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12月16日 「最近のアニメはつまらない」と思うのはなぜか?

 なんとなく気になった、キャリコネのニュースについてツッコミを入れていきましょう。

キャリコネ:「今のアニメはつまらない。昔はもっと面白かった」というオタクは一体何を考えているのか

 キャリコネらしい薄くて軽い内容の記事でございますね。
 あ、リンクをクリックする必要はございませんよ。タイトル以上の深さのない記事だから。
 「今のアニメはつまらない。昔はもっと面白かった」……ネットではよく言われる話だけど、こういう人は「思い出」を語っているのであって「評論」をしているわけではない。「思い出」と「評論」の区別が付けられない人がこういうことを言っちゃう。
 思春期の一番いい時期に見たアニメや映画やゲームが素晴らしいのは当たり前の話。人はだいたい12~14歳あたりが一番感性が磨かれる時期なので、このタイミングの頃に作られた名作にぶつかるとものすごい影響を受ける。「人生の1本」になる可能性は高い。
 某脚本家は「30過ぎると映画を見ても感動できなくなる」……誰の言葉だったか忘れたけども、これは本当。30歳を過ぎてから「人生の1本」に改めて出会うことはほぼない。人によってはもうずーっとない。大抵の人は10代半ばから20代前半に見たものをずーっと語り続ける。ずーっと20代の頃に感動した映画や、好きだった女優の話とかを繰り返し続ける(で、老害だとか言われる)。
 私はもともとは映画好きで、昔はどんな映画を見ても「たのしーーーー!」って思えていたのに、今は映画見ててもさほど楽しくない。それどころか、2時間確保大変だな、とかよくある展開に出くわすと「またこのパターンか……面倒だな」とか思って見るようになってしまった。
 要するに、最近になって感動できる作品に出くわすことができないというのは、「感受性が鈍くなった」から(アニメやゲームだけの話ではなく、小説でも映画でも感動できなくなる)。その自覚を持たなくてはならない。30代に入ったら感受性で作品を語ることができないので、「思い出」と「評論」はきちっと区別をして、「良いもの」と「良くないもの」を経験からちゃんと識別できるようにしなくてはならない。

 でも、いまだに昔見た作品を「昔はよかった」と語れるのは羨ましいと思えるところがあって……。
 私ももちろん、人生をねじ曲げた「人生の1本」と呼ぶべきアニメや映画やゲームというものがある。そういうものを10年ぶりくらいに見ると、すっかり色褪せてしまって……もうそこにあの時の魔力が感じることができなくなっている。もう“旬”を過ぎてしまってたんだよね。
 私はこういう性格だから「思い出補整」をかけることができないんだ。「人生の1本」であっても、「昔の作品」として見てしまう。「私、こんな作品で感動してたんだな……」とか思う。
 だからものすごく影響を受けた作品、感動した作品ほど、私はもう見ないことに決めている。思い出が1つ消えてしまうから。思い出は思い出のままにしておいたほうがいい。

 アニメとゲームは技術の産物なので、時代の影響を受けやすい。10年もあれば技術や文化が変わって、その以前の作品が古びて見えてしまう。
 ゲームのほうが技術的影響を受けやすいので、10年前とか20年前とかになると「なんでこんなものが名作と呼ばれるんだろう……?」と不思議に思える。RPGの古典名作とか、今となっては『RPGツクール』で作れちゃうんだもの。今のオープンワールドゲームなんかも、10年後には『オープンワールドツクール』で誰でも手軽に作れちゃうかも知れない。
(3DCG制作なんかも昔は大きな企業が大きな予算をかけてやっと作れるものだったのに、今ではタブレットで誰でも作れるようになった。技術の進歩は凄い)

 実写はもともとが「写真」だから、そういった時代感を乗り越える力を発揮する瞬間があって、例えば黒澤明監督の『羅生門』。1950年の作品だ。朽ち果てた門に雨がざんざんに降っている場面が出てくるが、いま見ても圧倒されるような画の力を持っている。もう60年も過ぎているけど、見ると相変わらず「すげぇ……」となる。ストーリーも日本人の本質を突いている。50年経っても色褪せない画が出てくる映画は本当の名作。

