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ドラクエビルダーズ2の感想文

 この数日間、私は絵描きへの意欲を完全に失い、ただひたすら『ドラクエビルダーズ2』に没頭していた。購入も唐突で衝動的。20%割引の最中だったとはいえ家計が厳しい中、完全に「血迷った行動」だった。本当はやらなくてはならない作業があったのだが、もう「やってられるか」気分になっていた私は、ひらすらブロックビルダーの世界観に溺れていった。

 と、いう個人的なお話はどーでもいい話として。

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 『ドラクエビルダーズ2』はとてつもなく面白いゲームだった。ゲームの進め方が上手く、「大きな目標」の中にいくつもの「小さな目標」が立てられ、その一つ一つを達成していく横で、「人が増えてきたから家が必要だな」「食堂も作らなくてはならないのか」「トイレも作ろう」「素材が足りなくなってきたから収集に行こう」「探索していたら奇妙なものを発見したぞ。なんだこれは?」と横道のさらに横道にそれていくうちにあっという間に時間が溶けていく。朝だと思っていたのが気付けば日が暮れていたし、気付けば朝日が昇っていた。しかもメインストーリーも横道もどれもがあまりにも楽しすぎる。このゲームについてよく「時間泥棒」と表現されるが、「時間泥棒」というか「時間が溶ける」という感覚に近い。スタンド攻撃でも喰らったかと思うくらいの時間の溶け方だった。
 このゲームを始めるにあたり、1つ注意すべきは「試験勉強を抱えている学生」あるいは「重要な仕事を抱えている社会人」にはお薦めしない。一日のうちの20時間くらい持って行かれる可能性があるので、現実のすべきことに手が付かなくなる。このゲームのための時間を作るか、あるいは私のように「もう何もしたくない」「すべきこともない」というくらい落ちている人に向けたゲームだ。
 と、これはゲームが面白いということへの褒め言葉ではあるのだが、この面白さはちょっと考え物である。

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 『ドラクエビルダーズ2』は様々なことができる。単にブロックを積み上げるだけではなく、一括したまとめ置き、一定エリアを一括して置き換え。ゲームを進めると“素材島”と呼ばれる島が出てきて、そこで必要な素材をいくらでも手に入れられるし、素材島での簡単なクエストをクリアすると、特定の素材は使用回数無限になる。ちょっとした「クリエイトモード」になる。
 シナリオの進行過程で、少しずつ素材が使用回数無限になることが嬉しくもあったし、ゲームバランス調整を鑑みるとちょうどいい案配だった。なにしろシナリオに入るとそれまで集めた素材は全部ゼロから、クラフトできるものにも制限がかかるから、部分的に素材が使用回数無限になっていることが難易度調整として機能していた(縛りたい人はあえて使用回数無限にしないという手もある)。
 素材島でNPCキャラクターを連れて帰れる設定も嬉しい。前作は街を作ってもそこに住む人がいない……街を賑やかにしても人のいないゴーストタウンになっていたが、今回はそれなりに賑やか。住人同士で何かしら交流しているし、朝になったらご飯を食べて、トイレに行って、それぞれの仕事をして、夜になったらお風呂に入って……とそれぞれの行動を勝手にやっている。これを見るのも楽しい。

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 個人的に嬉しかったのは「かわきのツボ」で撒ける水の量が無制限であること。いちいちバケツで水場を何度も往復する必要がない。この辺りは『Minecraft』でも気になっていたことだ。
 「ふくろ」……ドラクエシリーズではお馴染みの「四次元ポケット」だが今回のゲームでも登場してくれる。ふくろに入るアイテムにはある程度の制限はあるが、満杯になることは終盤までほぼないし、その中に入れっぱなしのものでもクラフトの素材にできる。作業台と収納箱を往復する必要がない。収納箱に入れっぱなしの素材もクラフトに使えるので、建築に使わない素材はまとめて収納箱に入れておくと良い。
 ここまでやるなら料理の時、料理に使える素材をもっと自由にしてほしかった。料理の時だけそのとき持っているアイテムしか使用できない。作る料理からの逆引きもできるようにしてほしかった。いつもたくさんのフライパンを並べて、適当に材料を放り込んで作っているから、結果的にどの料理がどの材料によってできたのかわからなくなる。作る料理から逆引きなら簡単だったのにな……というのは望みすぎかな。

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 ゲームシナリオをオールクリアすると、一度手に入れた素材はビルダーハートと交換、という軽めの縛りがあるが、いくらでも入手可能になる。いわゆる「クリア後のオマケ」というやつだが、これほど嬉しいオマケもそうそうあるものではない。何に使うかわからなかったビルダーハートの有効活用もできる。

