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『ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド』 感想文

 今年10月末に『ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド』を購入し、先日12月17日、ついにガノン討伐完了。ゲームを終えることができた。それで、およそ1ヶ月続けてきたハイラル旅行を振り返ったものを書こう……と思い立ったというわけである。
 2017年発売のゲームを今さら……という気はしたが、『ブレスオブザワイルド』があまりにも素晴らしい作品だったので、このゲームで体験してきた思いをどこかに残したくなってしまった。今回私がここで書くような内容はおそらく2万人くらいがすでにどこかで書いたことと同じだと思うが、書かずにはおられなかった。今回のハイラル冒険はそれくらい素晴らしいものだった。世界中のゲームアワードをもぎ取った理由がよくわかったし、私としても「人生のベストゲーム」が更新された瞬間だった。そんなゲームをせめて「やったぞ」くらいのメモ書きとして、書いておきたいと思う。

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 『ブレスオブザワイルド』は「漫画」だ。漫画の手法を2つあげると「省略」と「象徴化」。漫画といえばキャラクターがまず挙げられるが、人間の特徴を思い切って省略し、特徴を象徴化して並列させる……これが漫画のキャラクターの描き方だ。漫画の象徴化は徹底されており(この徹底ぶりが歴史の深さを示している)、目・鼻・口……すべてが象徴化され、記号化され、記号化された表現は全てカタログ化されている。キャラクターが身につけるあらゆるものも象徴化されて表現される。一方の欧米は「リアルシミュレーター」だ。この性質の違いは、後で少し触れよう。
 日本の文化を端的に説明すると、あらゆるものを漫画的に表現すること、漫画的にアウトプットすること。それはジャンルとしての「漫画」だけに限定した話ではなく、日本的な製品はみんな漫画的だ。特徴をざっと削ぎ落として省略し、象徴化する。日本のコンピューターゲームが黎明期において強力だったのは漫画的な発想を活かしてゲームを作っていたからだ(その後、敗北の歴史が生まれたのは、欧米的なリアルシミュレーターが可能なくらいゲーム機のスペックが上がったからだ)。

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 惜しいのは馬宿にいる犬をなでられないこと。操作が複雑になることを避けた……その結果によるものだそうだが、やはり犬はなでたかった。

 話は『ブレスオブザワイルド』に戻ってくるが、この作品はやっぱり「漫画」だ。まず木を切ったらポンと薪が出てくる。獣を狩ったらポンと肉が出てくる。肉をキノコや魚と一緒に鍋に放り込んだら、ポンとそれなりの料理になって出てくる。
 最初、「木を切ったら薪が出てくる」という表現に「おや?」とはなった。間に入るべきプロセスが抜け落ちている。でも薪を集めて火をおこし、肉を放り込んで料理をしているうちに、不思議とキャンプを体験しているような気持ちになってきた。この感慨が不思議で、肝心な部分が省略されているのにも関わらずリアルなもののように感じられてくる。
 ゲーム的なプロセス、ゲーム的な作業の一環として、アイテムを得るためのアクションではなく、行動の全体がキャンプをやっているような体験になってくるのだ。
 不思議な感慨だな、と思っていたが、そのうちに「ああ、これは漫画なんだな」と思い付いた。必要なプロセスはざっと省略されている。キャンプ的な行動の象徴的なものだけがある。でもやっているうちに不思議なリアリティを感じ始めている。これこそ、漫画と接している時に感じられるものだ。

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 『ブレスオブザワイルド』といえば登山だ。『ブレスオブザワイルド』は平地が非常に少ない。かなり広いハイラル平原を中心に置いて、周囲は険しい地形に囲まれている。『ブレスオブザワイルド』はこの山々を乗り越えるゲームだ。実際、プレイ時間の半分以上は登山の時間のはずだ。
(街や都市を造るのは不向きな国で、『ブレスオブザワイルド』には大きな街というものがほとんどない。かなり広かったと想像される城下町は完全に壊滅。他に大きな街といえば「ゲルドの街」と「ゴロンシティ」のみであとは全て村だ)
 この登山中の時間はなんとも感慨深い。ゲーム的な話で言えば、頑張りゲージを天秤に掛けながら、この絶壁を乗り越えられるだろうか、それとも迂回道を探すべきだろうか……その選択が迫られるゲーム的な面白さはあるのだが、それ以上にその過程で得られる「体験」だ。
 例えば登山中、雨が降ってしまい、雨が降ると滑るのでそれ以上登山を続けられない。仕方なく雨がやむを待っているのだが、次第に空が明るくなり、雨粒が緩くなり、するとすっと差し込んできたのは夕日の光――。夜が来る前に先に進まなければならないのに、ついつい立ち止まって画面をキャプションしたくなる。