 日本のペーパーアニメのスタイルだと技術や流行の影響を受けやすいのだけど、アート系のアニメにはすごいものがある。例えば私の大好きなアレクサンドル・ペトロフのオイルアニメーション(※)『老人と海』。このアニメーションの画は50年後の人に見せても言葉をなくすくらいの力を持っている。本当に凄い作品だ。「神アニメ」が見たいなら、この作品を見るべき。
(※ オイルアニメーション 油彩でアニメーションを作る手法のこと。作るのは死ぬほど大変だが、CMなんかで時々作られることがある。……だと思ってグーグルで検索を掛けてみると、この言葉が出てこない。名称について、私の勘違いがあるかも知れない。日本のアニメはペーパーアニメと呼ばれるスタイルで、日本とアメリカで異常発達した形式だが、アニメーションとしては1つの形式でしかない)

 商業的なペーパーアニメの難しいところは技術と文化の影響を受けやすい。技術はどんどん進歩するから、いま最高技術のアニメでも、10年後には新しい技術が生まれて表現も刷新されているはずだから、今時代に「凄い!」と言われるものでも10年後には「大したことないよ」と言われるようになっているだろう。
 もっと厳しいのは文化面で、ペーパーアニメはその時代に流行った“絵柄”の影響を受けやすい。昔のアニメが、フィルムから綺麗に洗浄されてリバイバルされることは最近よくあることなのだけど、画像を見て真っ先に「絵柄」が気になってしまう。あの時代一番輝いていたと思っていたヒロインが、いま見ると「なんだこの変な絵」みたいに感じられてしまう。バランスがおかしく見える。いまアイドルアニメなんかで量産されているヒロインとかと較べるとまったく及ばない。昔のアニメヒロインなんかを見ると「あの当時は好きだったんだけどな……」みたいな気持ちになる。
 絵柄の変化を真っ先に捨てた東映アニメの後継にあたるスタジオジブリ作品は、キャラクターの絵柄自体はさほど気にならないものの、初期作品……『風の谷のナウシカ』や『天空の城ラピュタ』などを見ると、まず色彩が気になる。当時のアニメカラーだと夜のシーンとか変に暗すぎる色を使っていて、今の感覚で見ると美しくない。
(映像を見ると古びた印象はあるけども、『天空の城ラピュタ』はテレビ放送する度に高視聴率を獲得し、老若男女問わず「面白い」と言わせられる作品になっている。制作から30年も支持され続けている。これは本当に凄い)

 この数年で私個人的にベストに選んだ作品に『響け!ユーフォニアム』『メイドインアビス』『宝石の国』の3作品があるが、この3作品は10年語れて、10年くらい魔力を失わない作品だと太鼓判を押せる(その他の大多数の作品は、申し訳ないが2~3年で古い作品になる)。しかしそれも10年くらいまで。10年も経てばもう「古くさい作品」だ。若い世代を感動させることはないし、私が見ても「ああ、もうあの時感じられた魔力はないな」と思うだろう(『宝石の国』はいま作れる最高クオリティのCGアニメだが、10年後には若者世代に「技術がショボくて見るに堪えない」と言われるだろう)。画作りにしても、10年後には新しい技術が生まれて、もっと良くなっているかも知れないし。アニメは名作でも、名作であり得るのは10年くらいまでだ。

 日本のアニメは宿命的に50年後の人も感動させられる作品がないのだけど、しかし逆に考えれば作品はまだまだ発展途上で、次世代はどんどん良くなる、どんどん素晴らしくなる……という期待を持てる。そういうわけで、次世代のアニメに希望を持とうじゃないか。

 さてもう1本。

キャリコネ:「アニメの声優はもっと自然な演技をして」に賛否の声 「アニメの絵や動きに合わせている」という反論も

 こちらもキャリコネらしい、薄くて軽いニュース記事ございますね。
 あ、こっちもリンクのクリックは不要ですよ。タイトルが全てなんで。

 シンプルに突っ込むと、実写の芝居だって相当おかしなことしてるでしょ。対話中に相手の名前呼ぶやつがどこにいるんだよ。実写でも自然な芝居なんてまったくしていない。
 実写だっておかしな芝居をしているのに、それを飛び越えて「アニメの……」という話題をするあたり、アニメに対して相当なバイアスがあるんだな……というのがわかる。