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 シナリオに入るとからっぽ島で収集した素材がいったんなくなり、クラフトできるアイテムにも縛りができる。でもシナリオ中で作ったそれぞれのものは、クリア後リセットされない。あとでいつでも行くことができるし、さらに手を加えることもできる。『ドラクエビルダーズ1』ではクリアすると後戻り不可だったが、『ビルダーズ2』では戻れるようになっているのが嬉しい。
 『ドラクエビルダーズ1』あるいは『Minecraft』みたいなゲームで引っ掛かっていた要素、「もっとこうなればいいのにな」が全部丸ごと実現しているのが『ドラクエビルダーズ2』だった。いっそ、すべてのサンドブロックゲームのアップデート版、決定版ともいえる作品に仕上がっていた。
(確かに「できること」の多さでいえば『Minecraft』のほうが上だ。複雑な回路を組んでギミックを作る、というのは『Minecraft』のほうがはるかにできることの幅は広い。ただしブロックを積み上げて表現する、という方向なら『ドラクエビルダーズ2』のほうができることが多い)

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 あと付け加えるとしたら、「空を飛ぶ」モード、あるいは「タッチパネルで直接ブロックを置く」モードだろうか……。タッチパネルを使い始めるとNintendoSwitchのみの仕組みになってしまうが。
 唯一の難点は使うボタン数が多いこと。最近のゲームコントローラーはボタン数が多いが、全てのボタンに役割が与えられている。必要な操作はだいたい画面中に書かれているのだが、ふとした瞬間に「あれ、なんだっけ?」と迷ってしまう。私なんかはずいぶん記憶力が弱くなっているから、とっさに「攻撃はZRだったっけ? Yだっけ?」みたいな時がよくあった。風のマントで飛ぼうとして、何度間違えたことか。これだけできることが多くなると仕方のないこと、だけども。

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 このゲームに限らず気になったのが、カメラについて。『ドラクエビルダーズ』は家を作るとき、必ずしも屋根を貼る必要ない、としている。屋根用の素材はあるし作ることは可能だが、作ってしまうとカメラがぐいっと屋根の中に入って視野が狭くなる。操作がしづらくなる。
 よく思うことだが、「プレイヤーからカメラの間」までのテクスチャーを剥いで、ワイヤーフレームだけの表示にすることは不可能なのだろうか(「プレイヤーからカメラの間」までだから、プレイヤーが立っている地面、その周辺は表示される)。テクスチャーの一部が透明化するような感じだ。こういうの技術的に難しいのだろうか。これが実現できれば、3Dのゲームはもっとやりやすくなるのにな……といういつも考えている。
(ゲームのカメラは壁の内側に入る性質がある。カメラにも“当たり判定”が存在するという考え方だ。これだと、少し狭い部屋に入るとどうにも見通しが悪くなる。カメラが壁の外側に入ってしまうと見えてはならないところが見えてしまう……というのはわかるが……。どうにかならないものだろうか)

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 『ドラクエビルダーズ2』はアクションゲームではあるが、かなり緩めの作りになっている。大抵の敵は剣を振っているだけで勝利できる。アクションについて攻略法を見る必要は全くない。ラスボスですら、特に苦労せず勝つことができる。
 シナリオではたびたび集団戦が入るが、敵味方入り乱れるので自分の居場所がわからなくなるし(だいたい画面の中央あたりにいるだろう、と当たりは付けて進めている)、やはり剣を振り回しているだけでだいたい勝利できてしまう。
(ここで引っ掛かるのは、体力ゲージの表示。敵と味方、違うデザイン、あるいは違う色を使って欲しかった。見ていてもどれが敵の体力ゲージなのか、区別できない)
 このゲームの場合、メインは飽くまでもクラフトのほうなので、バトルシーンを緩めに作ってくれたのはありがたい。バトルが複雑で難易度が高くなってしまうと、そっちのほうに気をとられて違うゲームになってしまう。
 『テラリア』というゲームでは「ウォールオブフレッシュ」というボスを倒した後、ハードモードに入るが、非常に面倒くさかった。建物を作っているとどんどんなんだかわからないものに浸食されていくし、敵はザコでも固いし、強くなっていく。そっちの方に気をとられて、ぜんぜん物作りを楽しめない。『テラリア』はハードモードに入ってすぐに飽きてやめてしまった。
 その時のことが記憶にあったので、バランスとしてアクションの側を緩めにつくってくれたのはありがたかった。

