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守屋佑一のこと2 中学校での出会いと始まりと。(2001~)

文:守屋佑一

昨日の「くいしんのこと2」に少し影響を受けて、小学生の頃の夢を思い出す。

前回の自己紹介でも書いたが、僕は小学生の頃、よく本を読んでいた。

そして、本を作りたいと自然に感じるようになった。

漫画初心者キットなんてものを買ってみたはいいものの、壊滅的に絵のセンスはなかった。

そんな折、定期購読していた「Vジャンプ」に掲載されていた「犬まゆげでいこう」というルポ漫画に度々編集者が登場していて、本を作るのは絵や文を書く人だけではなくて、編集者という存在もいることを意識し、無謀にも小確幸の卒業アルバムの将来の夢は「集英社に入ること」と記したのだ。

 

時がたち、就職活動をする際、なんとなく編集者になりたいというのは頭にあっても、結局エントリーすることもなかったのだが。

けれども人生とは面白いもので、社会人になってから広報誌に連載をもったり、編集したり、地元紙に簡単な連載をもったり、いろんな面で少しだけ夢が叶うことになるのだけれど。ただ、まだ本は出せていない。トーチズを通してそれが叶えば、とも思う。

大きく話が逸れた。前回が小学生の頃の話だったので今回は中学生の頃の話をしよう。

2001年4月。新世紀の産声とともに、僕は中学生へと進級した。

市内のごく普通の公立の中学校だ。特徴といえば、3つの小学校が一気に集まり、7クラスあるこのへんだと一番大きいマンモス校だった。(といっても、僕が出た小学校からは約半数は別の中学にいく。)

中学校といえば、おそらく健全な男子のほとんどは部活動に青春を費やすだろう。小学校で肥満になってしまった僕も、中学ではスポーツに汗を流して痩せ尽くしてやろうと考えていた。

正直、そんなに運動神経のあるほうではなかったので、やればやるほど伸びてなんとかなるし、しかも痩せる近道だろうと思い、陸上部への入部を考えていた。

しかし、その計画は脆くも崩れ去る。

野球に携わっているおじが自分に野球を進め、グローブを買って入学祝いに渡してきたのだ。

ぼくは迷いに迷った。前回も書いたが、野球は大好きだ。とくにジャイアンツの松井選手と仁志選手に憧れていた。

だがプレイする自信はまったくない。せっかくならレギュラーをとらなきゃつまらない。それに比べて陸上なら個人競技なので全員が試合に出れる。

迷いに迷ったが、グローブを買ってもらった義理もあるし、せめて仮入部だけでもと野球部に足を運んだ。
結果を先に話すと僕は野球部にはいった。
だからいろんなことが始まった。
それはまた、次の機会で。

そしていまも始まり続けているのだ。 

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