6200万ドル
サウンド・オブ・ミュージック
 興業収入 1億5867万1368ドル

 で、ゲームの話だけど、ゲームが今、この流れになりつつあるな……というのがよく思うことで。制作費100億円の大作ゲームがドスドスと制作され、世界中で収益を上げている。一見華やかに見えるゲーム業界。
 でも一寸先は闇。この行く先は『クレオパトラ』じゃないだろうか。
 たぶんそういうことは最前線にいる人はみんな気付いているだろう。気付いているが、予算を抑えることができない。次なるサプライズのために、宣伝のために、どんどんとお金を消費していく。スケールを大きくしていく。この流れを止めることができない。
 この、止められない状況を、私は「大作病」と呼んでいる。

 私が考えるに、ヒット作とは、独自性とイメージ、キャラクター、サウンドそれぞれがピタリとマッチしていること。そしてその全てがシンプルに感じられること。技術のレベルは、はっきりいえば「中」くらいあれば良い。「極上」である必要はない。なんだったら予算300万円の映画であっても、それぞれの要素がうまくはまっていればちゃんと評価されるし、大ヒットもさせられる。全てのピースがピタリとはまっていることこそが大事なのだ。
 「有名な人」や「すでに実績のある人」を引っ張ってくれば大ヒットが作られるわけではない。1つのテーマに沿って「ハマっている」ことこそ大事なのだ。
(「有名人」や「実績のある人」を起用することに意義はある。そういった人達は安定したクオリティが出せることが保証されているし、それぞれにファンがいるから数字を読みやすい。しかし、テーマにハマらないところで起用しても、個性を潰すだけ。注意したい)

 しかし「より大きなサプライズ」のためにスケール自体を大きくしようと考えてしまう。スケールを拡張することでしかサプライズを作れない……というのは考え方が安直。あまり深く考えてない、という証拠だ。
 これが業界全体の流れになってくると、大作病チキンレース状態になってくる。次第に、予算の大きさがいくらか、が売り文句にすらなってくる。ある構想のために“仕方なく大金を注ぎ込む”のではなく、大金を注ぎ込むことが前提になってくる。
(「ポトラッチ」みたいなもんだね)
 観る側もどんどん目が肥えてくるから、あれだけ予算を掛けて時間も掛けているのに、他のゲームのほうが描写がリアルだ、という見方をしてくる。ちょっとの粗が目に付くし、シナリオに対して厳しい目を向けるようになってくる。映画だとカメラ前のセットで充分だが、ゲームはプレイヤーが自由に歩き回れるように、ありとあらゆる場面を作っていなければならない(当然、その分のバグチェックもしなくてはならない)。とにかくも大変だ。

※ ポトラッチ ネイティブアメリカンの言葉で「贈り物」を意味する。白人との交易が盛んになってから以後、ポトラッチのインフレが起こり、過剰な贈り物合戦を始めるようになった。ここから転じて、“破滅的な競い合いをすること”をポトラッチと呼ぶようになった。
Wikipedia:ポトラッチ

 コンテンツは摩耗するものだ。架空のキャラクターだから、無限に物語を生産できる……というわけではない。1つの世界観、1つのキャラクターから導き出せる物語の数、あるいは領域には限界がある。架空のキャラクターが磨り減らないなんて、嘘だ。架空のキャラクター、世界観であっても、制作される度に、目に触れられる度に磨り減っていく。
 見るほうも飽きるので、人気キャラクターだからそのストーリーをいくらでも見たいと思うわけではない。常に新しく、1作目よりも出来がよくないと、失望してしまう。人気キャラクター、人気シリーズなのにどうでもいいようなシナリオだったらユーザーの怒りを買い、大騒ぎになる(この辺り、KADOKAWAのプロデューサーはわかってないんだろうなぁ)。
 当然ながら、予算をより大きくすればよりキャラクターの魅力が大きくなる……というわけではない。予算を大きくして、世界観規模を大きくして、ストーリーも「なんだかわからないが世界の危機、宇宙の危機だ」と打ちだして面白くなるか……といえば絶対に面白くならない。ただただ大味になるだけだ。虚仮威しで終わってしまう。
 だからこそ「工夫」が大切だ。コンテンツやキャラクターは摩耗するものだから、いかに摩耗させないで、新鮮度を保ち続けるか。
 この辺り、『スーパーマリオ』シリーズや、『ポケットモンスター』シリーズはよくやっている。クオリティは必ずしも「極上」ではないが、毎回プレイ感覚に新鮮さを与えてくれる(どちらのシリーズにもマンネリはあったが)。
 『スーパーマリオブラザーズ』は生まれてから30年が過ぎているが、今でもゲームシーンの最前線だ。これは凄い。ゲームに新鮮さを与えるのに、予算規模やゲームのスペックは必ずしも必要ではない、というよい教科書となっている。
(そうはいっても、スペックの高さで殴り合うあの競争ももう止められないけども……。ユーザーのほうもそこに価値を置いてるし)

 そうはいっても、大金を使った超大作はロマンだけどね。『ベン・ハー』も『十戒』も大好き。大きすぎるロマンは、永遠に輝き続ける。

 ところで……仮にUBIやEAの100億円かけた大作ゲームが大コケして、姿を消しても案外困らないんだろうな……という気もしている。というのも、インディーズゲームの層が非常に厚くなっているから。
 どこかでAAAゲームの流れがクラッシュしても、インディーズゲームの流れがずっとあるからゲームシーン全体に停滞期が訪れることは多分ないんだろう。

とらつぐみのnoteはすべて無料で公開しています。 しかし活動を続けていくためには皆様の支援が必要です。どうか支援をお願いします。