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 『ドラクエビルダーズ2』はやっぱりドラクエシリーズ。チュートリアルが非常に手厚い。無理強いされている感じはないし、シナリオと深く結びついているので、物語を読み進めている過程で「何ができるのか」「何をすべきなのか」を一つ一つ学べている感じがした。
 初めて『Minecraft』を遊んだときのことを思い出す。『Minecraft』にはストーリーもチュートリアルもなく、いきなり何もない原野に放り出される。なにをすればいいかわからず、いきなり敵に襲われてゲーム―オーバーを取られてしまった。とりあえずブロックを掘ろうとして画面上では見えなかった穴に転落し、そのまま脱出不能になって詰んだこともあった(ブロックを集めて脱出できたのだが、初めての頃はそれすらわからなかった)。
 『Minecraft』はその後、ゲーム実況を見てやっと「こうするものだったのか」と気付き、まともにゲームを始められたのだが、ノーヒントで放り出されて何をするべきか自分で考えろ、というのは難しすぎだった。冷たさをずっと感じていた。
 『ドラクエビルダーズ2』の良さはやっぱりドラクエだから。ストーリーとチュートリアルが結びついているし、いきなり全てのことができるわけではなく、一つ一つ段階を踏んで、ちゃんと学べるようにできている。対話の展開、ドラクエらしいしょーもないジョークに、たびたび混じる下ネタも楽しくていい。

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 からっぽ島のとある場面。NPCキャラクターのガイドに従って、かわきのツボで水を撒き、川を作っている場面。
 NPCキャラクターとの掛け合いが楽しかったし、乾燥して干上がった地域に川が流れ、潤いが生まれるという光景にワクワク感があった。死滅した大地が、自分の手で再生されていくワクワク感だ。チュートリアルシーンなのだけど、チュートリアル的な説明感はなく、あくまでも物語の1つとして場面が作られている。
 それに、「地形も作り替えられる」というこのゲームの根本が学べるシーンになっている。建物を作るばかりではなく、地形、自然の構造も変えられる……ビルダーズとはそういう意味なのだと知ることができる、大事な場面だと感じた。

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 『ドラクエビルダーズ』の良さがどこにあったかというと、日本のゲームとしての良さ、日本的なやり方を徹底したことだ
 視点は見下ろし型……カメラを自由に動かせるから厳密に見下ろし型ではないのだが、基本的な視点は上から見下ろす視点で、3頭身のキャラクターを動かしてゲームを進行させる。
 ステージの構造は、「自動生成」に頼らず、すべてクリエイターが手作業で作っている。これにより、物語の導入、チュートリアルの導線が作りやすくなった。クリエイターが手作業で作っているから、「まず最初はこっちに進んでね」「次はこっちだよ」という順序立てができる。さらに手作業で作っているからこそ、風景がいい。
 一時、日本のゲームの特徴である「一本道」は業界的に忌避される傾向に、バッシングの対象にすらなっていた。欧米のゲームのように、すべてプレイヤーの手に委ねて、自由度を高めるべきじゃないのか――そう言われた時期もあった(これ、どうも欧米側発の戦略的なネガキャンだったみたい)。が、一本道シナリオのほうが結果的にプレイの公平性を高めるし、必要な情報を与えやすくなるし、なにより実は一本道シナリオのほうがプレイ体験を深めさせることができる。一本道のほうがシナリオ、世界観、ゲームに没入させやすくなる。
 こういったサンドブロックゲームでもなんでも自由であることが良い、というわけではなく、実はシナリオを持たせて、世界観とゲームの遊び方を同時に見せる、という手もある……という良い手本になった。

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 ゲーム中に出てくるアイテム類は『どうぶつの森』のように一つ一つきちんと作られている。テーブルや椅子、食べ物、様々な飾り家具……。『Minecraft』にはこういうものがなく、だいたいのシルエットで見せるものだった。『Minecraft』には「テーブルと椅子」すらなく、これもだいたいのシルエットでそれっぽく見せる工夫するものだった。照明は松明しかなく、あの無機質な感じが嫌いだった(正確にはグロウストーンやジャック・オ・ランタン、シーランタンなどがあるが、あれらは“発光するブロック”でしかない)。が、『ドラクエビルダーズ』では部屋を部屋らしく見せられる。イメージを作って、飾り立てられる。そうして作ったものがミニチュアのような可愛らしさがあるし、作り込めば箱庭のような空間作りもできる。これは楽しい。
 アクション部分は、無限生成で出てくる敵を倒して、アイテムを得る。純然たるハックスラッシュの文脈で、かなり緩めの作りで作っている。緩めなので素材が必要……というときでもさほど苦にならない。このゲームの場合、アクションではなくクラフトが本題なので、ここを面倒くさいものにするときっと投げ出してしまっていただろう。だからこの緩さはありがたい。
 ただ、武器によって射程やノックバック効果に変化があればよかったのにな、とは思った。

