バーチャルさんは見ている_イメージ

1月11日 『バーチャルさんはみている』第1話の感想

 『バーチャルさんはみている』の第1話を見たが……これは……うーん、これは……。どうしたものかな……。

 とりあえず、まず作品の中心に軸となるものを置いたほうがいい。こういった仕立てだとコントがいいでしょう。『吉本新喜劇』みたいなコメディ劇。中心に大きな軸となるものを置けば、その周辺のものが「ショートコント」や「ミニコーナー」的なものとして見やすくなる。とっちらかった感じにはならない。
 それから芝居。どういうわけか、みんな手を上げて大袈裟な身振り手振りで演技している。もしかすると……それぞれの本家動画を見ていないから想像で書くけれども、おそらくみんな、普段腰から上しか動画に出てこないんじゃないかな。
 『バーチャルさんはみている』みたいな複数キャラが集まり、フルサイズでキャラクターを撮ると不自然極まりない芝居になるので、これは全部やめさせたほうがいい。
 演者それぞれに「好きにやらせる」のではなく、ここはきちんと演技指導してコントの流れを作ったほうがいい。今のままだと売れてないダメな芸人が無秩序に喋らせているだけの状態(3流芸人でもここまで下手ではない。こう言うと芸人に失礼ですらある)。Vtuberは「キャラが可愛い」が売りだが、別に特段喋りがうまいというわけではない。別にうまいことを言うわけではない。30分のパッケージ作品だと、この内容だと厳しい。テロップに逃げるのもよくない。あれは「面白くない」ことのごまかしだ。
 まずは軸となるコンテンツを作ってから、その周辺の小さなものの内容を詰めていく……というやり方を取ったほうがいい。『ポプテピピック』ですら、そうやっていた。
 あと30分もいらない。15分で充分だ。

 キャラクターは石ダテコー太郎監督の作品よりクオリティは高いけども、内容は石ダテコー太郎監督のほうが断然面白い。石ダテ監督にやってもらえば良かったのにね。

 アニメーションの次なる形、として『バーチャルさんはみている』は正しいとは思う。私もずっと前から、「本当にやりたいこと」の1つがこの形式だった。
 手書きで作るアニメーションの醍醐味、というのはもちろんあるし、この路線はずっと続いていくのだろう。手で描くからこそ生まれる美学・ケレン味に勝るものはない。それとは別路線での、パフォーマンスキャプチャーで演者がキャラクターを演じ、物語を作る。演者が実際に動いて、その時々に出たもの。意外性や少々のハプニング。手書きアニメはすべてコントロールと抑制が付いているから、「NG」なるものが存在しない。作り手が意図した通りの純粋な形が現れるのがアニメーションだが、逆に言えば意図したものしか出てこない。だが実写の世界ではもともとのプランと違うもの、現場でハプニング的に生まれたものも取り込んで、そういったものが映像作品の「味」となって残ったりする。手書きアニメーションではこういうものは基本、生まれない(スタッフが即興で描いて、それを監督が気に入って採用……そういうものはある)。
 そこで『バーチャルさんはみている』のような演者が直にキャラクターを演じる。パフォーマンスキャプチャーで動きをトレースして、そこに現れた意外性をすくい取る。それがある種のアニメーションの新しい形になるだろう……おそらくはそういう狙いがあっての企画だったのだろう。
 ただ問題なのは、明らかに企画内容を突き詰められていない。きちんとした演技指導が入っていない。作品全体に、監督の個性、監督の意図のようなものが見えてこない。ただいま人気のVtuberを集めただけ。企画力のない深夜番組にありがちな退屈で個性のない作品になってしまっている。ただただとっちらかっている。
 ネタも弱い。どこかで見たものの後追いとパロディばかり。ギャグに創造性が乏しい。あれは保守的な笑いであって、最先端の笑いではない。すでにネット上のどこかにあるものだけで笑いを取ろうとするのは、芸人として考えると3流のやり方だ。“独自のスタイル”みたいなものが確立されていれば時事ネタとしてありかも知れないが、そういうものすらない。
 それに、既存のVtuberを使ってしまったから、それぞれのキャラ感を守る必要が出てしまっている。“物語”を創造することができない。Vtuberの存在感が逆に邪魔になっている。“物語”に沿わせるのではなく、作品がVtuberに沿わせなければならなくなってしまっている。
 結果的にVtuberの面白さも活かせない、Vtuberを活かした映像作品にもなっていない。どっちつかずの中途半端な感じが出てしまっている。
(私がやりたくてもやりたくてもチャンスがなくてできないものを、こういう出来の悪いものとして作られてしまっているから「この野郎」という気になっている)

