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鈍感


わたしちょっと前まで音楽、そんなに好きじゃないと思ってたんです。5歳からピアノやってて、大学も教育大の音楽科なんですけど。

音楽なくても別に生きていけるし、すごい好きな作曲家も歌も歌手もいないし。音楽が好きでたまらないみたいな人達の中にいたらその思いがもっと強くなって、あー、違う世界だなぁなんて思ってたんです。

でもよく考えたら家にいる時へんな鼻歌歌ってるし、通学中イヤフォンしてないと落ち着かなかったし、ピアノ弾いて遊ぶの好きだし、カラオケも好きだし。これで気付かないの、よっぽど鈍感だよって、今になって思います。

あたりまえすぎて気付かなかったけど、ちゃんと好きだったんだって安心しました。


これ思い出したの「蜜蜂と遠雷」っていう映画観たからで、余韻がすごすぎて抜け出せないんです。なんの余韻なのかもわかんないのでとりあえず引き延ばしてみようと思って原作読み始めました。

いままで17年間もピアノやってきて(大学まで)、自分で心の底から弾きたい!って思った曲が一曲もなくて。これはほんとにまずいことだと思うんですけど、すごい失礼だし。単に曲を聴いてなかったっていうのもあると思います。先生に勧められて、とかなんかこれ弾けそう、とかで続けてきたんです。完全なる受け身です。

どう弾きたいとかも全くなくて、言われるがままとか、こう弾いたら気持ちいいみたいな適当な感じで。だから芯がないし、まあいいんじゃないの?みたいな演奏しかできてなくて、でもそれで満足してました。

卒業研究で初めて歴史を勉強して、自分はどう弾きたいんだろうって嫌でも考えて向き合わなきゃいけない状況になって、やっぱりイメージでしかないんだけど固めていって、初めてなんとか形に出来ました。歴史を学ばないといけない意味もやっとわかりました。感覚で、イメージで膨らませていっても演奏の向かう先が間違わないためには、土台があるのが前提なんだとわかったのが大きな収穫でした。片脚突っ込んだくらいだけど、本当を知る機会があってよかった。楽しかったし、充実していました。それが最後だったので、一区切りついたかなと思って今はお休みしてます。たまに遊ぶくらいで、まあ、たのしいです。

コミュニケーションの手段として必要としていたから音楽をやっていたのだと気付かされたのは、大学のある教授の言葉でした。「あなたは観客の呼吸を感じて、コミュニケーションを取れる可能性がある」。衝撃でした。一方的としか、自分が楽しむだけとしか思っていなかった音楽が、私にとって人と繋がる手段なのだと、だからこれまでずっと離れずに続けてきたのだとわかりました。演劇に惹かれた理由もわかりました。それがわかったから次はたぶん、言葉だったわけです。仕事。


今回あの映画を観て、サウンドトラックを見つけて、かつて卒演で弾こうかなと思っていた曲があって何気なく聴いてみたら、もうイメージがぐわんぐわんきて、あーもうこれ弾きたい!ってなりました。初めてかもしれない。その感じが怖くてすぐ曲止めました。

楽譜も持ってないし買わないといけないし、1年くらいだらだら譜読みしてる曲もあるけど、どうしようかな……。ばん!っていうイメージが先にあって、それに向かっていくのってすごく怖いことだなって初めて実感しました。みんなこんなすごいことずっとやってたんだろうか……。恐ろしい……。

しかもその曲たぶんめちゃくちゃ難しいんですよ……。難しさっていうのもわたしにはよくわからなくて、とりあえず全部難しくはあるんですけど……。

一から向かっていくっていう経験がたぶんまだなくて。譜読みしてなんとなく弾けるようになって、様子を伺って、だんだんと距離を縮めて仲良くなる感じとか。一緒に歩んでいく感じ、向かうんではなくて。イメージ持ちすぎてるだけかもしれないけど、弾きたい!って思った曲ってもう、ぬりかべみたいにどーん!って見上げるくらい高い壁があって、もう、怖い。


挑むっていう経験が必要なのかもしれないです。この感じが本物なのかわからないので、とりあえず原作読み終わるまで寝かせます。もうさっさと踏ん切りつけて諦めて、向かったほうがいいんだろうけど。逃げるかもしれないけど、怒らないでね。原作読み終わった自分へ。





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