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 それにやっぱりストーリーがきちんと載っていること。ストーリーで惹き付けて、ドラマで魅せて、そこからクラフトの楽しみへと遊び方をシフトさせる。ゲーム的な構造を冷たものにしない。どこか人間的な温もり、物語的な厚みを感じさせる。
 欧米のゲームだとこうならない。今まで書いてきたように、日本の文化の本質は「漫画」であって、欧米文化の本質は「シミュレーター」だ。日本文化の本質は「漫画」……これはジャンルとしての「漫画」に限定した話ではなく、車でも携帯電話でも日本人は漫画のように省略化と象徴化を行う。一方の欧米にはこの感性は薄い。シミュレーターとして物事を効率化し、生産する。ステージやキャラクターを自動生成で作り、プレイヤーにゲームの進め方も物語の読み方も自分たちで解釈させる。こういった作りで強みを発揮する瞬間はたくさんあるが、日本的な温もりが生まれることはない。
(もしも欧米のゲームで漫画的に感じられるものがあったとしたら、大抵それらは日本から学んだものだ。欧米の強みは、研究し、言語化して広めるところにもある。なぜならこれもシミュレーターの発想だから。日本も欧米的なシミュレーターの発想からは学ぶべきものは多い)

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 『Minecraft』に対する不満はここ――シミュレーター的な発想のみで制作されていることだった。シミュレーターでしかなく、そこに人間的、物語温もりは一切ない。俯瞰すると“それいっぽい形”に見えなくもないが、そう解釈しようという視点がなければ成立しない。
 主人公は四角い形をした髭のオッサンだったし、ブロックの一つ一つが可愛くない。「可愛い」というとキャラクター的な可愛さのことではなく、私たち絵描きはああいったブロック1つ取っても土なら土、草なら草とわかるように描写せよ、と教えられてきている。が、『Minecraft』の土はそもそも土に見えない。全体で見れば土っぽく見えるだけのものだ(この辺りはもともとがたった1人の個人制作によるものだった、ということが尾を引いているのかも知れない)。

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 一方の『ドラクエビルダーズ』はブロックの一つ一つがちゃんと土なら土に見えるし、土ブロックを破壊した後、フィールド上に残るアイテムになったものだけでもちょっと可愛い。
 そこに、鳥山明先生の3頭身のキャラクターがうまくハマッている。『ドラゴンボール』ではなく『Drスランプ』のスタイルで描かれている。これがブロックの世界に混在していても、違和感がない。コンテンツが最終的に残るものにできるかどうかは、究極的にはキャラクターだ……と普段から考えているが、まさにその通りのものだった。
 『Minecraft』でがっかりしたのは窓だった。窓がモザイク状のドットが貼り付けてあって、これが美しくない。窓を設置しても、そこから見える風景が美しくない。
 『Minecraft』を遊んでいる時、海底洞窟を作って窓張りにしたらきっと水族館みたいで美しかろうと思って作ったが、実際はまったく美しくなかった。水の中は暗かったし、窓ブロックの周囲は謎の水流が発生するし、なにより『Minecraft』の水中はイカしかいない(当時はイカしかいなかった)。
 好みの問題であるが、やっぱり主観視点はやりづらかった。主観視点だとキャラクターへの愛着が生まれづらい。『Minecraft』は客観視点にできるのだが、後頭部とブロックを載せる位置とが重なっている。キャラクターへの愛着が沸かないし(どっちにしろ四角い髭のオッサンだし)、ゲームとしてもやりづらかった。