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 また登山中に真夜中の時間に入り……このゲームは3時頃月が没して、とても暗い瞬間がくる。月明かりが出ている間はまだ明るいのだが、3時くらいの時間になると非常に暗い。その後間もなく、ふと西側の水平線を見ると(その時、私はフロリア山の西側にいて、東側は山が立ち塞がっていたが、西側の風景が少し開けていて、遠くに海が見えていた)、水平線に赤い線ができて、空がじわりと青くなりかけていた。東の空に太陽が昇りかけていて、そんな色彩が見えたのだ。
(そんな風景を見ると、焚き火でも起こしてコーヒーでも飲みたくなるが……残念ながら『ブレスオブザワイルド』では焚き火を起こしてもできるのはせいぜい焼きキノコ程度のもの。惜しい)
 『ブレスオブザワイルド』における登山も、やっぱりほとんどの部分が省略されて、象徴化された登山でしかない。でも登山中に雨や風を体に受けて、夕日の光や夜明けの光を見た瞬間、妙にリアルな体験をしたかのような後味を残してくれる。
 夕日や夜明けの場面になると、ゲームの進行を中断し、ちょっと目の前の丘を登って風景を写真に収めたくなる(キャプションしたくなる)。現実でもやるような行動を、ゲームでもやっていることに気付く。

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 近付くとディテールがくっきりしていく感じ、雨の後の反射の仕方……この絵の印象が実に『ゼノブレイドクロス』に似ている。制作に関わったというが、お手伝いレベルの話ではなく、がっつり関わったのだろう。

 RPGにおいて、冒険はゲームの核となる部分だ。街から街へ、洞窟や怪物の拠点を探して旅を続ける。その道程というのはどちらかといえば作業的になりがちだ。その途上にどんな風景があったか、どんな風景を見たか……そういうのはあまり語られない。むしろ「攻略」としてどんなモンスターが出るか。どんな装備品で臨むべきか。そちらのほうに話が偏りがちだ。地形は最近はどのRPGでも豪華に作られているが、過程そのものにそこまでの感慨をもたらす作品は少ない。
 『ブレスオブザワイルド』の面白いところはほとんどの行動をユーザー側に委ねられているところだ。レベルとか装備品とか、シナリオの進行とかが関係なく、どこへ向かうか、ユーザー側に委ねられている(制約は「がんばり値」のみ)。山を登るにしても、決まった進路はほとんどない。一応、獣道程度の道があったりするが、だいたい無視するし、気がつかないことのほうが多い(下山中に、「おや、道があったのか」と気付くことも)。おかげでプレイヤーそれぞれの体験、プレイヤーによって見る風景、語られる体験が違う物になる。
 『ブレスオブザワイルド』は地形の作りもかなりおかしい。山を1つ越えれば熱帯雨林の密林が出てくるし、西の荒野を抜ければいきなり砂漠。まるで幕の内弁当のように、そんなに大きくないハイラル地図(大きさはリアルな京都市くらいだそうだ)に様々な気候と自然がひしめき合っている。
 かなり無理矢理な地図の作りで現実的に考えると不自然なのだが、おかげで峠を越えたその瞬間「お」と思うような風景が来るようになっている。山を越えて向こう側に真新しい風景が眼前に広がる。峠を越えたと思ったらまた峠……そういうのではなく、どんどん新しいものが見えてくる。まるで巨大な箱庭の中に放り込まれたような……箱庭ではなくジオラマスケールだろうか。おかげで登山続きでも気持ちが萎えることなく、新しい風景が見たいがためにどんどん探索を続けたくなる。
 また行った先々に、常に“何か”が用意されていることが冒険のモチベーションになってくれている。山を登り、いただきに達するとだいたいコログがいる。絶壁に貼り付いている木……何かあるかも、と苦労して行ってみるとやっぱりコログ。谷に入っていくと祠が隠されていることもある。単に漫然に山や谷が置かれているのではなく、ゲーム的な仕掛けがあちこちに配されている。そういうところが実に「ゼルダ的」なのだ(しかもそういうのが地図を見返した時の目印になる)。
 行き着いて結果なにもない……ではなく常に何かしらの“ちょっと嬉しい”がある。こういうちょっとした仕掛けが嬉しくなって、探索のモチベーションになる。

