一歌談欒vol.2 中澤系さん

.原井さんによる企画、一歌談欒の参加記事です。詳しくはhttp://dottoharai.hatenablog.com/entry/2016/10/23/230413 をご参照ください。
今回の課題短歌は、

3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって
中澤系『uta 0001.txt』より

***

中澤系はもともと本名の中澤圭佐として歌を詠んでいたが、途中で中澤系を筆名とした。
この筆名の由来は、新幹線の800系である。
彼は無類の鉄道マニアであったが、鉄道の通過音を収録することを一番の趣味としていたようだ。今回の短歌は、そんな中澤が休日に上野のホームへ音を撮りに言った際につくった連作「oto 800.ttd」の中の一作である。

3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって

前後には、音に対する情熱がこめられた歌が配置されている。休日の上野駅のホームは動物園目当ての子供連れでごった返していた。そのものたちを、近寄らせない気迫に満ちた歌である。

わけがない。
ここに書いたのは嘘だ。

***

短歌はひとに、生活に、ぴったりくっついている。ような気がする。
作者のプロフィールと、連作の前後を変えることで、歌の見え方が変わってしまうことがある。意図的にプロフィールを作り、前後に歌を配置すれば、一つの短歌の解釈を捻じ曲げてしまうことだってできてしまうのではないだろうか。(冒頭の文はそれを表現したくて書いたものだ。決して中澤系さんを揶揄するような意図はないのだが、不快に感じた方がいたら申し訳ないです)

そして、逆に、作者の情報や連作の前後がないと、短歌の意味をとりにくい場合があるのではないか。というのが、一歌談欒vol.1 を書いて、私が感じたことだった。

前回、私は、できるだけ作者の情報に左右されずに記事を書こうとしたつもりだった。書かれている単語から描かれていることを読み取ろうとしたが、すごく難しかったのだ。解釈の可能性が拡がってしまい、ひとつの解釈に収斂できなかった。
そして、もしかしたら作者の情報がそれを手助けしてくれるのではないか、という考えに至った。

(でも、これは短歌の性質によるものというより、私の読みとり方の姿勢によるものかもしれない。また、読みながら、短歌を読むってこういうことかもしれないなぁーと思った程度なので、そのうち全然違うことを言い出す可能性がある)

というわけで、今回は、そのあたりをゴリゴリに意識して読もうと思う。作者のプロフィールとか載せちゃう。そういう読み方のひとがいても良い気がするし…。

【構成】
3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって

さんばんせん/かいそくでんしゃが/つうかします/りかいできない/ひとはさがって
6/8/6/7/7

★上句は、字余りの連続。(わたしはあまり気にならずに読めた)
★3番線は数字表記。
★さ行が多いように思う。

【作者プロフィール】
中澤系(本名 中澤圭佐)
神奈川県茅ヶ崎市出身
早稲田大学第一文学部哲学科卒業
1970年9月22日 生まれ 男性
1997年「未来」に入会(27歳)
1998年 連作「uta 0001.txt」で未来賞受賞(28歳)
2003年 副腎白質ジストロフィー発症(33歳)
2004年 歌集『uta 0001.txt』発売
2009年4月24日逝去 (享年 38歳)
2015年 歌集『uta 0001.txt 』復刻版発売
(享年以外の年齢は私が計算して入れたものです)
★歌集は一冊のみ。全部でⅠⅡⅢの三部構成で、課題短歌は1998年から1999年に作られた短歌を収めたⅠの、冒頭におかれた歌である。

【ようやく、読む】
★舞台はどこか
3番線があるということは、ホームが3ヶ所以上あるので、中から大程度の駅だ。出身地などから考えると首都圏にある二路線以上が乗り入れている駅という気もするがどうだろうか。
快速については、路線によって急行より速かったり遅かったりまちまちのようだ。

根拠は全くないのだが、私は、平日朝のホームをイメージする。しかも地下鉄ではなくて地上駅だ。

★フィクションかノンフィクションか。
実際の駅員の言葉をそのまま短歌にした可能性もある(と思ってしまうくらい朝ラッシュ時の駅員さんは殺伐としているし、「お下がり下さい」を、「さがって」というのは聞いたことがある)
が、手元にある『桜前線開架宣言』で他の短歌を見ると、みたもの聞いたものをそのまま読んでいる歌はないので、これもアナウンスをもとにした創作として読む。