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 『Minecraft』には風景の美しさもないし、キャラクターの良さもないし、かわいげもない。それは欧米ゲーム全体が持っている弱さ。欧米ゲームの強みはシミュレーターとしてゲームを構築することの全体性、あるいはリアリティだ。こっちで勝負したら、日本は絶対に勝てない。日本人が欧米ゲーム風のゲームを作って評価されることは絶対にない。『Minecraft』も発想それ自体は日本人では行き着けなかったものがある。
 『ドラクエビルダーズ』が初めて登場した時、よく言われたことは「『Minecraft』のパクリ」……ただの「剽窃」と考えられていた。
 だが実際は全くの別物だった。共通点はサンドブロックというジャンルだけ。『ドラクエビルダーズ1』はサンドブロックというよくあるジャンルを「日本化」してみせたものだった。サンドブロックに『ドラクエ』を載せたもの以上に「日本化」のほうが強い。
(「日本化」して作ったものだから、このゲームが西洋でどう受け止められるか想像できない。セクシャリティの問題もあちらは過激化しているので、難しいんじゃないか、という気がする)
 サンドブロックゲームだけど、自動生成には頼らない。キャラクターを作り、敵モンスターを作り、それぞれを相応しい位置に設定する。物語を載せて、得られるアイテムに順序を付ける。クラフトできるものにも順序を付ける。そしてその全てに温もりを与える。いきなり金鉱石が手に入ってしまう……みたいなラッキーはないが、ストーリーを進行させて、ついに金鉱石に行き着いたときの喜びを作ってくれる。
 『ドラクエビルダーズ2』は『ドラクエビルダーズ1』で提唱したものをさらに掘り下げた。積み上げられる上限は増えたし、滑空ができるようになったし(『ドラクエ2』に登場した「風のマント」だ。『ドラクエ』シリーズにでてきたアイテムをうまく文脈に載せている)、武器を振っていてうっかりブロックを崩してしまうこともなくなったし……ありとあらゆるものが遊びやすくなった。
 『ドラクエビルダーズ2』は1作目の進化版だといえるし、サンドブロックゲームの日本における決定版。日本らしさを突き詰めた傑作だった、と言える。

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 細かいところで不満点はあるけどね。
 さっきも書いたけど料理をしている時、逆引きできればいいのにな、とか。ブロックのまとめ置きは下方向、地面に置ければいいのに、とか。ブロックの置き換えはエリアだけではなく、1つずつでもやりたかったな、とか。ハンマーでエリア破壊するときのモーションはもうちょっと早くにして欲しい、とか(回転斬りのため時間はもっと短く、射程は大きくして欲しかった)。ふくろの中のアイテム数が多くなると探すのに時間かかるから、索引を付けてほしかったな、とか。あと、うっかり間違えて壊しちゃったものをやり直すモードとかあればいいな、とか。破壊して散らばったブロック、仲間が集めてくれたらいいのにな、とか。
 まあそれはさすがに求めすぎってやつかな。


△ここからはストーリーのネタバレになります△


 『ドラゴンクエスト1』のラスト直前。竜王に「世界の半分をお前にやろう」と誘いかけられて、もしも「はい」と答えていたら?
 このifの世界観が『ドラクエビルダーズ』だった。勇者が竜王に屈したためにアレフガルドは崩壊。荒廃しきって、街は姿を消し、人々は散り散りになって物を作るという発想すら失ってしまった……『ドラクエビルダーズ1』はそういう世界だった。これを「ビルダーズ世界線」と呼ぶことにしよう。
(もともと『ドラクエ1』の世界は一時的に荒廃と衰退が進んでいた時代だった。王の勅命を受けた勇士はたった1人だったし、初期装備は竹槍。どの街に行っても貧しかったし、そんな有様でも最終的には竜王討伐に成功してしまった。シリーズ全体を見るに、『ドラクエ1』はいろんなものが衰退していた上に、さらに竜王大勝利で荒廃した「ビルダーズ世界線」生まれてしまった)

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 『ドラクエビルダーズ1』は衰退して終わりかけだった世界に、精霊ルビスの加護を受けた「ビルダー」が現れ、なんやかんやがあって竜王討伐に成功。暗黒大陸となっていたアレフガルドに息を吹き返す切っ掛けを作った。

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 そして『ドラクエビルダーズ2』。
 『ドラクエビルダーズ2』のストーリーと接していて、違和感はあった。「モンゾーラ」とはなんぞや? 「オッカムル」って、どこだ?
 『ドラクエビルダーズ1』は崩壊しきっていたが、「ドラクエ正史」の世界観を順番に巡り、アレフガルドを復活させる、という内容だった。だからてっきり『ドラクエビルダーズ2』も同じ路線のストーリーになるものだと考えていたが……。しかし「モンゾーラ」に「オッカムル」。聞いたことがない。もしかすると、『ドラクエ2』を遊んだのがずっと昔だから、忘れてしまっている地名かも知れない。
 いや、もしかすると「ビルダーズ世界線」ではモンゾーラやオッカムルという街が生まれたのかも知れない。

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 他にも違和感はあった。お供キャラクターとして付いてくる「シドー」君はいったい何者なのか? (「シドー君」と呼ぶのも不思議な感じがある。「シドー」といえばラスボスにも関わらずベホマを使う、シリーズ屈指の凶敵だ。それをシドー君と呼ぶ未来が来るとは……)
 オープニングムービーのラスト、「破壊神シドー」とそれに立ち向かうシドー君が描かれる。これはいったいどういうことなのだろうか?
 またオープニングにはハーゴンが出てくる。ビルダーズ世界線でも結局はハーゴン出現の未来を迎えてしまった……ということだろうか。

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 物語を進めていると「夢の世界」「全て幻」といった言葉が出てくる。
 さらに獄門島では「ハーゴンは3人のロトの末裔によって倒された」と話が出てくる。
 「ハーゴンはすでに倒されている」。しかも「ロトの末裔」によって。ビルダーズ世界線ではロトの末裔は竜王時代に終わっていたはずなのに。
(「ゴールド問題」も出てくる。主人公が「ゴールド」の話をするが、ビルダーズの住人は「なにそれ?」みたいな返事をする。ゴールドがない世界……?)