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 ゲームが終了するまでに、キャプションした画像は1600枚ほど……。「お!」と思う瞬間があまりにも多く、何枚も何枚も画像を残した。とにかくもハイラルは美しい。
 私のお気に入りはハテノ村。広さもほどよいし、音楽がなんともいえない緩やかな気持ちにさせてくれる。

 このゲームにおける狩猟して料理を作ったり、山越えの話をしたりすると、その部分を抽出するとあたかも「登山に行ってきた人」あるいは「旅をしてきた人」のような話になる。ゲームの話と言えば攻略やシナリオの良し悪しの話になりがちだが(もちろん『ブレスオブザワイルド』はゲームとしても素晴らしい)、『ブレスオブザワイルド』は狩りや登山の体験をプレイヤーに語らせてしまう。ゲーム的というかかなり漫画的に省略されて象徴化されているが、なんとなくリアルな体験をしてきたかのような気分にさせてしまう。
 『ブレスオブザワイルド』と対比となるゲームと言えば……(私はこのゲームをやっておらず、動画で見ただけだが)『レッドデッドリデンプション2』ではないだろうか。『レッドデッドリデンプション2』と『ブレスオブザワイルド』何が違うかと言えば……もちろん世界観とかキャラクターとかまるっきり違うのだがそういう話ではなく……『ブレスオブザワイルド』は「漫画」であり、『レッドデッドリデンプション2』は「リアルシミュレーター」だ。
 『レッドデッドリデンプション2』は狩りをするにしてもどの部分を狙うかで、毛皮の価値が変わってしまう。『ブレスオブザワイルド』のように大雑把に「獣肉」が出てくるわけではない。『レッドデッドリデンプション2』では細かいところで銃をしまっているホルスターのホックが外れているかどうかで、街の人の緊張度が変わってくる。どこまでも細かい。リアルな世界観をとことん追いかけて再現している。こういったところで、日本とアメリカ、その性質・性格の違いが出てくる。
 しかしこの2つのゲーム。世界観とかキャラクターとかそういう話は全部捨てたとして、プレイヤーにゲーム中の体験を語らせると意外と似たような感じになるんじゃないか……という気がしている。登山中に雨が降って、待っていると雲が晴れて夕日の光が射し込んできた……というような「あそこでこんな風景を見た」というような体験談になるんじゃないか。ただ作り方として発想が『ブレスオブザワイルド』は「漫画」であり、『レッドデッドリデンプション2』は「リアルシミュレーター」。……それでプロセスに差が出るがそれはさておくとして実は意外に似たゲームなんじゃないかという気がしている。『ブレスオブザワイルド』は日本だからこの作りになったが、『レッドデッドリデンプション2』はアメリカだからあの作りになった……その違いだろう。

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 NintendoSwitchはPS4やXBOXと較べてスペックがやや劣る。スペックの高い低いがゲームの面白さを計る指標にはならないが、『ブレスオブザワイルド』の場合、気になったのがかなり近くまで行かないとそこに何かわからないこと。近付かないとそこにあるものが描画されてくれない。そういうところで、NintendoSwitchのスペックに物足りなさを感じた。

