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守屋佑一のこと4

文:守屋佑一

前回から引き続き、まだまだ中学の思い出だ。

思い出せば思い出すほど僕の人生は、特に中学以降どれも濃すぎて、いったい全部で何回自己紹介を書くのか多少戸惑いを覚えている。

中学1年生の秋。3年生は卒業し、少しは野球部の練習でボールを触れるようになった。相変わらず下手くそだったが、肩は少しだけ強かった。

毎日練習着をボロボロにし、小学校の頃太っていたインドアな少年はすっかりテンプレ通りの野球少年になっていた。

でも、部活よりそれに付随する仲間との毎日が本当に楽しかった。

この秋くらいから、野球部の仲間たちとみんなの家へ泊まりあうようになる。

初めての泊まりはよく覚えている。

久野に住んでいる仲間の家に5人くらいで泊まりにいった。

いまでは、オールで遊ぶなんてことは特別なことじゃない。

そうしようと思わなくともそうなってしまう時のほうが多いからもちろん準備なんかしやしない。

だけど、中学1年のこの時は違った。お泊まりは本当に特別なことだった。

「うちに布団ないからもってこいよ!」

土曜の部活が終わって帰るとき、友人はいった。

久野は山険しい場所だ。久野小の友人と遊ぶのはいつも楽しかった。

夕方6時に川沿いのサンクスに同じ小学校出身のリョーチンと待ち合わせして、自転車で久野の山を登った。自転車のカゴにつまった布団がとても重くて、まだまだ暑い秋の夕方。友人の家にたどり着いたときには汗だくだった。

夜はとりとめのない話をひたすらした。この日、生まれて初めて髪にワックスをつけた。次の日、家に帰るとき、親になにか言われそうで、気恥ずかしくて、ワックスを家の前で落とした。ギャッツビーのマッドワックス。3つ子の魂100まで、とは少し違うかもしれないが、実はいまだにそのワックスを使っていたりする。

人に「本当にアクティブだね。」とよく言われる。一応褒め言葉として受け取っている。

しかし、思い起こせば僕は小学校のころは太っていたし(あまり関係ないか)全然アクティブじゃなかった。

僕のアクティブばかは2001年。中学1年の秋のこの時から始まった気がする。

出会いが人を変えるのか、違う出会いでも道のりが変わるだけで、同じゴールにいくのかもしれない。

けれど、僕はこの中学に入って、この仲間たちと出会って本当に良かった。だからこそ、今でも彼らとは今でも昔と変わらず付き合いが続いている。

そこには、計算も打算もなく、中学のあのころのままで。

そういうことをして、毎日過ごして、野球と遊びに熱中して、授業中はだんだん居眠りをしかけるようになって、順調に成績は落ちて。

またいくつかの時が経ち、ぼくは中学2年になった。

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