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重荷が過ぎるティーバッグ。


わたしは昨年転職をした。

理由はもちろんあるけれども、

わたしは話が分岐して趣旨を紛失しがちなので

特筆しないことにする。


今の会社も仕事も、当然のことながらわたしの判断でわたしが決めた。

決めたが、入社して約3か月の今真っ先に言えることは


「今の仕事が嫌い」だ。


シゴトガッコウイヤイヤ病は

現代社会において定義されている生活習慣病より

もっと深刻な生活習慣病なのではないかとわたしは考えている。


前置きが長くて申し訳ないのだが、

「努力もしていないのに不満を書留め大会」がしたいわけではないのだ。




1.工場での集団の小分け


前職は食品工場での工場職だった。

工場職ってどんなイメージだろうか。


わたしが最初工場職というものを経験したのは、

いろんな体験をしてみたいとスポットでできるアルバイトだった。

その時はコンビニのおにぎりを作る工場だった。


よく求人情報誌なんかで見かける見出しは

「一人でもくもくと仕事をしたい人におすすめ!」

とか

「単純作業なので簡単!」

とか

なんとなく誰でもできそうな内容が軽い仕事なイメージ。


もちろん書いてあることは嘘ではない。

でも、仕事って実はそれ以外にもあるし

作業は集中するけれど、多くの人が働く工場で

人と全くコミュニケーションをとらないなんてあり得ない。


アルバイトで食品工場の雰囲気だけは掴んでいたので

衛生に厳しく、手洗いやエアーシャワーだとかには

なんら抵抗なんかは無かった。


わたしが着目したいのは人が寄り集まった、その「集団」である。


工場というものは、何かを生産している。

わたし達の生活において大量生産された物に触れない時というのは

ほとんど無いに等しいにではないだろうか。


例え限界集落でギリギリなサバイバル生活をしていたとて

その集落へ向かう車のパーツは工場で生産されていたり、

火を起こすマッチやライターだって職人こそいるが

安価で手に入りやすいのは当然大量生産品であったりする。

大量にあるものであれば、所有しているものがそれである確率が高いのは

必然な気がする。


生産性を上げるためには必要な要因がいくつかあるのだが、

簡単に言ってしまえば


”同じ作業がめちゃくちゃ早く、長い時間があればたくさんできる”


人が労をして作業を行うより、

確実にその作業ができる機械の方が効率はいい。

ただ、機械にもトラブルはあるし

超早く動いてたり毎日使うものだから劣化もする。


それに対処するのは人間しかいないし、

全てのことを機械の導入に充てていてはコストが掛かりすぎる。

だから人が必要なこともマストなのだ。(当然会社によるけれど)


長い時間というところがミソになってくるのだが、

機械のメンテナンスもあるので、延々稼働させていては

トラブルに繋がって逆に生産性が悪くなるリスクがある。

でもある程度の稼働時間は欲しい。

工場が交代勤務制を導入しているのは、そんなところからなのだと思う。


わたしが働き始めた当時から、わたしがいた会社は

7:00~19:00、19:00~7:00の2交代制だった。


"会社"という組織集団においては〇〇部××課などと分類されていくが

わたしたちは請負だったため日勤と夜勤の二分で十分だ。(何分なんだか…)


2.集団に属す「ウチ」


日勤と夜勤はたまに人事的なことで人が交換されたりするらしかったが

わたしが在籍していた時は1回だけあっただけだった。

個人のローテーションということではなく、日勤と夜勤が入れ替わるときは

”日勤”としてあるグループと"夜勤"としてあるグループが

逆転するだけであった。


わたしは当初日勤のグループに配属されたため、以後異動もなく

晴れてグループの一員としてそこにいたのだった。

当初からなぜか「いろんな人がいるから…」と

人間関係への懸念を仄めかされていたため

どんなに曲がり切っている人間がいるのだろうか、

もしくはわたしから何か滲み出ているのだろうかと思った。


詳細としては、もっと上には上がいたのを知っていたので

懸念されていた個人のクセというのはさほど気にならなかった。

まったくクサみが無いかと言ったらそんなことは無いが、

見ようによっては個性だということと何が違うのかわからなかった。


しかし、郷に入ったからには郷には従わなくてはという思いもあり

よくよく人間関係の観察を始めた。

その当時から、わたしは内心何かを抱いている自覚はあったのだった。


『大げさじゃね……?????』


暇なのか?と思わず言いたくなる他人のアラ探し。

もちろん、工場職=そういった人たちの集まりというのは全く違う。

むしろわたしのいた環境に限定されているだけなので

誤解はしないでほしい。


”集団ってのは一つの生き物みてぇなモンだからな。

たまには刺激を与えないと淀んじまう。”