 『ブレスオブザワイルド』はシナリオが非常に薄い。最近のRPGといえば百科事典数冊分というような凄まじいシナリオ量が普通になっているが、そういうものと較べて『ブレスオブザワイルド』のシナリオは何十分の一くらいしかないはずだ。
 RPGといえばドラマチックな物語の連なり……主人公がある切っ掛けで旅に出て、仲間と知り合い、様々な試練を乗り越えて人々を救い、その最後に悪の大魔王と対峙する……そういうシナリオが『ブレスオブザワイルド』にはない。
 メインのシナリオを追いかけていっても、「始まりの台地」を抜けると4神獣との戦いがあり、間にゼルダ姫とのやりとりを思い出すサブミッションがあって、それが終わるとガノンとの対決だ(『ブレスオブザワイルド』はこの全てのプロセスを無視して、いきなりガノンに挑んでも成立するように作られている)。あとは小さなシナリオがあちこちに鏤められている、という作り方だが、その全体を見ても最近のどのRPGよりもシナリオが薄い。
 しかしその薄さをそこまで深刻に感じられない。『ブレスオブザワイルド』は山を越えて草原を駆け抜けて獣を狩って……そういう体験がプレイヤーの物語になっている。その上にガノン討伐の物語が載っているという構造だ。作り手側が提示したシナリオはかなり薄いのは確かだが、しかし薄さを感じない。それどころかものすごく濃厚に感じられる。それもプレイヤーがそこへ到達するまでのプロセスが物語になり得るように作られているからだ(そういえば『ICO』もそういうゲームだった)。『ブレスオブザワイルド』という作品の場合、変にシナリオを作り込まず、プレイヤーの行動に制限を掛けなかったことが逆に幸いしている。
 とはいえ、『ブレスオブザワイルド』のような作りは危険性も孕んでいる。ゲーム的な最大の目的は厄災ガノンを撃破して、100年間あの場所で戦いつづけているゼルダ姫を救い出すことだが――そこまでに何があったか。ゼルダ姫との思い出を取り戻すミッションが間に差し挟まれるのだが、これを踏破するかしないかでは、最終的にゼルダ姫再会の“重さ”が変わってしまう。
 ここでもプレイヤーに選択が委ねられている。確かにここをプレイヤーに委ねてしまうことは凄いことだが、恐さもある。ゼルダ姫のことをほとんど思い出すことなくゼルダ姫を救い出すことだってできる。サブミッションをまったくこなさなかった場合、ゼルダ姫との再会がものすごく軽いものになってしまう。エンディングがまったく感動なきものになることだってある。これは「よくやったなぁ」と感心するしかないところだ。
(たぶん『ブレスオブザワイルド』には全てのサブミッションを達成したことによる「トゥルーエンディング」と呼ぶものはないのだと思う……確認していない。でも過程で得たもので、最終的に感じられるプレイヤーの気持ちに違いが生じる。そういう方向で作られている)

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 100年前、ここでリンクが倒れた。この門を境に、向こう側にはガーディアンの残骸が大量に打ち捨てられ、こちら側には1体も残っていない。壮絶な戦いがあり、戦いに勝利を収めてリンクは倒れたのだ(かつては門の向こう側も森だったんじゃないだろうか……?)。ハイラル平原にはあちこちにかつての戦いの後が残されており、100年前に何があったのか、ゼルダ姫、リンクの足跡を追いかけて、歴史を想像するのも楽しい。

 話は脇道に逸れるが、ゼルダ姫を思い出す場面はなかなか面白かった。ああいったふうに複雑な感情を抱えているゼルダ姫が描かれたことはかつてない。ゼルダ姫として生まれ、間もなく向き合わなくてはならない宿命に対する不安と迷い。近衛兵であるリンクに対しては恋心と嫉妬……あるいはプレッシャー。
 今回の『ゼルダの伝説』は、リンクの物語ではない。なぜならリンクについてほぼ何も掘り下げられないからだ。ただただプレイヤーの体験として狩りをしたり山を登ったり、敵の拠点を壊滅させたり……そういうプレイヤーの行動とイコールとなった現在形で紡がれていく体験記があっただけで、リンク自身がどこからやってきたのか、何を考えているのか、どんな不安や迷いを抱えているのか……ほぼ全く語られていない。昨今のゲームでは珍しく、プレイヤーの考えた気持ちそのものがその答えだ、という形が取られている(これまでの『ゼルダ』シリーズでも、リンクが自身について語る一幕はほとんどなかったが)。
 だから『ブレスオブザワイルド』の物語としてドラマとしての源泉は、ゼルダ姫の物語にある。そのゼルダ姫の物語はかなり短く、しかも断片的だったのだが……なんともいえない豊かさを感じる不思議さがある(ムービーを全部繋げても30分いかないかな?)。ゼルダ姫の不安や悩み、未熟さが端的でありながらものすごく伝わってくる。ゼルダ姫を演じた嶋村侑が抜群にうまい。あれだけ短く、前後の連なりも不明な短編にも関わらず、なんともいえず心揺さぶられるものがあった。
(今までのゼルダ姫は……64版『時のオカリナ』ではシーカー族の戦士、GC版『風のタクト』では海賊と、毎回波瀾万丈な人生を送っているが、内面については掘り下げられることはなかった)
 あと不思議なことだが、思い出す順番はどこからでも構わない、という作りだが、自分が行った順番が正しいという気がしてしまう。自分がものすごい幸運で、作り手が意図した順序でゼルダ姫の思い出を踏破した……みたいな気持ちになってしまった。そんなわけはないのに。ゼルダ姫を思い出す、そこまで行くプロセスも内的な物語になっているから、そんなふうに感じられるのだろう。
 今回のゼルダ姫は私個人的に、歴代ゼルダ姫ベストだと思っている。現代的な美容の概念がないからやたらと眉が太いのだが、おかげで大きな目といい感じにマッチして、なんともいえずチャーミング。あんなふうに様々な情緒が表現されたことも、今までになかった。見た目が可愛いというだけではなく、身近に感じられる部分もあるし、試練を乗り越えた高潔さもあるし、なにより人間味が感じられる。ゼルダ姫お気に入りのシーンを挙げたいが、ネタバレになってしまう。とにかく好きなシーン、好きな瞬間がものすごく多い。ゼルダ姫をこんなふうに魅力的に感じられたのは、初めてのことだ。