 あと、Vtuberの動きにだいぶがっかりもした。というのも、明らかに「腰から上」しか意識が集中していない。おそらく、普段腰から上しか動画に出てこないから、そこだけの芝居しかやったことないんだろう。せっかくのデジタルキャラクターなのに、もったいない。
 と私が言うのも、最近のアニメキャラクターってみんな腰から上で演技をするようになっている。あまり下半身、足下の状態を考えて動きが作られることはない。最近は歩くシーンすら上半身の止め絵のローリングだけになっていて、ひょっとして下半身の動きを描けるアニメーターが少なくなっているんじゃないか……という危惧すらある。
 最近のゲームは地形に合わせて動きが変わるような仕組みが作られていて、例えば山の斜面に入ると、前傾姿勢になって手の振りを大きくする。実際、斜面を登ろうとしたら人の姿勢はこうなる。これが、今のアニメでほとんど描かれなくなってしまっている。
 2018年『アンゴルモア 元冠合戦記』というアニメがあって、この作品を見て何にガッカリしたかというと、キャラクターがみんな平らな床の上を歩いているような動きをすること。舞台は中世の対馬、道は舗装されていないでこぼこした場所なのに、みんなすーっと真っ直ぐに歩く。もしかしたら、足下の動きを描けるアニメーターが今いないんじゃないか……とこの作品を見て思った。
 宮崎駿さんはわざわざデコボコしたり、不安定な道を歩かせる……おそらくそういうシチュエーションを好んでいたんだと思うけど。そういったときの足下の沈み方や左右の揺れ方……こういうのをきっちり描いていた(宮崎駿さんはレイアウト、動画の天才ですから……)。だからたぶん元ジブリのアニメーターは描けるんだと思うけど、それ以外で描けるアニメーターっているんだろうか(『山賊の娘ローニャ』ではやっていた。そう思うとさすがに駿さんの息子だな……)。
 話はVtuberに戻ってくるけど、せっかくのパフォーマンスキャプチャーなのに、誰も足下の動きに神経を注いでいない(それどころか、全員棒立ちで、小道具すら使わない)。足が駄目になっているのは、もはや現代人だからかな……。『七人の侍』時代の黒澤明監督が見たら、大きめの雷が落ちていたところだ(むしろこの子たちの将来のために、今のうちに大きめの雷を喰らっていたほうがいいかも知れない)。

 なんだったら『亜人』や『宝石の国』も大元のアニメーションはモーションキャプチャーで作り、その後アニメーターがそれぞれのシーンに合わせて動きを突き詰めていっている(『亜人』は山の斜面を歩くときに、姿勢が左右にブレる動きが描かれていた。ああいう動き方は、モーションキャプチャーで作れるから)。『亜人』や『宝石の国』は作り方がまるっきり違うけども。

 『バーチャルさんは見ている』は1話はなんとなく視聴したけど、それ以降観る予定はない。続きが気になるとか、次が見たいとかそういう気持ちにはならない作品なので。

 ドワンゴはアニメを作るべきじゃないか。Netflixがやっているように……と前から思っていてブログにも書いたと思うけど、これは完全なる失敗作だった。そもそもYouTube文化の産物を借りてでしかコンテンツを作ることができなかった、ということが今のニコニコ動画衰退の象徴かな……という気がする。

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