 アニメはまだいいほうだ。だってアニメは、キャラクターも背景も何もかも「作り物」だから。全てが全力の「嘘」の世界だから、嘘っぽい芝居が成立する。そこにしかない「世界観」を作って、その世界観に準じたキャラクターやあるいは芝居を作ることができる。
 一方の実写は難しいところがあって、そういう世界観を作れないし、作ろうと思うとものすごい予算がかかる。世界観がきちんと作り上げられていない中であの芝居があるから、不自然極まりない。私は基本的にテレビドラマを見ないのだけど、なぜかというと演技が見るに堪えないから(そもそもつまらないから……というのもあるけど)。
 前にこのブログにも書いたと思うけど、実写ドラマの芝居は、やり方を間違えているんじゃないか……と考えている。「演技力がない」というのとは違うだろう。まず対話中に相手の名前を呼んだりはしない。これは海外ドラマの影響というか、海外ドラマから作劇を学んで生まれたもの。日本人に合わせた、もっといいやり方があるんじゃないか……と少し考えている。答えは出てないけど。

 でも多くの人はあまり実写芝居の不自然さについて話題にしない。こういう時はたいていアニメが話題になるというか、槍玉にされる。ということは未だにアニメを「アニメ」という括りにして考えようとしているんだな……というのがわかる。こういうのは「評論」ではなく、個人的な「好み」の問題。もっというと、個人的なコンプレクスをアニメに投影し、攻撃の対象にしてストレスの発散をしたいだけ。この発言者の悩みの本質は、本当は別のところにあるんじゃないかな。それを解決してから素直な気持ちで作品と向き合えるようにして欲しいものです。
 要するにいまだに多くの人にとって、アニメは実写作品より下位のものと捉えられている……ってことだね(「底辺だから叩いても大丈夫だよね」という心理)。アニメやゲームの作り手って、いつまでこうやって見下されるんだろうな。

 まとめとしては、自分の言っている言葉の本質に気付きなさいって話。「最近アニメや映画が楽しいと思えなくなった」というのは「いい大人になった」という証拠。回りが変わったんじゃなくて、自分が変わった。そのことに気付きましょう。
 あとお金を貰って記事を書いている人は、もうちょっとまともな記事を書いてください。

 さて、ここで1つ提案です。
 「最近のアニメはつまらない」「アニメの芝居が不自然」
 この2つの問題を解決する素晴らしい提案があります。それはあなた自身が作り手になることです。自分が作り手になって、その問題を解決する作品を作れば万事解決。現代のアニメのストーリーや技術に不満があるのなら、それは自分ならさらにいいものを作れる、いいものを作るアイデアを持っている……ということですよね。「こうすればいい」という解法に行き着いているから、不満を感じるんでしょ。そこに行き着いているなら、活かさない手はないでしょう。
 いやいや業界に入って10年修行してチャンスを待て……とかはいいませんよ。今は動画ならYouTubeで発表すればいいし、シナリオなら「小説家になろう」があります。発表の場は一杯あります。いいものを作ってバズれば、その瞬間有名人ですよ。広告収入で大金を得られますよ。
 技術がない? 問題ありません。最近はスキロッソやココナラで技術を持っている人を雇うことができます。絵描きもここで見付けることができます。すでにやっている人は一杯います。
 ツールも、今パソコンを買えばだいたい手に入ります。あとは良いアイデアと努力と根気。それがあれば誰でもチャンスがあります。
 私みたいな何の能力も才能もないゴミクズのような人でもやっているんだから、できますよね? どうあがいても、私以下……になることはないはずですから。それでもやらない……というのはただの言い訳です。ツールも技術も、そこそこのお金で手に入ります。作るための道具は全部買える時代になっているわけですから、文句を言うくらいなら自分が作り手になっちゃいましょう。
 はい、解決!!

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