 嶋村侑。『進撃の巨人』アニ・レオンハート。『Goプリンセスプリキュア』春野はるか/キュアフローラ

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 太眉のお姫様。リンクよりも眉が太い。……太眉にコンプレクスを持っていたりとか、そういう話を想像してしまう。それはそれとしても、今回のゼルダ姫はチャーミングだ。

 「ゼルダの当たり前を見直す」
 これを合い言葉にして生まれた『ブレスオブザワイルド』だが、見事なくらい新しく、そして新時代を代表する作品として刷新された。
 実は今までのゼルダに対して不満があった。行ける場所に制約がありすぎる。ダンジョンを一つ一つ攻略していけば行動範囲が少しずつ広がるという構造だが、そこまで「あそこ何かあるな」と思っても行けないし(後で、と思っても大抵忘れる)、全部行けるようになった頃にはハイラルにあまり魅力を感じなくなっているというか……。全部回れたところで、ハイラルはさほど広くなかった。“多様さ”に欠ける。
 ダンジョン攻略は楽しいといえば楽しいが、ダンジョンの一つ一つは長すぎるし、なにより物語として予定調和になりがちだった。ダンジョンを回る順序は自由……と言いながら、手に入るアイテムによっては結果的に順路が決まっていたりする。
 一見自由に見えて、制約だらけなのが今までのゼルダだった(この制約は親切心でもあったが)。なんとなく「見えない壁」があちこちに配置されているようで、妙に窮屈というか、足枷をはめられているような感じがあった(64版以降馬が登場するが、その馬が駆け回れる場所もだいぶ制約されている。せっかくの馬が活かせる場所が限定されすぎている印象もあった)。
 それが今回の『ブレスオブザワイルド』は「始まりの台地」におけるチュートリアル的なミッションを越えれば、広大な大地がその次として待っていて、しかもどこへ向かってもいい。一応、「東のカカリコ村を目指せ」、という指示は与えられるものの、私はそこから外れ、気ままに祠を探し、ひたすら登山をしていた(カカリコ村は目指していたものの、途中から道がわからなくなって……というのが本当。気付けばカカリコ村よりも先にゾーラの里へ到達していた)。
 自由であることの気持ちよさ。制約がないことの気持ちよさ。パラセールで滑空する気持ちよさもここに加わる。
(あとお金に意味ができたことも嬉しかった。今までのゼルダは、お金を貯めても活用の場面が少なかった。買えるアイテムも装備品も少なく、ルピーが貯まりっぱなしだった。『ブレスオブザワイルド』で初めてゼルダに買い物の楽しみが生まれた)