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 夢。幻。間もなく終わる世界……どういうことだろう。幻の世界というなら、誰の幻だというのだろう。

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 第3章はムーンブルクが舞台となる。ついにドラクエ正史の世界観と繋がった。
 だがやはり違和感がある。ムーンブルクの住人、王を含めた全員がハーゴン教に帰依している。しかもその教えに従って、勝つつもりのない戦いを延々続けている。
 ムーンブルク篇でちょっと嬉しかったのは、「ラーの鏡」が沼地エリアにあったことだ。オリジナル通り……いやドラクエ正史とだいたい同じ場所にある、という仕掛けが嬉しい(ただし、勇者たちに回収されておらず、沼地に置かれている)。

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 ムーンブルク篇クライマックス。雪積もる世界観を抜けて、ロンダルキアへ。そこにあったのは……ローレシア城である。
 そう、『ドラクエビルダーズ2』の世界観は、『ドラクエ2』のラストに登場した、ハーゴンが創造した幻。「ビルダーズ世界線」の物語ではなく、実は「ドラクエ正史」のほうだった。
 『ドラクエ2』ではハーゴンが作った幻はいとも簡単に崩れ去り、ハーゴン戦に入っていくのだが、しかしハーゴンが創造した幻はその後もずっと消えずに残っていた。
 なぜならハーゴンは完全には死んでなかったから。破壊神シドーも。ハーゴンは自らが作った幻の中に留まり、シドー復活のために計画を練っていた……これが『ドラクエビルダーズ2』のストーリーだった。

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 これで違和感の正体が明らかになる。「ハーゴンは3人のロトの末裔によって倒された」――これは事実だったし、その知識を主人公が持っているのは「ドラクエ正史」のほうからやってきた住人だからだった。通貨の概念を持っているのも、ドラクエ正史からやってきたからだった。

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 『ドラクエビルダーズ2』が始まるずっと前に、ハーゴンはビルダーをこちらの世界に召喚したという。それが主人公の導き手となるおおきづちの「しろじい」だ。あちこち探索していると「創世記」というタイトルのついた手記があちこちに残されているが、その作者がしろじいだ。
(手記によると、いつの間にか奇妙な世界観に辿り着いていた……みたいに書かれている)
 ということは、しろじいはビルダーズ世界線のほうから召喚されたのだろう。ハーゴンの幻影が作られたのはドラクエ正史のほうだが、しろじいはビルダーズ世界線のほうから。分離したと思われていた2つの歴史が、思わぬところで巡り逢うことになった。面白い展開だ。

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 『ドラクエビルダーズ2』では、かつて1人のビルダーがやってきて、世界のあちこちに街を作った……という歴史がエピソードとして語られるが、しろじいがモンゾーラやオッカムルといった街を作った、と考えていいだろう。ドラクエ正史に存在しない街が出てくるのは不思議でも何でもなかった。「ビルダー」という言葉が世界中に広がり、その能力を持った人がたくさんいるのは、ビルダーズ世界線だからではなく、ドラクエ正史だがビルダーズ世界線の人がやってきて広めたためだった。
 ドラクエ正史に、ビルダーズ世界線、さらに『ドラクエビルダーズ2』独自のハーゴンが創造した世界と、ついに3つの世界が作られ、そこそこの歴史も生まれようとしていた。思えば初めて『ドラゴンクエスト2』以後のストーリーが描かれた作品かも知れない。
(しろじいは「創世記」というタイトルの手記をあちこちに残していったが、「創世記」で正解だった)
 ただ、しろじい召喚からいったいどれだけの時間が経過したのか……。風景を見ても歴史の経過を読み取ることができない。部分的に、かつて村や町があった痕跡が残されているところがあり、街が作られて崩壊し、中心地が変わって忘れ去られるくらいの時間は経過している。
 一方で、しろじいが残した手記が野ざらし状態で風化しないで残っているくらいには時間が経っていない。
 この辺り、物語中で言及があったような記憶があるのだが、自分でキャプションした画像を見直しても肝心の台詞が出てこない。「何百年」……って言ってたような気がするな……。うっかり記録し忘れたので、この辺りは判明するまで保留するとしよう。
 もう一回最初からプレイするとわかる話だけど……面倒くさくて。

