守屋佑一のこと3


文:守屋佑一

中学の思い出。
ただし、その前に、また思い出したことを綴ろう。
前回、小学生の頃は編集者になりたかったと書いたけど、そのまたもっともっと昔には仮面ライダーみたいな正義の味方になりたかった。
幼稚園のころだと思う。毎日のように仮面ライダーを見ていた。V3が好きだった。人形もたくさんもっていた。
だからか、中学のとき、コンビニで売っていた仮面ライダーの本を手に取るまで、自分はいわゆる昭和ライダードンピシャ世代だと思い込んでいた。それがブラックRXにもかすってなかった。
だからあれは、再放送かなにかを録画したものだったのだろう。

人の記憶なんてあてにならない。だからいろんなことが失われていく。邪馬台国がどこにあったのかだって、本能寺の変の黒幕が誰だったのかだって、坂本龍馬を殺したのが誰かなんだって、仮面ライダーをリアルタイムで観ていたのか、ビデオで観ていたのかだって。
全ておなじベクトルでみんな忘れて、失われていくと僕は思う。自分のことも、他人のことも、確かにあった出来事も。

僕も、いろんなことを失った。だから、トーチズで少しずつ自己紹介をしていくことはいろんなことを思い出し、またやり直す物語なのかもしれない。

それでは、前回に続き中学生の頃の話を思い出そう。

中学1年になった僕は、野球部に入部した。
叔父に入学祝いにグローブを買ってもらっただけの理由ではない。
仮入部であまりにも「そこ」が居心地が良かったのだ。
野球部に入部した1年生は27人。学年の男子のうち、6人に1人くらいが野球部に入った計算になる。3つの小学校が1つになる我が中学。
僕と同じ小学校出身は少なかったけど、他の小学校からきた人は、個性豊かな人ばかりだった。

早いものであれから14年。いまだに彼らとは遊んだり、旅行にいく。この話はまた追って話そう。
さて、野球部の話だがこれだけの人数の1年生がいっぺんに入ったので、もちろんボールなんか触らせてもらえない。テンプレ通りの1年生向けの訓練訓練。
毎日毎日1週200メートルのグランドを1周走り(後で知ったが、けっこうなやつらが真面目に10周走らずごまかしていたらしい笑)階段を10往復し、(うちの中学はグランドにいくまでに歩道橋を渡るという奇抜なスタイルだったので、その階段をダッシュで往復させられた。)腕立てと腹筋をやるというもの。
こんな毎日が3年生が引退するまで続いた。
3年生は永遠に引退しないんじゃないかと思うくらい辛かった。
それでも、楽しかった。
同じ方向の友人たちとの毎日の何気ない帰り道も楽しくてしょうがなかった。
昼休みに廊下でする自主練。半日で終わり、部活前にみんなで食べる弁当。
そんなこんなで、不摂生で太りに太った僕の体はいつしか、少しずつ締まっていき、半年もたつころにはなんとか一般的な体型に近づいていった。

※この記事は全文無料の投げ銭コンテンツです。投げ銭はまだまだ完成していない牛乳ビルのリノベーション資金となります。

ここから先は

0字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?