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 しかし、それでもやっぱりゼルダなのだ。『ブレスオブザワイルド』のハイラルには険しい地形があちこちに作られているのだが、それらすべてがリアリティに基づくものではななく、ゲーム的なギミック、ゲーム的な都合によってその形を持っている、という場合が多い。どんな場所でもちょっとした謎解きや隠されたものが配置されている。大岩を転がすゴルフや、夜になったら光る像、欠片になって散った遺跡……(挙げると切りがなさ過ぎる)それこそ100メートル行った先には必ず何かしらある。広大なハイラルに、これらの“ゼルダ的”な小さな謎解きがあちこちに鏤められている。
 祠の謎解きはどれも障害が2つから3つにまとめられている。最初のシーンにチュートリアル的なお手本が置かれて、さあ次が本番だ、という構成だ。これを乗り越えれば「克服の証」が手に入る。ゼルダらしい、「謎解きもの」のお手本のような作りだ。
 4神獣はそれよりも複雑だ。複雑だが今までのゼルダのような長大のものではなく、1つのシンプルな構造で成り立っているのだが、これがしっかり作られている。やはりゼルダ的なのだが、すぐにわかるものがあればずーっと考えねばならないものもある(人によって「簡単だった」「わからなかった」はだいぶ差があるはずだ)。どれも終わってみてから振り返ると、「美しいダンジョンだったな……」と思う。構造といい、謎解きの深さといい、もはや芸術の域にある。
 今までのような長大で複雑な謎解きがない代わりに、小さな謎解きが無数に広いフィールドの中散らばっている……『ブレスオブザワイルド』はそういうイメージだった。それらを小さく小さく触れていると、ゼルダが突然変異して『ブレスオブザワイルド』の形になったのではなく、最近の「なんでもかんでもオープンワールド化」の流れに乗ったのではなく、ものすごく妥当な変化の末にこうなったのだな、と納得してしまう。どこを切り取っても、やっぱりゼルダなのだ。今までのゼルダを現行機に合わせて少しスケールアップしたらこうなった……というくらい自然な変化として受け入れられるような気がした。
 世相に流されるのではなく、新たな時代のお手本にすらなる。これがゼルダだ。そういう作り手の堂々たる声が聞こえてきそうだし、プレイヤーはただただ圧倒されるしかない。本当に見事なゲーム、見事なゼルダだった。

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 これまでのゼルダにあって『ブレスオブザワイルド』にないものといえば、フックショットだ。フックショットほしかったな……とは思うが、おかげで登山の面白さとパラセールの滑空という快楽が現れ、なくて正解だったのかな?

 しかし、まったく引っかかりがないわけではない。
 ゼルダシリーズにずっとつきまとっている問題点は「面倒くさい」だ。これまでのゼルダシリーズはアイテム点数が多く、何度も各ボタンに割り当てるアイテムを変えねばならなかった。あるシーンではフックショット、あるシーンでは爆弾、あるシーンでは……。何度も何度もウインドウを開く。謎解きを前にしてアイテムをセットして、しかしセットするアイテムが違っていたと気付くと、またウインドウを開いてアイテムの割り当てを変える。面倒くさい。
 『ブレスオブザワイルド』はそもそも主要アイテムの点数がかなり少ないし、上ボタンでさっと変えられるようになったが、それ以外のところで面倒くさい。例えば武器。最初のうちは問題ないが、終盤になると武器数が多くなり、武器の入れ替えがだいぶ大変になる。鉱床を見付けて鉄のハンマーに持ち替えて、そこに襲われたら剣に持ち替え、次に松明が必要になって持ち替えて……(敵属性にあわせて武器の種類も変える必要も出てくる)。武器点数が多くなると端っこから端っこへ、何度もカーソルを行ったり来たり。面倒くさい。
 防具の入れ替えも面倒くさかった。基本はシーカー族の装束で旅をしていたのだが(この衣装だと移動しながら虫や動物の採取ができるので重宝していた)、登山になったらクライムシリーズに着替えて、滝を見付けたらゾーラ族の装束、ゲルドの街に用事ができたら女装して、戦闘になったら防御力の高いハイリア装備、電撃攻撃の敵が来たらラバーシリーズに着替えて……と場面場面に応じて何度も装備品を変えねばならない。突発的に大ダメージを食らったら料理を食べるのだが、ウインドウを開いてカーソルをずーっと右。で、行き過ぎて最後のコログの実や克服の証が載っているページに行ってしまう。中盤から装備品をパワーアップできるのだが、必要な素材がなんだったかわからなくなる。あれだけ余白が一杯あるのだから、書いておいてほしかった(何度見当違いのアイテムを集めてしまったことか。集めようにもなかなか見付けられず、途方に暮れることもあった。広大すぎるがゆえの悩みだ)。

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 シーカー族の装束は私のお気に入りだった。移動しながら虫の蒐集ができるし、動物もそのまま接近して剣で狩ることもできた。あと体のラインがくっきり見えてセクシー。難点は最大まで強化しても守備力が少ないこと。