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 いくつか疑問がある。ハーゴン教団との勝つつもりのない戦いを続けているムーンブルクの人達。ムーンブルク王の娘がまさしく後にハーゴンを討ち取ることになる、犬姫様ことムーンブルク王女だ。
 ということはムーンブルクの人達は世代を変えることなく、ハーゴンに創造されてから後、えんえん戦いつづけていた、ということだろうか。
 もしかすると、ビルダーズ2の人たちは不老……。創造されてから老けない設定。あるいは、時間に関して当事者自身達が混乱している、と考えるべきかも知れない。「数十年」や「数百年」と思い込んでいるだけであって、実は数年しか過ぎてないのかも知れない。

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 他にも疑問がある。主人公はロトの末裔とムーンブルク王女のことを知っていた。ということは、ドラクエ正史から来たということになる。が、ドラクエ正史には「ビルダー」は存在していない。ビルダーは精霊ルビスによって作られたものだ(たぶん魔法職)。
 時間的なズレも気になる。「ビルダーズ2世界」が作られて数百年経っているとしたら、ロトの3英雄はずいぶん昔。歴史の話だ。
 「ビルダーズ2世界」が竜宮城のように時間が高速に流れている……ハーゴンがシドー復活を早めるためにそう設定していたとしたら、ロト3英雄の歴史はドラクエ正史の人たちにとっても新鮮な記憶であることも不思議ではないが。果たして?

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 ハーゴンが自身の創造世界を維持していてのは、ロマンのためとかそういうものではなく、シドー復活のため。その最終仕上げとして主人公が“異世界”から召喚され、人間化したシドーがあてがわれた。
 主人公が創造し、シドーが破壊する。シドーとはおそらく肉体的な存在、生物学的な存在ではない。破壊という衝動、破壊行為そのものを象徴化した神なのだろう。だから破壊すればするほどに、破壊神としての自意識が再生する。創造行為を見れば、破壊したいという衝動も高まる。破壊を続ければ一度死にかけた破壊神の精神が復活し、精神が復活すればおのずと肉体としてもシドーが復活する。ハーゴンはそれを目論んで……ということだったのだろう。と、私は解釈した。

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 そこでドラクエビルダーズ2のキャッチコピーである「世界をつくれ、運命をこわせ」。
 発売前くらいの時期、私は「壊せを後ろに付けると、壊しっぱなしじゃないか」と書いた憶えがある。「壊せ、作れ」にすべきじゃないか、と。
 でもこれはそうじゃなく、「作れ=主人公」で、「壊せ=シドー」のことだった。それぞれのキャラクターを言葉によって象徴化したものを並べただけ。実はキャラ紹介だった。ストーリーがわかってくると秀逸コピーというのがわかってくる。

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 アニメや漫画、小説、映画にはできなくてゲームにはできる表現の1つに、記号的な表現に感情を載せるという方法がある。
 『ドラクエビルダーズ2』の終盤、シドーが薬草を作る、という行為に悪戦苦闘する場面がある。絵としては、いくつかのパターンを延々繰り返すだけ。しかしこれが実に素晴らしい場面だった。
 似たような場面に、『天外魔境2』のラスト近くで、主人公卍丸自身で聖剣を鍛える場面がある。ハンマーで一発叩くごとに体力が減っていく。どんどん体力が減って来て、いよいよ残り体力1、というところでついに聖剣完成。絵としては鎚で叩いているだけ、そこにHPの減少を見せているだけ。ただそれだけなのに、鎚を叩くごとに緊張感が大きくなるし、最後の体力1でついに完成……という瞬間を見た時、大きな感動に繋がる。
 『ドラクエビルダーズ2』のシドーが薬草を作る場面にも似たような感慨があった。絵としてはいくつものパターンを延々繰り返しているだけ。手でもにゃもにゃする。シャーシャーっとする。トントンする。ハンマーでガンガン叩く。これを何度も繰り返す。しかし失敗する。「俺では無理なのか」と言いながらも諦めないシドー。そしてついに完成する薬草。……たかが薬草。しかしこれまでのストーリーでシドーが何度も物作りに挑戦しつつも失敗するというシーンが描かれてきたし、なんとしても薬草を作ろうとする行動そのものへの感動。しかもそれが主人公のためという!

