アンテナ


アンテナを張るって具体的にはどういうことなんだろう。

関心を持つこと?


わたしは良くも悪くも周りに関心がなかった。周りに助けられていることに気付きもせずに生活してきた。だからといって、ものすごく周りに迷惑をかけるタイプの自己中でもなかったので、大きな問題もなくここまでやってきた。

怒らない比較しない、期待しない、競争心というものがまるでない。生きやすいと言えば生きやすいけれど、向上心がないので歩みが遅い。でもこれがわたしのペースだから、と思っていた(いる)。こどもだからまだ良かったものの、大人になってもそれではちょっとまずいね。

大学に入っていろんな人と出会って、転機があって、少しずつ変化していった。

今までずっと目の前にあった薄い磨りガラスが無くなったような感じで、視界がくっきりし始めた。直接胸に届くことのなかった日常のあれこれが、ダイレクトに入ってくるようになった。アンテナがぴん、と立ちはじめたような感じ。

まず、好きなもの、人が増えた。なにか好きになりたくてもなれない、ずっと妙なもどかしさを感じていたのに。あとは、周りに関心を抱くようになった。もちろん以前に比べてなので、まだまだ足りないところはある。嫌いなものもわかった。自己顕示欲の強い人、作品。そんなにアピールしなくたって嫌でも滲み出るものなのにと怒った。音楽に至っては、曲を冒涜されたような気分にまでなった(よく知らないのに)。よく泣くようになったし、少し感情的にもなった。自分の変化に戸惑いつつも、嬉しかった。


優しいねと言われることに違和感を感じた。べつに優しくはない、自分が優しいと思ってやっていることは本物じゃないし、本質的にわたしは冷たい。

創造力があるわけでもない。人に乗っかって出来ているだけで、わたしにそれはない。幼い頃は夜寝る前にお話を作って祖母に聞かせていたという。覚えてはいる。その力はどこに行ってしまったんだろうと思った。0から1にするなんて、出来そうもない。


こう思うこともある。確かに思う。この原因は、幼い頃に褒められなかったからだねと最近母と笑った。褒めると調子に乗ってしまうと思ったらしい。そうでもないんだけど。確かに貶された記憶もないが、褒められた記憶もない。自分の能力がどこにあるのか本当にわからなかった。

でももういいやと思う。ないと思っていてもあると思っていても、持っているものは同じだ。気の持ちようだ。それがかなり難しいことであるとわかってはいるけれど、幸運なことに、わたしは気持ちの切り替えができる。とてもえらい。

理想の自分と現実の自分とのギャップが大きいほど、生きづらいのだと思う。いろんな人を見ていてつくづく感じた。これまた幸運なことに、わたしには理想というものがない。なので、できない自分も当たり前に受け止められる。これはかなり稀有な才能なのでは(どうだろう)。


いい具合に自分を認められるようになってきた。なので、やっぱり自分自分は卒業して、外に目を向けたい。人には恵まれてきた。アンテナを張れというのは、自分のためでもあるし、周りの人のためでもあるのかもしれない。


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