 『ブレスオブザワイルド』では様々な料理を作ることができて、これが面白くて一時いろいろ試して楽しんだのだが、その後、再現しようとしてもレシピが思い出せない。それで気付いたのだが、どうしてレシピ帳のようなものがなかったのだろう。レシピ帳から作る料理を選ぶ……というやり方もあったはずだ。街の人からたまにレシピを教わるが、憶えられないのでだいたいみんなキャプションしていた。最終的には、「面倒くさい」が勝って簡単な料理に“マックス”系の素材を放り込むだけの料理しか作らなくなった。
 『ブレスオブザワイルド』はメインとなるアイテムが少ないからそこだけはさっと変えられるのだが、それ以外のところで面倒くさい要素が多い。装備品や料理やその他様々な蒐集要素……と要素が多すぎる。何度もウインドウを開かなくてはならない(ウインドウを開くと、その度にゲームの進行が止まる。リズムが崩れる)。「ゼルダの面倒くさい」はむしろ増大したのではないか。
 それに地図……もう少し大きく表示できなかったものだろうか。『ブレスオブザワイルド』は広大で何度も地図を見ながら進まなくてはならないのだが、画面右下の小さな地図ではわかりづらい。  この「ゼルダの面倒くさい」はいつになったら解決されるのだろうか……。
(あと地図に貼り付けられるスタンプ。もっとたくさん、種類豊富に用意してほしかった。あれ、意外と必要になるんだ。自分で付けた目印を目指していくことが多いので)

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 静止画を撮るつもりが、うっかり動画撮影……時々あった。まだSwitchのジョイコンになれてないのかな……。

 もう1つ、シナリオ。やっぱり短すぎる。『ブレスオブザワイルド』では体験する冒険が濃密でありすぎるからシナリオが薄くてもさほど気になりはしないのだが……。振り返ってみると4神獣とゼルダ姫の思い出、あとはガノン討伐だけ(しかも4神獣とゼルダ姫の思い出はスルーできる)。もしかすると、最近のゼルダの中でもっともシナリオが短かったかも知れない。
 短かったからこそ良かった……といえるところもあるのだが……もうちょっと何かほしかった。
 例えば今回のリンクは何者なのか、どこからやってきたのか、何を考えているのか……いつも後ろ姿なので表情すらわからない。こちらもむしろ語られないからこそ良かった、というのもあるのだが、ここまで全く掘り下げられない主人公もそうそうない(時々、語尾に“ざらし”を付けるくらいの個性しかわからない)。

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 映像は美しいが、あくまでも「ゲーム的」なギミックをとことん突き詰め、敷き詰められて構成された世界観だった。一見すると無機質なゲーム的なアイデアの数々も、突き詰めれば美しい世界に変わる。「世界観先行型」のゲームでなくても、ここまでのビジュアルが作れることを見せてくれた。

 任天堂ゲームの弱点といえば、「ダサい」ことだ。任天堂ゲームはキャラクターも世界観もダサい。
 ダサい理由は、任天堂ゲームは極限までにデザインで本質を語ろうとするところにある。例えば、トゲの付いたキャラクターは踏むとダメージになる。トゲが付いていないキャラクターは踏んで大丈夫。パッと見でそれがどんな性質を持っているかわかるように作られている。物語の外の部分で、「設定」をずーっと読まないとキャラクターの性質や弱点がわからない……というふうには作られていない。
 このように作るにはいいことが一杯あり、このおかげで任天堂ゲームは文化の違いや教育レベルの差を無視して世界中で受け入れられる、誰が見てもわかるゲームになっている。任天堂ゲームが世界中で売れる理由はあるとしたらこれだ。
 しかし、一方でデザイン的な飛躍を排除しているから、ダサく見えてしまうのが欠点だ。要するに「中二病」的な要素が薄すぎる(ゲーム好きはみんな本質が中二病で、中二病的なものが大好きなのだ)。
 ゲームには2種類の性質があり、任天堂のような見た目の性質で本質を語るか、あるいはそういうのは全部無視して格好良さや美しさに全振りするか。ゲーム史において「名作」と語られるゲームの中には、格好良さや美しさに全振りして、ゲームとしてみると実は凡庸……そういうゲームは一杯ある(でもそういうものもゲームの本質的なところで、だから私は、常々「内容に自信が持てないなら、せめて小粋に作れ」と語っている)。
 ゼルダもそういう任天堂的ダサさは常につきまとっていて、例えば砂漠に行けば砂漠の国らしい国があったり、火の山に行けば火の山にありそうな国がある。性質としてのわかりやすさがあるのだが、一方で光景がありきたり。文化の多様さを表現しているかといえば怪しい。予定調和的な発想しかない。
 RPGは基本的には文学だし、漫画的なケレンがいかに描かれているか、が評価の大きなポイントとなる。絵が格好いいか、物語が感動できるか、ヒロインが可愛いか……RPGの評価ポイントは、これが8割だといってもいい。が、これまでのゼルダにはありきたりな光景しか出てこなかった。ゼルダはRPGでありながらやっぱりダサかった。
 『ブレスオブザワイルド』はまだ任天堂ゲーム的なダサさは引き摺ってはいるが、ダサさをあえて薄めず、むしろ磨くことで洗練されたイメージに引き上げようとしているように思えた。『ブレスオブザワイルド』のデザインには衝撃をもたらすような意外性は相変わらず何もないのだが、しかし突き詰めていくことでその中で美を見えてくる(ある意味の「レベルを上げて物理で叩く」を世界観構築でやりきっている)。デザイン的な物足りなさもあるのだが、それを乗り越えて圧倒するような美を与えたのは、見事だった。