★通過
私はこの通過がポイントのような気がしている。「3番線快速電車がまいります理解できない人は下がって」でも、成り立つし3句目の字余りが解消されるが、印象が変わる。まいりますだと駅に停車すると読めてしまう。
また、快速電車の通過に対して、私は死を連想してしまうが(ネットでいくつかの評をみたときも死について言及しているものがいくつか見られた) まいりますでは、この死が連想されないように感じる。
ただ、死の連想については、さ行の多さによる効果もあるのかもしれないので、なんとも言えない。(上句の、さ・せ・そ・しゃ・し・す が、無意識的に死に繋がる?)

★理解できない人
この理解できない人が、わからない。難しい。
何を理解できない人なのか? 電車が通過することを理解できないという文字どおりの意味なのか? それとも、電車の通過によって表現されている別のものへの理解?
理解できない人が下がるなら、理解できる人はどうするのか?

また、読み手がこの短歌を読むとき、どの位置に立って読むことが多いのかも気になる。理解できる人として?理解できない人として? それとも、傍観者として?
では、中澤系はどの位置から詠んだのだろう。自分は理解している側だったのか、理解できない側だったのか、それを見ている人だったのか。

わからない。
この31文字(正確には34音)の情報だけでは、私はこの理解できないが読めなかった。
なんとなく感じることはあるのだけど、それは連想と妄想の賜物な気がしてしまう。

★その他
今回はインターネット上に挙げられていたこの短歌についての記事をいくつか(原井さんが流して下さっていたのも含めて)読んだ。その中に頻出のキーワードがあって、それは「システム」「思考停止」だったのだが、そのあたりがこの課題短歌からは、うまく読めなかった。
私の手元にある資料は前回と同じく、山田航編著『桜前線開架宣言』である。記事を書くまで、中澤系さんが亡くなっているという情報により、そこに載せられた短歌たちから私は勝手に死の予感みたいなものを感じていた。今回作られた年をみて、そこにあったのは1999年頃に漂っていた世界と世紀の終わりの空気だったのだと思った。だって彼はその時期に未来賞を受賞している。将来のことは知る由もなく、むしろ内面は希望や自信に満ちている時期なのに、外側の世界の空気が破壊と滅亡みたいな感じだったのでは、と想像する。

最後に、短歌を読んで思い出した私の個人的な話を書くがそれはおまけみたいなものだ。その前に、中澤系さんの、この文章の終わりにふさわしそうな短歌を引いて、しめたい。

***

かみくだくこと解釈はゆっくりと唾液まみれにされていくんだ

一瞬のノイズにも受信者たちの意味探しゲームは始まっている

マニュアルのとおりに解読されているわかりやすさという物語

***

数年前まで本格的な山登りをしていた。やめたのは転落事故を経験したからだ。二泊三日の予定で、数名のパーティで山を歩いていた。二日目の夕方、私は単独で登山道から転落した。
その時歩いていたのは、左側が数メートルの緩やかな崖になっている登山道だった。なにかに引っ張られるような感覚があり、バランスを崩した。崖下まで落ちたあと少し転がり、生えていた木に腹部を強打して止まった。打ちどころが良かったことと、一緒に歩いていた方達の適切な処置もあり、最悪の自体には至らずにすんだ。
だが、日常に戻ってから困ったことがあった。駅のホームの端が怖くて歩けないのだ。ホームに立って線路を見ると、あの日歩いていた登山道を落ちた時の感覚が蘇った。
私が引っ張られるように感じた、あれは、死そのものだったのだ、死が私を引っ張ったのだ、とすら思えた。ホームの端を歩いている人、白線のぎりぎりで立って電車を待っている人が信じられなかった。ホームから転落し電車に轢かれれば死ぬことを、みんな知っている。でも、わかっていないのだ。
死はたしかに存在していて、私たちを、あるときふっと、そちら側へ引っ張る。それは身体的なことで、具体的で現実なのだ。そして、わかっていない人ほど危ないのだ。ふらふらとスマートフォンを触りながらホーム端を歩く人に対して、私はこう思っていた。
「わかってない人は近づいたらダメだ、下がって」
中澤系の短歌を読んだ時、このときの感覚が思い出された。

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中山とりこ

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