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 イベント達成ごとに見せるハイタッチもいい。たかがハイタッチだが、妙に気分のいいアニメーションだ。ゲーム中、何度も繰り返し描かれるハイタッチ。
 それがラストの重要な場面で描かれる。シドーが破壊神から人間に戻る瞬間。あるいはゲームの最後の最後。エンディングの直前。
 同じ記号的な表現の繰り返し。しかし繰り返すからこそ、そこにドラマが載った瞬間、特別なアクションに変わる。そこに物語を持っていく巧みさ。見事だった。

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 このゲームは特に「見せ方」がうまい。
 秀逸に感じたこの場面。ムーンブルク篇、アトラス登場の瞬間。
 最初、普通サイズのモンスターを登場させる。なんだ、大したことないな……と思わせてカメラをPAN! ズトンと地響きとともにアトラスを登場させる。改心のショットだ。

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 牢屋の中で自問自答するシドー。
 その姿を横から見せる。背後には、大きな余白。ただこれだけのショットだが、緊張感ある構図になっている。これもうまい。

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 唯一の難点は、音楽。ついに『ビルダーズ』シリーズオリジナルの新曲が作られることがなかった。すべてドラクエ正史からの引用。『ビルダーズ2』の物語、世界観が『ドラクエ2』をなぞっているから、その曲が使われることに意味はある。
 オリジナルが作られてすでに何十年も経っているのに、そのまま使えるのはもともとの音楽が強いから、という凄さもあるのだが、やっぱり『ビルダーズ』ならではの新曲を聴きたかった。

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 物語の終盤、「作る」という言葉と同等に「壊す」という言葉の重要性が浮き上がってくる。「作る」前には必ず「壊す」必要が出てくる。いや、作ると壊すが同等に扱われる。壊すことと作ることは表裏一体だし、壊すことで生まれるものも出てくる。
 ラスト際で、こんな台詞が出てくる。

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ジバコ「アタシ実はアンタたちがからっぽ島で川を作っているとき、岩を壊しているシドーを見て思ったんだ……。なあんだ、シドーもふつーにもの作ってるじゃんってね」

 壊すことで作る。
 例えばからっぽ島開拓で、農地を作っていた私はどうにも土地がなくなったので、岩山を削ってならし、そこを農地にした。用水路に流れる水は、岩山を流れる水をそのまま使用する。むしろ風景として良くなった。
(それでふと思うのは、むかし高畑勲監督が話したこと。田舎の風景はみんな農民が作ったものだ……この意味をよく理解した)
 壊すことで何かを作る。思えば『ドラクエビルダーズ』に限らず、サンドブロック系ゲーム全体に言える基本的な行為・テーマだ。サンドブロックゲームは、作るだけではなく、同じくらい壊している。見落とされがちな「壊す」を、テーマとして物語の中に組み込まれ、語られ、作品全体の思想になっている。いっそ、サンドブロックというジャンル全体を『ドラクエビルダーズ2』によって総括してしまったとすら言える。
 このテーマをゲームの中で語る。ゲームだからこそ語れる。ゲームだからこそ、このテーマでここまで深く掘り下げることができた。まさにゲームでゲームを語っている。
 サンドブロックにおける基本行為をテーマとして物語に組み込むという着眼点、さらにここまでテーマを深く掘り下げたストーリー。そこに骨のあるドラマが貫かれている。ここまで語り通すことができた『ドラクエビルダーズ2』はサンドブロックゲームの現時点での最高峰、といえるだろう。

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 このゲームをファミコン『ドラゴンクエスト』の世界観で作るというマッチ感もよかった。ファミコンのドット絵のパターンをいくつも組み合わせた世界観は、ある視点で見れば非常にサンドブロック的。最近の『ドラクエ』ではなく、初期『ドラクエ』だからこそできる設定。
 もしかしたら、ハーゴンが作った不完全世界だからこそ、サンドブロック的な世界として処理されたのかな……とか考えたり(じゃあ『ビルダーズ1』はどうなるんだ、という話だが)。

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 個人的な話しとして、やっぱりサンドブロックゲームって箱庭療法のゲーム化だよな……。
 私が『ドラクエビルダーズ2』を始めた頃というのは、本格的に落ち込んでやる気をなくしてしまっていた……という時期だったが、『ドラクエビルダーズ2』を終えた今、だいぶ気持ちも戻ってきた。
 無心になって延々デジタルの中で箱庭を作り、人を住まわせ、小さく悦に浸る。それが現実生活の活力として戻ってくる。ああ、箱庭療法って意味があるものなんだな。
 『ドラクエビルダーズ2』は現実世界に用事がある人にはお勧めしない。するべき仕事や、勉学を勤めなければならない人にはお勧めできないが、私のように“落ちている人”には積極的にお薦めしたい作品である。

                             5月7日

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