―――――「バンビーノ!著・せきやてつじ」


わたしの好きな漫画の一作品であるバンビーノ!の宍戸シェフの言葉だ。

これは、突如彼の案で開催されることとなった

秋の新作メニューのコンペに関する彼自身の想いである。

抜粋自体はポジティブな内容なのだが。


例えて言うなら、

排水されない洗濯機で回されている

そんな「ウチ」の集団に属していた。

夜勤も同じようだった。


3.「ソト」から見た集団


夜勤が謀反を起こした。

休み明け出社すると、夜勤のメンバーのタイムカードの色が変わっていた。

日勤責任者のことが気に食わなかった夜勤責任者が

半ば強引に他社の請負へ移行したとのことだった。

労働にまつわるあれこれや、社会人としての礼儀等も省かれた行い。

その日着任した統括責任者の心境はのちに何度も聞かされることになる。


しかし彼が来たことによってグループの風向きは少し変わった。

もちろん、個人の作業動作へのつつき回しのような慣習は

新しく入ってきた人も取り込まれていった。

くだらないと思いつつ、わたし個人が動いても

集団に効果があるわけではないので

取り込まれないように、

抱いているものを忘れないようにするだけだった。


ここまで書いてきて、まるでわたしだけが特別かのような表記が目立つ。

わたしではなく違和感を覚えない彼らが特別だったと改めて思えたのが、

一昨日であった。


統括責任者が風通しを良くし、改善提案などの尽力も虚しく、

わたしのいた会社は、依頼会社との契約を破棄され

わたしの転職での送別会3か月後に全員の送別会が行われることになった。


もうその会社とわたしは関係なかったが

声をかけてもらえること自体は嬉しかったのでサプライズゲストとして

一次会終わりに登場してみた。


現職でうまくいかないこともあり、人の優しさに飢えていたので

酔っているとはいえ現れたことで涙まで流してくれる人を見て

解散になる前に自ら見限って離れるべきではなかったのかも、と

その僅か3か月でも

彼らと時間を共にいれなかったことが残念にすら思えた。


わたしの送別会より前に、出勤で会えるのが最後だからと、

同期がくれた餞別のお返しにわたしが送った丸いピアスを

「お気に入りなんです」と左耳を向けて言う彼を見て、なおそう思った。


こみ上げるものは無かったが、嬉しい感情が内に満ちているその時

統括責任者がもう一人来る予定のメンバーが揃う前に店を出たいと言う。

悪戯心からか、冗談はよしこさんとわたしが返すも

全員荷物をまとめ始めた。


全く状況が読めず、話を聞いた。


人は良いが、こちらの言っていることへの

理解に時間がかかるおじさんがいた。

わたしは彼に恋愛相談をされたことがあるのだった。


彼は36歳なのだが、職場にいる20歳の女の子に想いを寄せていた。

割と大胆というか、連絡先も知っていて

なんとも後押しを望んでいるようだったので

結果はどうあれ応援することにした。

やんわり見守っていようという気持ちだったのだが、

思いのほか彼はより大胆になっていくし

想いが止められず、わたし以外の人にもその話をして

周りが動揺し始めていた。


個人の話だし…とわたしはそこまで考えなかったのだが

話が大きくなってしまい、

アプローチを受けていた女の子も(実は彼氏もいた)

上司に相談などをして、彼は

”空気を読めず暴走して女の子に付きまとう人”

にされてしまっていた。


彼女にその気がないことや、迷惑していること

彼氏がいることや年齢などもあって本人もしんなりしていたが

その恋は鎮火されたのだった。


そんな彼が、つい最近また似たようなことに発展してしまったのだと言う。

相手はこの送別会にも参加していた女の子なのだが。

彼女と同じ勤務が最後の日、彼は駐車場で待って彼女に想いを告げるのだと

周りに話していたらしい。


ところが、前回の件があったことにより

事態によってはトラブルになりかねないと周りが勝手に判断をし

彼女の最終出勤日を会社都合で休日にしたのだと言う。

他の人たちもなるべく彼女と彼がかち合わないようにするため

ラインを駆使して経路を変えさせて出社させたりしていたことを

さも誇らしげに話してくれた。


思い込みや被害妄想がなかなか激しく、相手の心情を汲むことが

苦手だった彼は想いを告げたかっただけなのだが。


そうこうしているうちに、二次会の会場が決まらず彼がやってきた。

彼女に接触する彼をみんな慌てふためいて遮り、

女の子は裏口から逃がされたのだった。

(あとで聞いたが、アプローチはあったが彼女は特に気にしていなかった)


「ウチ」から「ソト」に出て改めてこの集団を見たわたしは

彼らがこの先他の集団に属して

いかに異質なものであったかを自覚してほしいと思っている。

実際わたしの口から3回ほど漏れた言葉がある。


「変ですよ」


わたしが「ウチ」だった頃ただ握りしめていた違和感と

「ソト」から見たこの違和感は同じ違和なのだろうか。



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