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2018年冬アニメ感想 B:The Beginni

 ProductionIGが制作する、Netflixオリジナルアニメーションだ。
 映像の作り込みが凄まじく、ProductionIGらしさが随所に現れている作品だ。冒頭からハードな猟奇殺人が描かれるが、ここからいきなり凄い。テレビでは絶対できない抉り込むような描写が展開する。
 『B:The Beginning』にはヒーローアクションの側面があって、こちらに突入するとサスペンスパートの緊張感がさっと払い飛び、どこまでも痛快、見事なアクションが描かれる。
 キャラクターはリアルなシルエット感を持ちつつも、どちらかといえば漫画的、コミカルな描かれ方をしている。すっと伸びるような線の使い方が心地よい。色トレス線で作られた影線が、幾何学的な美しさを表現している。こういった色トレスの使い方は、ProductionIGのお家芸のようなものだ。この描き方が本当に好き。

 しかし……。
 映像を見ると、「さすがProductionIG」といえる、凄まじいポテンシャルを感じることができるのだが、“しかし”……だ。
 『B:The Beginning』は2つのジャンルが混じり合わされている。サスペンスものと、ヒーローアクションものだ。サスペンスパートはかなりえぐい猟奇殺人が描かれる。容赦のない殺人、人体破壊が描かれ、シンプルな線であそこまで生々しさを描けるのはさすがのProductionIGだ。凄い。
 ここに、ヒーローアクションものが混じり込んでくる。特別な能力を持った少年達が、現実では絶対にあり得ないようなアクロバティックなアクションを披露する。この一連のアクションの描き方も素晴らしい。1カット1カットが見応えある作画だ。
 しかし、この2つのジャンルはどうにも混じり合わず、えんえん対立し続ける。
 アクションパートに入ると、ヒーロー以外は舞台から姿を消してしまう。ヒーローものの特徴は、「どんなにど派手なアクションを繰り広げても、誰からも目撃されないし、干渉されない」だ。派手に町を破壊して、怪我人を出したとしても、パトカーがやってくることがない。ヒーローは何の責任も負わない。
 第1話、黒羽が優雅に家の屋根上を歩いて、路上に飛び降りる……という場面があるが、ここでもやっぱり誰からも目撃されない。第3話では黒羽、イザナミが対峙、ビルの壁面を駆け巡りつつのアクションが描かれるが、これを目撃しているのは主人公のキースただ1人だけ。大きな事件現場で警察だけではなく一般人も見ている最中であるはずなのに、なぜだ?
 サスペンスとヒーローは対立する。なぜならヒーローは「社会を切り離す」ジャンルだからだ。一方、サスペンスは「社会を観察する」ジャンルだからだ。水と油。キノコとタケノコ。混じり合わないものを混ぜようとしている。
 その結果、押し出されてしまっているのが人間の感情。事件に直面したときに、それぞれのキャラクターがどんな感情を抱くのか、とか、何を背負ってしまうのか、とか。そういった人間の感情の行方がいまいち掴みづらい。あるいは何も描かれてない。
 黒羽はユナという少女と関連を持っているが、そのユナと向き合ったときの感情がよくわからない。どうやら因縁があるらしい……と途中から示されるが「え?」という感じになる。観る側に衝撃を伝えようという意図がまったく伝わらない。
 悪目立ちをしてしまっているのが星名リリィだ。この作品のコミカル要素なのだが、まずデザインから浮いてしまっている。RIS唯一の“縦目族”で見た目としても可愛いのだが、他キャラクターと並んだときに浮いてしまうし、作品の空気とも合っていない。リリィはお笑い担当なのだが、お笑いがことごとくシーンに合っておらず「空気読めてない」感が出てしまっている。
 キャラクターにはそれぞれプライベートがあり、例えば黒羽はヴァイオリンが得意で、ヴァイオリンの修理をやっていたりする。でも、この辺りの設定がどこからやってきたのか不明だし、この設定が後のドラマに何かしら効果が出てくるわけでもなく、途中から忘れられる。物語と接地していないところで「設定」だけが作られてしまっている状態だ。
 中盤以降、サスペンスパートとヒーローパートを繋げる物語が始まるのだが、延々台詞だけ……物語というか、設定解説を聞かされるだけ。そこに突入していく過程で、それぞれのキャラクターに何かしらのドラマが生まれる……ということもない。(私はてっきり、リリィが物語の導き手になってこの辺りの秘密を解き明かす役割になるのだと思ってたら、別にそんなこともなかった)
 あれだけ長々と設定説明をした後も、結局のところ、サスペンスパートとヒーローパートは最終的に分離し、それぞれのクライマックスが描かれるわけだが、ほとんど関連を持たない2つのシーンが交互に描写される。ほとんど別作品ともいえるコンセプト違いのシーンが繰り返され、しかもこの2つが特に相互関連してシーンを盛り上げるわけでもないので、一方が一方に対してノイズになってしまっている。
 サスペンスパートもヒーローパートも、どちらも練りに練った……というのはわかるのだが、小手先のものばかりで、見たときの衝撃度が低い。ツイストが入っても驚きが少ないというか、捻り過ぎていて「結局なんだったの?」と困惑しかない。「主旋律が聞こえない」状態だ。そのくせ、不用意にバイオレンスに傾こうとする。
 バイオレンスはもしかすると、欧米ユーザーに向けたサービスかも知れないが……。期待されているのはバイオレンスではなく、それぞれのキャラクターがどう感じたか、どんなドラマが紡がれていくのか、そのドラマの先にある“衝撃”あるいは“感動”を重視するべきじゃなかったのだろうか。
 とはいえ、個々の作画パワーだけは本当に見事だった。これで、サスペンスパートとヒーローパートがそれぞれ別の独立した作品だったらなぁ……。


こちらの記事は、私のブログからの転載です。元記事はこちら→2018年冬アニメ感想 後編

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