相対性理論『気になるあの娘』歌詞感想


 こんにちは。

 今回の記事では、タイトルにある通り相対性理論の『気になるあの娘』という曲の歌詞について書きます。この曲の歌詞は個人的にとても好きな歌詞です。相対性理論の他の曲はまだあまり聴いたことがないので、文脈が分かっていない部分もあるかもしれません。

「気になるあの娘の頭の中は ふつう ふつう わりと普通」

 最初からすごい歌詞です。気になるあの娘は曲の主人公が恋愛的に気になる娘という意味だと思っているのですが、現実でもフィクションでも気になるあの子(性別関係なく)というものは多くの場合美化されがちです。かっこいい、かわいい、優しい、素晴らしいという風に。そこをあえてふつうとすることで妙に客観的な視点になり不思議な感覚になります。

 確かに第三者から見れば気になるあの娘というものはそこまで美化するような人間ではなく、ふつうであることが大半でしょうから納得もできます。恋愛の歌としては不思議な表現、現実的(第三者的)に見るとそれこそふつうの表現というのが面白いです。

 また、「わりと」と言っていることでふつうでない部分もあるけれど大体ふつう、ということが分かるのも現実的で面白いです。

 この歌詞の続きは、

「意地悪あの娘は県大会で準優勝 はしゃぎ疲れ眠りこんでいた」

 となります。

 気になるあの娘と意地悪あの娘が同一人物なの
か違う人なのかは意見がわかれるところだと思いますが、個人的には違う人だと解釈しています。意地悪なのに県大会で準優勝してしまうというなんともいえない理不尽さが好きです。

 意地悪=恋愛的な意味で意地悪(小悪魔)という解釈もできますが、私はふつうに意地悪なのかなと思っています。先ほどの気になるあの娘=意地悪あの娘説も含めて、このあたりは他の方の解釈も見てみたいです。

「気になるあの娘の生きがい 願い 不老 不老 不老不死」

 この歌詞では、気になるあの娘が不老不死を望んでいるらしいことが分かります。気になるあの娘が冗談で言ったことなのかもしれませんが、本気だとするとずいぶん不思議ちゃんな印象を受けました。本当にこの娘は「ふつう」なのか? という疑問も浮かび、気になるあの娘の人物像がぶれていきます。

 そういった部分があるのも思春期の恋愛という感じがしてとても好きです。更に思春期的な歌詞としてサビの、

「タクシー 飛ばしてよ九龍からニューヨークヘ
恋する心を止めないで サイボーグ・ペーパードライバー 回してハンドル 震える体をあたためて」

 があります。いかにも思春期の恋愛のふわふわした気持ちという感じがします。人によってはこの歌詞は何を言っているんだ? と思うかもしれませんが、最初の「ふつう」の客観的な目線とは大違いのこのサビがあることでとても面白い曲になっていると思います。

 また、サビの最後の「震える体をあたためて」だけは妙に生々しく、少し性的なニュアンスも個人的に感じられました。恋愛に色々な面があることを表現しているのかなと思いました。

「意地悪あの娘の頭の中は ふつう ふつう わりと普通」

 これは二番の歌詞ですが、ここで気になるあの娘にも意地悪あの娘にも実は大した違いはないのかもしれないということが示されます。これもとても良い視点だと思いました。

 全ての歌詞を取り上げたわけではありませんが、これで今回の記事を終わります。ここまで読んでくださって本当にありがとうございました。

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