2月22日 昔の精神分析医が考えた「ゲーム=悪」論

 某サイトのeスポーツ関連の記事を読んでいて、「世間では未だに『ゲーム=悪』という見方があって」……というのを見て、ふっと昔よんだ本のことを思い出した。

 その本……もう十年以上前に読んだ本なのでタイトルも憶えてないけど、精神分析の先生が書いた本なのだが、ゲーマーの何でもない対話を引用して、「精神的に欠陥がある」とバッサリ断罪。
 しかし……私はその対話を何度も繰り返し読んでみたけど(短い対話だった)、どう読んでもごくごく普通のゲーマーの何でもない日常会話。どこに「問題」があるのかさっぱりわからない。本を書いた精神分析の先生も、どこに問題があって「異常」と断定したのか、「理由」を書いてない。

 これに続いて精神分析の先生は、こんな持論を書いていた……。


 例えば『スーパーマリオブラザーズ』というゲームがあり、このゲームの中で何度も死を繰り返していくうちに現実の死に対する意識が軽くなり、殺人に対する罪の意識がなくなる。


 うろ覚えで書くが、こんなふうに書かれていた。本当に書かれてたんだよ。
 私にはこの先生の精神のほうに何かしらの病を感じるのだが……。この辺りを読んだ時点で、その本に対する信用度はゼロになった。
(例として出したゲームが『スーパーマリオブラザーズ』という辺り、この先生、何も知らないんだな……というのがよくわかった)

 多分、こういう記事を読んでいる人はそれなりにゲーム好きで、むしろ「この先生、病気だったんでは?」と疑うところだと思うけど、こんな内容でも一応「精神分析の先生」だ。どう考えてもおかしい理論でも、「権威ある人の発言」。ゲームに対するなんの予備知識のない人が読めば、素直に信じるだろう。
 無職の私が書くものよりも、数万倍の信頼度があるはずだ。無職の私が書いたもの、精神分析の先生が書いたもの、この2つを並べるとほぼ全ての人が精神分析の先生が書いたものを信用するだろう。
 私なんかはずっと「お前達は現実と非現実の区別が付いてない」と言われ続けているけど、むしろそういう人の言う「現実」ってなんなんだろう……。これはずっとテーマとしてある。私には「多数派」や「権威」ある人達の現実のほうが、盛大にぶっ壊れているようにしか見えないわけで……。壊れた馬車のようなものが、壊れていることに気付かず進み続けている……私にはそう見ている。
 世間の中心というのは、そういう「権威ある人の奇怪な現実認識」のフォロワー達で成り立っている。偏見は時代と共に薄れていくのではなく、次世代へ進むタイミングで「理由」が失われ、強力になっていく。「差別する理由」がわからなくなり「そういうものなんだ」と思考がショートカットし始める。そうやって差別は固定化される。

 どうしてこういう考え方が生まれるのかというと、どうもゲームというものは木の股から自然に生えてくるもと思っている層が一定数いるらしくて……。ゲームというものの背後に、「作っている人」「それを作るのにかかる予算」「作るのに支払う苦労」があることに気付けない人がいる。このことに気付けない人、というのは社会的地位とか無関係で、世間的に頭がいいと思われいる人の間でも多い。大体の人は、その手前側の光景までしか見えていない。
 私はこういう現象を、個人的に「世界観の欠落」と呼んでいる(「世界観の欠落」という言葉は、『ProjectMOE 第2巻おまけ漫画』にも登場する)。
 「世界観の欠落」とは? この辺りは別の機会に話したいと思う。

 ゲームに関しては、「とりあえずゲームは悪だ」と考える大人達のほうが圧倒的に多い。「権威ある」人達ほど、こういう考えをお持ちのようだ。最近はメディアではあまりやらなくなったけれども、地方では今でも「ゲームは悪。禁止すべきだ」という政策を掲げて選挙に臨む政治家がいて、母親達から一定の支持を得ている……なんて話は聞く(「ゲームが原因で少年犯罪が増えている!」と未だに主張している人はわりといて、そういうのが案外世間的に受けているそうだ)。
 これに対しては、「ゲームはただの娯楽に過ぎない」という考え方の人達を、少しずつ時間を掛けて増やすしかないだろう。eスポーツみたいなのが本格的に動き始めて、影響を受けた世代が広がっていけば、いつか世間はひっくり返るだろう。それまで1人1人が頑張り、1人1人が代表者のつもりで問題を起こさず、文化を育てていくことが大事だ。


こちらの記事は私のブログからの転載です。元記事はこちら→http://blog.livedoor.jp/toratugumitwitter/archives/51614065.html

とらつぐみのnoteはすべて無料で公開しています。 しかし活動を続けていくためには皆様の支援が必要です。どうか支援をお願いします。