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 ガノン討伐時、祠全コンプリート。コログの実は349。実は早々に4神獣、ゼルダの思い出集めは完了していたのだが、すぐに冒険を終わらせたくなく、ハイラル巡りを続けていた。ゼルダ姫にはずいぶん待たせてしまったとは思っている。
 DLCをプレイするかどうか決めていない。オープンワールドゲーム特有の疲労感が今きているし、なによりDLCを買うほどのお金がない。しばらく『ブレスオブザワイルド』から離れるつもりだ。

 『ブレスオブザワイルド』は世界中で大絶賛されたゲームで、ありとあらゆるゲームアワードに選ばれた作品だが、実際やってみて納得だった。ゼルダの名作が刷新されたゲームだし、私としても「人生のベストゲーム」が刷新されたゲームだった。
 が、実はこれWiiUタイトルだ。NintendoSwitchのロンチタイトルとしてすさまじく注目された作品ではあったが、本当はWiiUタイトルの移植作だ。WiiUの雲行きが怪しくなり、急遽Switchでも発売……というのが経緯だ。NintendoSwitchの本領を発揮するようなゼルダではない。1世代前のゲームだ(その1世代前のゲームがいま世界中で大絶賛……というのは凄いことだが)。
 それで、新しいゼルダはすでに動いているらしい(スタッフ募集の広告が出ていた。私に3DCGのスキルがあったら絶対に応募していたのに!!!!)。『ブレスオブザワイルド』は素晴らしい作品だったが、「全てにおいて」ではない。まず「ゼルダの面倒くさい」はまだ残ったままだし(永久に解消されないような気がするが)、それに物語のなさ。コログ探しは見付けると確かに嬉しいのだが、でもずーっと続けていると「それだけなの?」という気はしてしまう。コログの実はアイテムポーチ拡大には必要なのだが、必要になる量が非常に多く、探そうと思うととにかく大変だ。私は探索や登山がメインで、その過程でたまたまコログを見付けて……という感じだったが、コログを探すことをメインにしてしまうと、膨大な作業になって気持ちが折れる(ゲームを終えてコログ探しのミッションが残っているが、探そうという気にならない)。色んなサブミッションが残っているが、達成してもせいぜいもらえるのはルピー。あまり熱心にやろうという気持ちにならない(ここももう少し何かなかったのだろうか? もう少し意味のあるアイテムがほしかった)。
 あと町や村はもうちょっとあっても良かったんじゃないだろうか……という気もする。町や村でその場所における個性や風土が感じられたら良かったのにな、という気もしている。『ブレスオブザワイルド』は山を1つ乗り越えると違う風景が見えてくるが、でもやっぱり慣れてくるとちょっと飽きてくるというか、もうちょっと違う色がほしかったようにも思える(なにか淡泊というか……文化の色が弱い。新しい土地で新しい文化に触れることがRPGの醍醐味だが『ブレスオブザワイルド』にはこれがない。デザイン的な飛躍がない……やはり任天堂的ダサさがつきまとっている)。

 今回の『ブレスオブザワイルド』の反省点を踏まえての次作品。もちろん、任天堂の作るものだから、「前作を少しブラッシュアップして」というだけのものは作らないだろう。新しい課題と、新しい触感(おそらくは世界観に何かしら仕掛けを作ってくるだろう)。『ブレスオブザワイルド』のような流れを持つだろうと思うが、それよりももう1歩上へ、新しいステージを持った作品をきっと作るだろう。そういう期待を込めて、次作品を待ちたいと思う。
 ただ、完成する頃にはNintendoSwitchのライフサイクルが終わっている……ということはないようにお願いしたい。

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