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4月10日牛乳ビルに電気が通った日

文:守屋佑一

1度目の電気工事より10日がたった。この10日間はフリーとしての身を満喫した。知り合いの家のみかんの剪定を手伝い、美味しいお酒を飲んで、青春18切符を使って福岡の友人のところに遊びにいって、大分の温泉を満喫して、京都の梅干し展を見て部屋の掃除をして、いえのみかんの剪定をして、お酒を飲んで。そんな10日間だった。

4月10日のこの日も朝より作業。水野さんに言われるままに動く。埃まみれになる。壁のピンを外す。前回と同じく、とてもとても地味な作業。

電気についていろんな話を水野さんから聞く。初級の資格なら意外と簡単にとれること。電気はちゃんと扱わないと危険なこと。

なにもかも知らなかったことで新鮮だった。僕が農業の話をしているとき、人はこんな気持ちで聞いているのかもしれない。

この日も昼ご飯は食べない。水野さんはタフだ。でも、ご飯は大切だ。と、食生活が乱れまくっている食生活アドバイザー僕は思う。途中、東電の人がくる。電気を通すにあたっての手続き。

そしてぶっ続けの作業をして、午後3時過ぎ・・・水野さんがもう通ったはずだ、という。コンセントに電気工具の充電器を刺す。充電器についているランプが光った。夢にまでみた電気の開通。うちのアパートから持ってきた電灯をつけてみる。こっちも光った。

光があるのは当たり前じゃない。それでも、偉大な先人たちの努力で当たり前になった。この1000年で人間は驚くほどの進化をした。

光を自在に扱い、馬より何倍も速い乗り物をつくり、空を飛び地球の裏側にだってたやすくいけるようになり、遠くの人に話しかけられるようになり、テレパシーのように思っていることを文字にして一瞬のうちに送れるようにさえなった。絵や音楽も電波に載せて届けることができるようになった。

そして一瞬のうちに何万人もの命を絶つことができるようになり、人が住めない地域にさえしてしまう。だからといって、それらも否定はしきれない。今までその恩恵に授かってきたのは僕らだ。当たり前じゃないことを当たり前だと思い、リスクを考えず使い続けてきたのも僕らだ。人類はもう、後戻りできないかもしれない。だけれど良い方向に進もうと考え、対話していくことはできる。

光も、距離も、電波も自由自在になった僕らが次に求めるのはきっと時間だろう。

1000年前の人に灯りを自由自在に使えることができると言っても信じてもらえないだろう。だからいまは夢物語でも1000年後は時を支配しているはずだ。

僕には戻りたい時がある。

だけど、いまはいまを生き続けるしかないから精一杯やるしかない。

4月10日。この日、牛乳ビルに灯りが灯った。

大切に大切に使っていこう。

※この記事は全文無料の投げ銭コンテンツです。投げ銭はまだまだ完成しない牛乳ビルのリノベーション資金となります。


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