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鈴あらば 鈴鳴らせ りん凛と――再び評価の火を 辻井喬『叙情と闘争』

~~辻井喬=堤清二を読む~~

鈴あらば 鈴鳴らせ りん凛と――再び評価の火を

辻井喬『叙情と闘争』

 

■辻井喬『叙情と闘争――辻井喬+堤清二回顧録』2009年5月25日・中央公論新社。

■回顧録(自伝)。

■352頁。

■2024年5月12日読了。

■採点 ★★★☆☆。

 

 今は亡き、詩人・小説家辻井喬、実業家堤清二の、――本人は否定しています*[1]が、「自叙伝」、それの苦肉(?)の言い換えの――「回顧録」です。

辻井さんが亡くなったのが、2013年の11月のことですから、亡くなる4年ほど前に、この一連の手記は書かれています。1991年には、経営破綻により、セゾン・グループの代表を辞任、2000年には事実上セゾン・グループは解体していますから、言うなれば、或る種の「敗者」の手記、と言っても過言ではありません。

しかしながら、本書の題名である「叙情と闘争」が示しているように、詩人・小説家の履歴についても、もちろん多く割かれていますが、かといって、一世を風靡したセゾン・グループの栄枯盛衰に関しては、ほんのさわりだけ、と言った印象が残ります。むしろ、この「叙情と闘争」が意味するところでしょうが、堤清二が、政治家であった父親堤康次郎の跡を継ぐことを忌避しながら、実際の政治の場ではなかったかも知れませんが、超政治の場での政治的な活躍に、その力を奮っていることに力点があるような気もします。

彼は、父親の代からの人脈を生かして、様々な民間外交的なことに尽力しています。そのような場でこそ、彼の類い稀なる「叙情と闘争」の力が発揮されたようにも読めます。

そもそも、この回顧録は幼児の頃の記憶から説き起こされている訳ではありません。1959年、辻井さんが32歳の時に、衆議院議長だった父康次郎の秘書としてアメリカに行きアイゼンハワー大統領に会う経緯から始められているのです。

既に何冊かの作品に幼少時から青年期にかけての記憶は描かれていた*[2]、という事情もあったかも知れませんが、「政治」、という括り方に問題があるとすれば、「外交」、すなわち海外の諸国との交流という場の中に、生来、辻井さんが持ち得た、弱者や抑圧される立場からの、何らかの「怒り」のようなものの昇華される要素があったのかも知れません。

具体的には旧ソ連との交渉や、中国との交流などは、辻井喬、というよりも堤清二の、或る種の本領が発揮されていたような気もします。

その他、三島由紀夫や安部公房といった当代を代表する文学者たちや、哲学者森有正との交流の様子、実妹堤邦子さんとの、痛恨であったろう思い出など、読みどころが満載です。

恐らく、自身を美化して語ることをよしとしない、辻井さんの持ち前の性格からか、あるいは、未だ生存している関係者への遠慮もあったのでしょうか、問題の西武セゾン・グループの驚異的な成功と、更にまた、驚異的な凋落とその崩壊についての細部に渡る内容は余りないようでした、ないようだけに。

むしろ、この問題はより客観的にフィールドで論じられるべきものなのかも知れません。

辻井=堤さんが考えた、セゾンの消費文化というものを、単にバブル経済の徒波(あだなみ)のひとつとして捉えてよいのかどうか、実業家堤清二として書かれた『変革の透視図――脱流通産業論』*[3]や『消費社会批判』*[4]に現れた自らを根底から否定する思想をどう捉えたらよいのか、そのようなことも考えさられます。

堤さんが、セゾン・グループの最後の仕事の一つして力を注いだと思われる「無印良品」にその思想が残っていると思うのです。

その意味でも、今後、様々な面から再度、辻井=堤という類稀なる詩人実業家の業績について再評価されるべきだと考えます。

それにしても、末尾に付された一篇の短詩は作者の本音の一端が吐露されている気がします。

 

もの総て/変りゆく/音もなく//思索せよ/旅に出よ/ただ一人//鈴あらば/鈴鳴らせ/りん凛と*[5]

 

 

参照文献

辻井喬. (1969年). 『彷徨の季節の中で』. 新潮社.

辻井喬. (1998年). 『本のある自伝』. 講談社.

辻井喬. (2009年). 『叙情と闘争――辻井喬+堤清二回顧録』. 中央公論新社.

堤清二. (1985年). 『変革の透視図――脱流通産業論』. トレヴィル.

堤清二. (1996年). 『消費社会批判』. 岩波書店.


 

 

1764字(5枚)

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20240512 1057



*[1] [辻井, 2009年]333頁。

*[2] [辻井, 『彷徨の季節の中で』, 1969年] [辻井, 『本のある自伝』, 1998年]など。

*[3] [堤, 『変革の透視図――脱流通産業論』, 1985年]。

*[4] [堤, 『消費社会批判』, 1996年]。

*[5] [辻井, 『叙情と闘争――辻井喬+堤清二回顧録』, 2009年]340頁。

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