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Netflix映画 秒速5センチメートル

 新海誠作品を見るのは『秒速5センチメートル』が初めて。ずっと気になっていたが、なかなか見る機会がなくて……。Netflixに感謝だ。
 背景がどこまでも美しい。写真ベースだと思うのだが、ただトレースするだけではなく、その場面にあった情緒を写し込んでいく。赤・緑の鮮やかな色彩と、強調されたハイライトがキラキラと画面の中に煌めいている。
 いつもやや早めに流れていく雲。夕景の向こうに見える、力強い星空。日常世界にゆるく混じる異界的な美しさだ。雲に落ちる影や、強い風に散り、糸を引いていく描写に、人物の語らない感情が投影されている。
 一方で、キャラクター作画には感心がない。あまりにも拙い俳優の独白。背景の見事さに対して、ここに落差を感じる。
 エンドロールに、美術監督:新海誠、色彩設計:新海誠とあるから、新海誠の領分がそちらのほうにあるのだろう。キャラクターよりも、構図や色彩でその場面における心情を語りきってしまっている。背景で語る作品になっている。アニメーションをキャラクターや物語ではなく、背景で語り切っている……という珍しい作風だ。背景描写に一点突破し、さらにここまで高く評価される作家は、新海誠ただ1人かも知れない。
 第1話、『桜花抄』はエピソードのほとんどが電車……女の子に会いに行くために、ただ電車に乗り、電車の遅延に苦しまされるという、ただそれだけのお話だ。
 この電車の描写――レールの上を光が走ったり、シルエットになった電線が後方に流れていったり、連結部分をBooKに分けて小刻みに振動を加えたり……。そういう見せ方がアニメーション的な快楽を作りだしている。こういうところで、写実的な画でありながら、アニメーションならではの美意識が現れている。キャラクターよりも背景。このエピソードの場合は電車の描写、動きでエピソードそのものを語り始めている。
 物語は思春期の入口で途切れてしまった恋愛のお話。遠野貴樹はその時に自分の一部を置いてきてしまう。あの時に想いを置いてきてしまって、成長してもそこから逃れられなくなっているある男性の物語だ。
 『秒速5センチメートル』には強力は物語は無く、ただ詩的な台詞と背景だけが流れていく。その描き方が非常に美しく、表現とうまくはまっている。最終的に篠原明里は別の男性と結婚し、遠野貴樹は取り残されてしまうわけだが、その部分についても物語中には端的な描写のみ。
 それで、物語は結末を見出すことなく終わってしまう。これは物語映画というより、作品全体が詩のようなもの。その場面、その場面にいる人物の心象で全てが語られ、観る側に委ねられ、終わってしまっている。
 結末のない映画ではあるのだが、作品として成立させてしまっている強力な美意識の強さに圧倒される。

2/8

こちらの記事は私のブログからの転載です。元記事はこちら→http://blog.livedoor.jp/toratugumitwitter/archives/51617094.html

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